常識外れな動機
「よぉ、売れない推理作家としてなんとか一本立ちしている有栖川先生。ネタ切れか?」 北白川の下宿の部屋に一歩踏み込んだ途端、その部屋の借り主がなんとも失礼な台詞を私に向かって投げ掛けた。 「あほ抜かせ、論文に煮詰まってるかわいそうな悪友の陣中見舞いにきただけや」 言って、私は右手に持っていた紙袋を差し出した。 袋の中身はうちの近所で最近うまいと評判のデリカのロールサンド。 これなら片手に持ちながら書き物ができるだろうし、口にくわえればキーボードだって打てる。ながら食事をするのに打ってつけの品だ。 「よく言うぜ。たまには自分じゃなくて人が産みの苦しみ味わってるの見物したくなっただけだろ。悪趣味だよな〜」 当然のような仕草で差し出された袋を受け取りながら、火村が憎まれ口を叩く。 ありがたいと思っているなら、素直にそういえばいいものを。 私は、気分転換を兼ねているらしい、火村の攻撃を受けてたった。 「悪趣味なのは、君が今着とるシャツの方や。なんでシーザー柄やねんっ」 「おお、さすが腐っても推理作家。よくこれが狛犬(こまいぬ)じゃなくて、シーザーだと見抜いたな」 「簡単な推理だよワトスンくん。なぜなら、そのシャツにはシーザーの他にゴーヤとサトウキビももプリントされているじゃないか。って、そういう問題ちゃうわ。そんな代物どこで手に入れてきたっちゅーねんっ」 本当に疑問だ。 そんな柄の服が欲しくなる日は一生こないと断言できるが、(とある推理小説の語り手の真似をして)百億歩譲って(実際に声に出すと言いにくくて口が四角くなるらしい)仮にそんな日が来たとしよう。 その時、一体どこへ出向けば、それが手に入れられるのか、私には皆目見当もつかない。 そんな私の疑問に火村はあっさりと応えた。 「沖縄物産展」 「……そういうところで買物するなら、泡盛とかシークヮーサーとか青パパイヤとかにしとけや。なんで、沖縄物産展で服、しかもわざわざそんな柄のヤツ買わなあかんねん。前々から君のファッションセンスには疑問を抱いとったけど、ここまでくると、さすがの俺も君と並んで歩くのを躊躇するで」 「誰も一緒に歩いてくれだなんて頼んでねぇよ。それにさすがというなら、さすがに俺だってこんな服着て外は歩けない。もっと言うなら、これは俺が買ったものじゃない」 「……誰がくれたかを言及するつもりはないけど。やっぱ、問題は君自身にあるんとちゃうか。普通の人間はそんなもの貰えないぞ」 私の言葉を聞いて、火村はやれやれとため息をついてみせた。 「だから、お前はホームズになれないんだよ。沖縄物産展で買うべきものの一例としてお前があげた、泡盛とシークヮーサーと青パパイヤ。まあ、泡盛は良しとしよう。更にシークヮーサーも結構メジャーかもしれない。だけど、普通とっさに青パパイヤは出てこないだろ。お前の口から青パパイヤだなんて単語が出ていたのは、最近それを目にしたからだろ」 「あっ! じゃあ…」 「そう、朝井女史が宅急便で送ってきた。それこそ青パパイヤと一緒にな」 「君、油断のならんやっちゃな。いつのまに彼女と住所交換なんてしとったんや」 別に個人の交友関係をとやかく言うつもりはないが、私の知らないところでふたりが連絡を取っているというのは、少々疎外感を感じる。 ──って、子供か、俺は。 と、少々自分を反省しかけたところで、火村が呆れた様子で口を開いた。 「そんなことはしてない。犯人はお前だ」 「はっ? 俺? 言い掛かりも程々にしとけよ。俺は本人の許可なしに、他人の住所や電話番号教えたりせんわ」 「紳士録にこそ載っていないが、俺の住所は英都の卒業生名簿に載っている。しかも卒業生名簿と教員名簿にダブルで。お前、それ、彼女に貸さなかったか」 「……貸した。自分じゃ思いつけんような名字やら名前やらを捜したいから言うから。朝井さんとこは、ここ10年ばかり卒業生名簿が発行されとらんらしい。ここ20年ばかりやろ、ワープロで一発変換できんような凝った名前が増えだしたのは」 「ほら見ろ。犯人はお前じゃないか」 「ちょい、待て。確かに女史がお前の住所を入手できたのは俺のせいかもしれん。でも、君がそんなシャツを贈られるのは俺のせいちゃうやん」 私の言葉に、火村はゆっくりと首を横に振って、煙草に火を点けた。 「これも、やっぱりお前のせいだ。お前、朝井さんが冗談でお前に贈った虎と竹がでっかくプリントされたシャツ、見事に着こなしやがっただろう。あれ、後輩作家の困る顔が見たくてやった、結構金のかかった嫌がらせだったらしいぞ。くやし〜ってんで、リベンジを目論んでこのシャツを買ってみたものの、またうっかり着こなされたら立ち直れないから、と思い直して、俺に送りつけてみたらしい。いいとばっちりだよ」 「うっかりて……」 私は言葉を失った。 つまり、それは、『おお、虎だ♪』と私が素直に喜んだ時点で、彼女の目論見は見事に失敗したということなのか。 作家仲間が集まった呑み会で、「1万5千円もしたんやらから、ありがたく着なさいよ」と、朝井女史からそのシャツを貰った私は、るんるん気分でそのシャツに袖を通し、結局そのまま着て帰った。 思い起こせば、あの時の彼女は、ちょっと苦々しい表情を浮かべていたかもしれない。 いや、彼女だけではなく、他の作家仲間も言葉を失っていたような── しかし、それは── 「自分が楽しみたかっただけなんだろうが、誰かに物を贈る動機としては常識外れだよな。これだから、女ってのは怖い」 火村の言葉に私は頷いた。 確かにちょっとした悪戯で他人を驚かせるのは面白いが、私ならそんなことの為にここまで金はかけない──というより、かけられない。 私は、彼女に同情しつつ口を開いた。 「でも、火村。そのシャツ、柄は確かに変やけど、君が着てたら、そんなんもアリかないう風に見えるのは、俺の気のせいか?」 私の問いに、火村は煙草をくわえたまま、両掌を上に向けて、首を左右に振った。 「残念だよアリス。気のせいであって欲しかったんだけど、実は俺も少しだけそう思った」 ──揃いも揃って…… 私は、心の中で朝井さんに謝罪した。 ご期待に沿えなくてすみません──と。 2004.06.17 _
ご期待に沿えなくてすみません── |