禁断のシュークリーム
「あっ、そうや。真野さんから貰ったシュークリームが残ってるんやけど、食うよな」 「食う」 本日の火村の来訪理由。 十五夜だから── 今時、カップルだってそんな理由じゃ会ったりしないと思われるが、火村には火村なりの事情があった。 篠宮の婆ちゃんにそういう理由で、昨夜、団子とススキを私のマンションに届ける役目に任命されたらしい。 友人の下宿の大家にまで私は食糧事情を心配されているというのか、と少々情けなくはなったものの、好意は素直に受け取ることにした。 ベランダにススキと団子をセッティングして、贅沢にも吟醸酒を燗につけ、食事と酒を楽しんだ。 そして、今はデザートタイムに突入しようかという頃合い。 「なんや、知らんけど、知る人ぞ知るってシュークリームらしいぞ。ケーキ屋やなくて、パン屋で売ってるらしいわ」 ダイニングテーブルの上に出してあった、シュークリームの箱の中には、まだ4個ばかり中身が残っている。 昨日、真野さんに預かっていたカナリアの身代金代わりとしてせしめた物だ、というのは冗談で、単なる出張土産だ。 普通のものよりかなり大きめのそのシュークリームは、中のクリームもとんでもなく詰まっていて、甘い物が平気な私でさえ、昨日と今日1個ずつ食べるのが限界だった。 しかし、私が一人暮らしだと知っていて、こんなに大量にシュークリームをくれるとは…… さては真野さん、私を太らせてから食うのが目的か……。 そんな訳はない。 単にこれ以下の単位では箱詰めしてもらうのが忍びなかったというのが真相だろう。 皿に盛りつけ、あえてフォークは添えずにコーヒーと共に火村の前に出す。 「でかいなこりゃ。なんだよ、ご丁寧に皿なんかに盛りつけて。まだ綺麗だろ、しまっとけ」 と、シュークリームを手づかみし、皿を返して寄こす火村に首を振る。 「必要だから、出してあるんや。持って解らん? そのデカい皮の中にはずっしりとクリームが詰まっとるんや。どんなに注意して食ってもあふれ出るくらいにな」 「……アリス、さてはお前、やったんだな」 「そんなあきれたような視線で人を見るけどな、俺に注意されんかったら、君も絶対同じ目にあってたわ。それは、そういうシュークリームや」 「そりゃ又、危険なシュークリームだな」 「ああ、危険だ。せやけど、危険を冒す分、美味い。フグみたいなシュークリームや」 「他にたとえはないのかよ……。で、お前は食わないのか?」 「流石の俺でもこのシュークリームは1日1個が限界や。まあ、せいぜい気を付けて食ってくれ」 バイバイと後ろ手に手を振りながら、私は猫舌用ではないコーヒーを入れに行くためキッチンへと向かった。 趣のある手動のコーヒーミルでコーヒー豆を挽く。 余談だが、私はこの作業が必要以上に好きなのだ。ゴリゴリとした感触と共に、コーヒーの香りが立ち上ってくるこの瞬間、自分でもちょっとしたフェチかもしれないと感じる程だ。 「アリス! アリスっ!」 うっとりと作業に没頭しているところへ、火村から何故か切羽詰まったお呼びがかかる。 仕方なく作業を中断してリビングへ向かう。 「なんや火村。こぼしたんか?」 問いかけた私の前に、ヌッっと歯形がついたシュークリームが差し出される。 「これ、腐ってないか?」 へっ? そんなばかな。 「俺が夕方食った時はなんとも無かったで。まさか5時間かそこらで腐るか?」 「だって、酸っぱいぞこれ」 「あほ、そういうシュークリームや、もともとクリームに酸味がついてんのや」 私の台詞に火村は首を傾げた。 私の前に尽きだしていたシュークリームを引き寄せ、臭いをかいで再び首を傾げ、舌先でペロッとクリームを舐め、今度は上下に首を振る。 「そういう本来の酸味なら、俺にも解る。食べて見ろよ」 再び突き出されるシュークリーム。 その歯形付きのシュークリームを私にも食べろと言うのか? 飲み物の回し飲みや、スプーンの共用ならともかく、こういう物についた歯形というのは生々しすぎる。 否、別に私的には火村の歯形がついていうが、唾液が付いていようが、別にそれが嫌だということはない。しかし、極く普通の友人としてはここは拒否反応を起こすべきか否かというところで悩んでいるに過ぎない。 考えたあげく、火村からシュークリームを受け取り、指でクリームをすくって舐めてみる。 なんやこれっ! 「悪い、火村。腐っとるわ。胃薬飲んどくか?」 「一口囓っただけだから、大丈夫だろ」 「……ごめんな、火村」 うなだれた私の髪の毛をを火村が右手でぐしぐしとかき回す。 「これがわざとっていうんなら、只じゃおかないところだけどな。まあ、腹が痛くなったところでアリスが責任持って看病してくれるんだろ」 ええ、それはもう、誠心誠意。 「もちろんや! 有栖川有栖の作家生命にかけて誓うわ」 「ばか、そんな足下の危うい物に誓う気か」 「初恋の人だの、未来の妻だのよりはマシや。……じゃあ、これならどうや? 俺が世界で一番愛してやまない人の名に誓ったるわ」 「誰だよ、そりゃ」 「エラリー・クイーンや」 「そりゃ、クイーンに迷惑だろうが」 「もっともやな」 うまくオチがついたところで、ふたりそろって笑い声をあげる。 「お詫びに美味いコーヒー入れ直すわ。コーヒーがくさってるってことはまずないやろ」 キッチンに向かいつつ、考える。 もし仮に、神の代わりに誰かに何かを誓うなら── それは、世界で一番愛してやまない人── きっと、その名は火村英生── 火村頼むから、私以外の誰かに、食いかけのシュークリームを味見させるのはやめてくれ。 そんなまぬけな状況を作り出す人間は、私以外にそうは居まいと思いつつ、思わぬ不安を抱いた今日の出来事。 ああ、禁断のシュークリーム── 2002.09.16
この話、何が目的かだなんて、聞かないでくれるとすごく嬉しい。 |