不経済なポリシー 

「火村……なあ、火村……火村っ! ええ加減にせいっちゅーねんっ!」
「ってぇ。何も蹴るこたねぇだろうが」
 折角の三連休だからと、万事繰り合わせた火村は、金曜の午後からアリスのマンションに転がり込んでいた。
 長年悪友だったアリスとの関係が、いわゆる恋人に変化したのは、つい最近──昨年の大晦日の話。
 本当に長いこと自分の気持ちを隠していたせいでタガが外れてしまったこともあるだろうし、新年早々雑用や地方でのフィールドワークに追われていた為にアリスと会うのがひと月ぶりだったということもあるだろうし、アリスが「ちょっと早いけど、バレンタインやから」なーんて言いつつ、コーヒーと一緒にチョコレートまんじゅうなるものを出すだなんて可愛いことをやからしてくれたこともあるのだろうが、この部屋にやって来てからの火村は、一日中と表現しても過言ではないほどに、恋人をベッドに縫いつけて現在に至る。
 どうやら、これはいくらなんでも火村の過剰摂取であると診断を下した有栖川先生は、実力行使という手段に出たらしい。
「蹴られて当然や。いくらなんでもものには限度っちゅーものがある」
「まあ、そう言うな。俺は今、幸せのおばちゃんの言葉が正しかったということをしみじみ実感して、更にそれを実践しているところなんだから」
「幸せのおばちゃん? それ、都市伝説の類やろ」
 明らかに、勘定ごまかすのは許したらへんで、と言わんばかりに訝しげな視線をよこすアリスに向かって、火村は懐かしそうに微笑んだ。
「違う。実在の人物だ」

*   *   *

 火村の通っていた高校の近くには、近所の学生御用達の喫茶店があった。その名は『幸せ』。
 火村のクラスメートの母親が営むその喫茶店が、高校・大学を問わず学生に愛されているのには理由がある。
 それは、とにもかくにも、そこで出される品の全てが、安くて大量でものすごく味がいいとは言えないが決してまずくはないからだ。
 マグカップ並に大きいカップで出てくるコーヒーや紅茶、更にどう考えても500mlは注がれていそうなでっかいグラスに出てくるソフトドリンクの類はまあ、放課後の高校生ならば、なんとかかんとか処理できる。
 だが、ちょっと小腹がすいたからなどという理由で、サンドイッチやカレーやスパゲティなんか頼もうものならば、そいつは絶対に夕食が食えない。
『幸せ』はそういう喫茶店だった。
 ──ありえねぇ……
 火村が一番最初に、カレーを注文した時の感想はこれに尽きる。
 350円という、それがミニカレーでも文句が言えない値段で出された『幸せ』のカレーは、40センチ×20センチは確実にあるものすごいでかいプレートに、サラダとライスが山盛りになっていたのだ。
 どんなに少なく見積もったところで、キャベツが8分の1個とご飯が2合は盛られているだろうそのカレーは、それがあくまでも普通で、大盛りは別に存在するのだという。
 そんなん誰が食うんだよと、目の前のカレーを見つめながらため息をついた火村であったが、意外にも部活帰りの男子高校生相手に結構出ているらしい。
 ──仮に今日が部活帰りだったとしても、絶対に大盛りの完食は無理だな。
 と、どうでもいいことを考えつつ、その日の火村はあくまでも普通盛りであるカレーを3分の2まで胃に収めたところでギブアップした。

*   *   *

「ってな具合にすげー喫茶店だったんだよな。そこのおばちゃん、客が帰る時、絶対に『ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました』って、ありがとうございましたを3回言うんだ。2回でも4回でもなくて、絶対に3回」
「で、それが先刻の話とどうつながるん?」
「つながるのはこれからだ。それ以後、カレーは頼まなかったけど、コーヒーが旨かったからその茶店には結構通ったんだ。で、その内気づいたんだよな」
「何に?」
「そこでカレーの大盛りを頼む奴なんてのは、本当に極一部の大食い高校生で、大抵の人間は俺同様に普通盛りだって余すってことにだ。女性だと確実に半分以上は残してた」
「もったいないちゅうか……不経済な話やな」
「だろ。俺もそう思ったんで、一度そのおばちゃんに聞いてみたことがあるんだよ。なんで残されるのが解っていてこんなに大盛りにするんですかって。そうしたら、彼女なんて応えたと思う?」
「そんなん俺が知るかい。さっさと話せ」
「だな。彼女、こう言ったんだよ。『お客様に一度でも物足りないと思われるのは絶対に嫌だから』って。多分、『ありがとうございました』を3回言うのも同じ理由なんだろうな。絶対に素っ気ないとは思われたくないんだろうよ。例え、人からみたらどんなに無駄に思えても」
「成程、考え方いうのは人それぞれなんやなぁ」
「ってな訳で納得したか。では再開」
 as soon as状態で、首筋にキスを落としてきた火村をアリスは慌てて押しのける。
「ちょ、なんやねん。この脈絡のない展開は」
「ばか言え、脈絡は充分にある。ちゃんと説明したじゃないか」
「どこがやっ!」
 と叫んで、再び火村に蹴りを入れるべき膝を曲げたアリスであったが、次の瞬間耳元で囁かれた言葉に身体の動きが止まり、みるみる顔を真っ赤に染めた。

──俺、アリスに一度でも物足りないと思われるのは絶対に嫌なんだよ。

 そして、この囁きがどんな結果をもたらしたのかは、後日、アリスが日記がわりの手帳に三日連続で記した『一日寝てた』という文字だけが語ってくれることである。

2005.02.14



なんだか、あからさまに無理矢理バレンタインを絡めましたって話
ですね、これは。
でも、ま、とりあえず何とかまとまったから良しとしよう。


● Alice top ●


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