THE GAMBLER
「♪ラララ、ラララララ、ラ〜、ララ〜、 ララララララッ、地球を買い戻せっ!」 キッチンでコーヒーを入れながら、ご機嫌で鼻歌を歌っているアリスの様子を、火村はリビングのソファで煙草を燻らしながら、納得いかない表情でながめていた。 全体的に今日のアリスは変だ。 何処って、そのご機嫌さ具合が。 いんちきくさすぎる鼻歌がそれを証明している。 火村の記憶が確かならば、その鼻歌はアリスが割と好んで聞く、一文字間違うと後天性免疫不全症候群やら新型肺炎やら、何故かやたらと病気の名前になってしまう、とあるバンドの曲だ。 ── 一体、何だって言うんだ……。 火村が無意識に自分の唇を指でなぞり始めた時、アリスが姿を現し、テーブルの上にカップを置いた。 「ほい、コーヒー。そして、じゃじゃ〜ん、お茶うけは井●屋のイングランドケーキ」 出てきたのはコーヒーなのに、お茶うけとはこれ如何に。 そんな火村の心の突っ込みを知る由もなく、アリスは鼻歌を歌い続けながら、個別に包装されたイングランドケーキを3個、助教授の前に置いた。 「3個も食わねぇよ。大体、井●屋って肉まんの専門じゃねぇのか」 「あほ抜かせ。誰がなんと言おうと井●屋と言えばイングランドケーキや。3個置いたのは全部味が違うから。全部うまいから全部食え。でもでも、中でもオススメはパイナップル〜」 「…………」 アリスのテンションの高さに反論する気の失せた火村は、無言でその中の一つを手に取り、包装を破く。 その様子を見て、アリスも火村の取ったものよりは色の薄いケーキを手にすると、彼の隣に腰掛けた。 依然、鼻歌は続いたままだ。 なんなのだろう、このアリスのテンションの高さと強引なもの言いは。 いや、別にそれはたった今始まった訳ではないし、多分その理由らしきものの想像もついているが、如何せん、今日のアリスはハジけ過ぎだ。 包装を破いてしまったので、なんとはなしに口に運んだ、アリス大絶賛のケーキの予想外の美味さにちょっと驚きながらも、火村は本日の出来事の回想を始めた。 * * * 「アリスッ、これはなんの真似だ」詳しい経緯は端折るが、本日火村は事件明けで、アリスは締め切り明けだった。 仕事中の先生には申し訳ないとは思いつつ、一転しかたと思うとすぐまた一転する、世にもややこしい事件の解決に奔走して、連日深夜まで大阪中を飛び回る羽目になった火村は、自宅まで帰る体力的余裕がなくて、10年来の友人であるアリス宅のソファを寝床にしていた。 5日あまりも同じ屋根の下に居たというのに、帰宅すればすぐ寝る火村と、彼が出掛ける時にはまだ寝ているアリスの生活時間帯はズレていて、お互いが言葉を交わすことは殆どなかった。 そして昨日──というか本日未明、火村は犯人を挙げ、アリスは原稿を上げた。 「終わったんか?」 「そっちもな」 伊達に短いつきあいではない、お互いの顔を見れば相手の状況がどんなものかは想像が付く。 久しぶりに顔を合わせた二人は、短い言葉を交わした後、バッテリー切れで火村はソファに、アリスはベッドに倒れ込んだ。 そして、単に寝不足だった作家と、身体的にも疲れていた火村と臨床犯罪学者の差であろうか、目覚めたのはアリスの方が先だった。 時計の針が12時を回った頃合いに目を覚ました火村を、アリスはバスルームに突っ込んで、風呂上がりの助教授の髪が乾ききらない内に、行き先も告げず外へと連れ出した。 そして今── 火村が何をしているかというと、両手に洋服一式をを抱えさせられて、南急百貨店メンズファッションフロアの試着室の前に立っているところだ。 「どうも、こうもない。今日の君の義務は宿代がわりに俺の言うことを聞くことや。いつもいつも碁石みたいな恰好しやがって。俺は一回君に、こーゆー服着せてみたかったんや」 アリスに有無を言わさず試着室へと押し込まれ、火村は仕方なく着替えを始めた。 長年のつき合いから、一端はこれを着ないことには絶対に試着室から出して貰えそうもないことを感じ取ったからである。 碁石だのオセロだのパンダだの──別にアリスはそこまでは言っていない──人の色彩感覚に散々文句をつけておきながら、アリスの選んだ服にだってこのうち1色が使われている。 気付けば殆ど履くことのなくなったジーンズ(ブルーグレー)に、身体のラインが出るぴったりした黒のタンクトップ、更にサーモンピンクのカジュアルシャツの組み合わせ。 着てみる前からため息ものの組み合わせだったが、鏡に映った自分の姿を見て、火村はやっぱり大きくため息をついた。 ── いんちきくさ過ぎる……。 そう、なんと言えばいいのだろうか。 下手に鋭い視線が災いして、いかにも何かを企んでいそうなというか、何かをやらかしそうというか…… 普段はしないそのカジュアルなファッションと色遣いは、ともかく、俺って悪いことしてま〜すな雰囲気が全体的に漂っているのだ。 「火村、出来た?」 そんなこんなで火村が試着室のカーテンを開けるのをためらっていると、それは向こう側から勝手に開いた。 その姿を上から下まで眺め満足げに頷いたアリスは、助教授から危険な男に変貌を遂げた友人に文句を言う隙を与えず、店員を呼び服の値札を切らせると、火村の服を袋に詰めさせた── * * * その後、デパートに隣接するシアターでアリスがどうしても見たかったという映画につきわされ、最後にデパ地下で今夜の夕食と、このイングランドケーキを購入して現在に至る。本日の支払いは全部アリスのおごりで、自分が今着せられているこの服だって、売れない作家として一本立ちしている友人のクレジットカードで支払われた。 いくら原稿があがったからといって、今すぐ印税が入ってくる訳ではないだろうに── 「俺な、この歌の歌詞、最近まで『地球をかっとばせ』だと思っとったんや」 「はっ?」 これでよくこいつの生活は成り立ってるよな、等と考えていた火村はアリスの言葉の意味が解らなかった。 「正確には『買い戻せ』。買い戻すもなにも、どこに売られとったのか自体が不明やけどな」 「俺としては、なんでそんな話がいきなり始まったのかが不明だよ」 「ある意味君はギャンブラーやからな」 「失礼な、俺は舟券も買ったことがないぜ」 「……そこで、ミニロトやナンバーズや馬券が出てこないところが、その発言の微妙さの全てを物語っとる気がするけど、そういう意味やない」 「なら、どういう意味だよ」 「君のフィールドワークは時々ギャンブルめいとる。自分が勝つか相手が勝つか。君がその手に汗握る勝負にのめり込んどるとは思わんけど、程々にしとき。賭に勝ちすぎるのも恨みをかう要因の一つや、勝つなら派手にやなくて、スマートにや」 「何が言いたい?」 アリスの言葉に火村は眉を寄せた。 確かにフィールドワークにおいて、自分は時折無理をするが、楽しんでいるつもりはない。 賭などにたとえられるのは心外だ。 「そーゆー格好すると、より際だってわかるやろ。君の目は勝負師の目や。そして、勝負師はちょいちょい一番大切なことを忘れるんや。自分を待っている人間がいるいうことをな」 「俺がフィールドワークの間、お前のことを忘れているとでも?」 またしても心外なアリスの発言。 仕事だからしょうがないとはいえ、同じ屋根の下にいながら時間を共有できず、あんなにも自分はイライラしていたというのに。 その時間を作りたくて、ちょっとばかり無理もしたというのに。 だから、不満気な表情を露わにして火村はアリスに問いかけた。もちろん、表情だけではなく、その声にも不満を現して。 「そうは言っとらん。君が忘れとんのは自分を大切にすることや。君が無事フィールドワークを終えたというだけで、自分でもおかしいと思う程にご機嫌になれる俺の気持ちや」 「……アリス」 目から鱗が落ちるというのは、こういうことを言うのだろうか。 早く帰ることだけではなく、その課程が大切? 結果が同じならばそれで良いという訳ではないというのか? 粗末に扱われているとは思ったことはないけれど、まさかそんな風にアリスが自分の心配をしてくれているなんて考えもしなかった火村は、彼の名を口にした後、言葉を続けることができなかった。 「なんてな。これは俺が勝手に思っとるだけだから、君が気にする必要はない。君がどこに行こうと俺が絶対取り戻すから。まあ、これこそどっから取り戻せばいいのか不明やけどな」 軽い調子でいうとアリスはにこりと笑ってみせた。 ── ああ、取り戻してくれ、他の誰でもなく、お前が── アリスの笑顔に火村は心底そう思う。 確かに、どこから取り戻せばいいのか、それは火村にもわからないけれど。 それに、今の火村はアリスが思っている程にはギャンブラーではない。 だって、勝算のある勝負しかしないのだから。 人生において、火村が一番ギャンブラーだった時。 それは── 暖かな光が差し込む階段教室で、誰かさんの原稿用紙に手を伸ばした、きっとその時── 2003.07.27
ちょっと長めだし、分類もできるけど、 |