愚者の贈り物
タァ〜リーラリ〜ラ、タ〜リ〜ラ、タリラリタリラリラ〜。 ジャケットのポケットに入れっぱなしにしてあった携帯電話が、なんとも情けない音を立て、メールの着信を知らせた。 何が楽しくて自分のメールの指定着信音を、自らの手で『すいかの名産地』にするのか。 いくらつきあいの長い火村といえども、あの作家先生の考えることは理解しきれないことがある。 『耳に残るやろ』 本人曰わく、この曲を選んだ理由は、それに尽きるらしい。 確かに、ロシアだったかアメリカだったか、とにかくどこかの民謡──すいかだったらアフリカか? 否、それは名産地じゃなくて、原産地か──らしい、この曲は耳に残る。 あげくに、その先生にかかって、『と〜もだ〜ち〜がで〜き〜た〜』なーんて着メロに合わせて歌まで歌われてしまったら、その日ずっと、頭の中でその音楽が周り続ける程、強烈に印象に残る曲だ。 自分の携帯にこんな音を鳴らされるこっちの身にもなってみろよと思いはしたが、そこは社会人経験もあるアリスのこと。火村の世間的な立場も考慮してか、この着信音は夜の12時前後にしか鳴ることがない。 そんな状況だから、週1弱のペースで届く、そのメールの内容はアリスの近況報告だったり、ちょっと面白く思った出来事だったり、ある意味日記のようなものだ。 火村はそのメールに基本的に返信はしない。折り返すとしても、それはメールではなく電話になる。 理由は簡単。面倒だからだ。 もちろんアリスはそんなことなど百も承知だ。だから、ちょっと話しておきたいが、電話するほどでもないといった内容のメールが一方的に届く。 向こうの立場になって考えると、虚しくないのかよ、と思わないでもないが、こちらとしては、メールを読むこと自体は苦痛ではないし、アリスの近況を知るのに重宝もしているので、火村はそれをただただ受け取り続けて現在に至る。 前回のメールは、件名『桜餅』。桜餅にくっついている葉っぱをはがして食うのがいかに邪道かという文面が延々と綴られてた。 そんなの本人の好きにさせてやれよと思いはするが、火村個人としてはアリスの意見に賛成だ。 あの塩漬けの葉っぱがなくては、桜餅っていうのは、一体どこが桜なんだか解らない。ほのかな塩気がいいんだ塩気が。 さて、今回はちょっと早いが時期的に件名『かしわ餅』か? 等と少々ひねりに欠けることを考えながら、くわえ煙草でジャケットのポケットを探った。 決定ボタンを数回押して、メールを表示させる。 件名──マジかよ──『かしわ餅』。 本文『かしわ餅てふつうのあんこの他に、みそあんてあるの知っとった? かしわの葉の表を内側に包むのはあんのかしわ餅で、表を外側に包むのはみそて区別する場合が多いんやって。みそあんてどんな味なんやろ。せやけど端午の節句に食うのは絶対ちまきや』 ── お前……、作家なんだろ ── 火村は大きくため息をついた。 この、脈絡はあるが内容がさっぱりない文章。 おおかた『老舗の名店』系のTVでも見たんだろうということは想像できるが、いっそ、食いたいから買ってこいという内容の方がどんなに嬉しかったか。 ── 俺にこれを読ませてどうしろと? ── まさか、誕生日プレゼントとして暗に要求しているのだろうか? ── もし、もし仮にそうだとしたら、俺は悲しくなるぞ ── 火村は年月と煙草の煙で茶色くすすけた天井を仰いだ。 先日の火村の誕生日には、どんなに安く見積もったところで1人頭2万円は下らないだろう、高級料亭の料理を奢っておいて、自分が要求するのはかしわ餅。 研究に様々な資料代や雑費がかかるせいで、確かに火村の経済状態は良好とはいえないが、そこまで経済的に甲斐性のない男だと思われるのは心外だ。 と、そこで火村は考えを改める。 きっと、アリスは別にそんなことは、微塵も考えていないのだろう。ただ、思ったことを書いたのみ。 しかし、火村は既に決心していた。 アリスの誕生日のことを思い出したついでに──別に忘れていた訳じゃないが──ここは一発、奴がアッと驚く演出をしてやろうじゃないか──と。 ☆ ☆ ☆ 「と〜もだ〜ち〜がで〜き〜た。すいかのめいさんち〜」メールの送信ボタンを押して。アリスは今頃北白川の下宿で火村の携帯が奏でているだろう曲を、口ずさんでいた。 そのメールを受信して、火村は色々なことを考えた訳だが、アリスには彼にそんなことをさせるつもりは、やっぱり微塵も無かった。 火村が予想していたとおり、本日のアリスは『誰にも教えたくない隠れた名店』というTV番組を眺めていて、みそあんのかしわ餅なる存在を知ったのだ。 おまけにたいていのかしわ餅──つまり、普通のあんこのもの──の葉っぱが、何故裏返しに包まれているかという謎も解明できて、ちょっと嬉しくなったので火村にメールをしたにすぎない。 そして、最後の一文が付け加えられた理由は、その番組内で端午の節句といえばかしわ餅、と、ちまきの存在を大いに無視したコメントがされていたから。 ただ、それだけ。 火村が『虚しくないのかよ』と考える、一方的なメールを送る理由が、実はアリスにはある。 学生時代に知り合って、十数年、時を一緒に過ごした。 知り合ってからの時間、半分は友人として、残りの半分は恋人として付き合ってきた中で、ふたりは決して少なくはない回数の初めてを共有してきた。 例えば、火村がコンサートと名のつくものに、初めて行った時に同行したのはアリスだし、手に入れた時から既にぼこぼこだった彼のベンツの助手席に初めて収まったのもアリスだ。 改めて聞いたこともないし聞く気もないが、火村が初めて口付けを交わした男は自分であるし、初めて抱いた男も絶対に自分だ。 全てだなんておこがましいことは決して言いはしないが、火村のことを一番解ってやれるのも自分。 そういう妙な自信がアリスにはある。 だが、自信があったとしても、それは相手のあること。 自分の気持ちは決して変わらないと断言できるが、火村の気持ちがいつ変化するかまでは解らない。 困ったことがおきる前に心配したってどうなるものでもないのは知っているが、その時が来たら、取り乱さずにいられるくらいに、心の準備はしておきたい。 もし、その時が来たら── くいさがれるだけ、くいさがって…… それでも駄目なら、綺麗に別れてやろう。 アリスはそう考えていた。 そして、その後の人生は、想い出を支えに生きて行こう──と。 だから、もし──本当は考えたくもないが──それが事実になったとしても、火村の記憶の中にも少しでも印象深く残っていたいと思う。 そのキーワードが『初めて』なのだ。 自分と別れたとしても、人に「初めてコンサートに行ったのは何歳の時」とか、「車の助手席に最初に乗せたのは誰」だなんて質問をされるたび、火村はアリスを思い出さざるを得ない筈だ。 そして、今アリスが狙っている『初めて』は、火村からの携帯メールだ。 面倒だという理由で、決して携帯ではメールを打たないオヤジな火村からのメール。 ある意味、非常に希少価値は高い。 もともと、携帯のメールアドレス自体を数人にしか教えてはいない様だが、その数人にしたって、全く返信がないのでは話にならないので、火村に連絡を取る時は電話、ということになっているらしい。 だから、狙い目。 折り返し電話がかかってくるような緊急用件ではなく、しかし、意味ありげなメールを送り続ければ、いつかメールで返信する気になるかもしれない。 なんだか、気の遠くなるような話だが、いくら恋人とはいえ、初めてのメールは俺にくれだなんて、そんなどうでもいいことを頼んだところで聞いてくれはしないのが、火村という男なのだ。 ならば、全く頼まない方が、まだ望みはある。 「誕生日おめでとう、だけでいいのになぁ〜」 つまり、アリスが今、火村から一番欲しい誕生日プレゼントは、彼の打たない──打てない?──メールなのである。 ☆ ☆ ☆ 「あの、あほっ。いくらかかったんや!」4月26日、(夜型の作家にとっては)早朝──午前8時30分。 アリスはバスタブの前でしゃがみこんでいた。 おとといから学会で東京方面に出張している火村は、それでも日付の変わった瞬間に、アリスに電話を入れてくれた。 おめでとうの言葉と共に、一緒に居られなくてごめん、という謝罪の言葉を受け取って。 メールじゃないのが残念ではあるけれど、それでも、自分にとって新しい一年の、一番最初に火村の声が聞けて嬉しかった。 後日、埋め合わせするからという火村の言葉に、気にするなと返して電話を切った。 一応お祝いだからとワインを1本開けて、幸せな気持ちでふとんに潜り込んでから5時間後、アリスはしつこいドアチャイムの音に起こされた。 訪問者を確認して、宅配なら良いかと、パジャマ代わりのスウェット姿でドアを開けて、アリスは腰を抜かしそうになった。 花屋に頼まれたという宅配業者は、2人かがりで大量の深紅の薔薇をアリスの部屋に運びこんだのだ。 アリスが唖然としている間に、彼らはぺこりと頭を下げ、部屋を後にした。 優に300本は超えるだろうという大量の薔薇を飾れる程の花瓶が、推理作家の、しかも男の部屋にある筈がない。 途方にくれたあげく、アリスはバスタブに少量の水を張ってそれを活けておくことにした。 細かいことを考え出してしまうと、再び途方にくれてしまいそうだったので、アリスは取りあえずその作業を先に済ますことにした。 廊下と風呂場を数度往復して、ようやく最後の1束をバスタブに入れたとき、深紅の花の間になにやら白いものが挟まっているのが目に入った。 この状況で、そんな風に出てくる物は、メッセージカード以外にある筈もなく。花屋からくる薔薇の棘はとってあるだなんてことを知らないアリスは、そのありもしない棘に怯えながら、カードを引っ張り出した。 『愛をこめて』 カードの中心には、そのひと言。 アリスはたまらずしゃがみこみ、頭を抱えた。 そして、冒頭の台詞を叫んだ後、ぼそりと呟く。 「火村、方向違っとるって……」 2003.04.26
……えらくばかっぽい話ですね。 否、火村ではなく私が。 |