one and only
「ねえ、有栖川さん」 「ん? 何?」 来春からの短期集中連載予定の打ち合わせと古本屋巡りを兼ねて、私は東京を訪れていた。 例によって例の如く。宿泊先は我が偉大なる担当者片桐氏の2DKだ。 仕事が退けた彼と居酒屋で食事を済ませ帰宅。現在は片桐宅の冷蔵庫のビール4本程減った頃合い。 四方山話も尽きてきた頃、不意に彼が問いかけてきた。 「火村先生ってどんな人なんです?」 「どんな人も何も、片桐さんも会うたことあるやないの」 私には犯罪学者のブレインが居る──まことしやかに同業者の間で囁かれているこの噂のせいで、火村に興味を持つ者は少なからず居る。 大抵の場合は『薦められん。口が悪くて人当たりも悪い』とやり過ごす私だが、彼は竜胆紅一氏の件で火村と対面した経験がある。 「そりゃあ、どんな顔した人で、本当に鋭い人だってこと位は解りますよ。でも、一見しただけで、全てが解るってもんでもないでしょう。なんか奥が深そうじゃないですか、火村先生って」 片桐の言葉に私は笑みをこぼした。 確かに火村は奥深い人間だが、それを言うなら、奥深くない人間などこの世に存在しない。 多かれ少なかれ、人は人である限り、謎めいた部分を隠し持っているものだろうと私は思う。 「ああ、確かに奥は深いわ。お世辞にも紳士と呼べるような人間じゃなく、性格は屈折している。友人と呼べるのは俺くらい。しかし、溢れる才能の持ち主で、犯罪学者というだけやなく、法律学、法医学、心理学にも造詣が深く、語学も堪能。文学、歴史、音楽、映画、美術、天体観測、オカルティズム……」 「ちょっとちょっと、有栖川さん。そんな今までに3回は聞かされた早口言葉じゃなくて、もっと真面目に答えて下さいよ〜」 指折り数えつつ、いつもの調子でたたみ込もうとしている私を、片桐は慌てて遮った。 「俺は大いに真面目やけど」 「まあ、いいですけどね。そんな上っ滑りした情報を息継ぎもしないでまくし立ててまで、火村先生を出し惜しみしたいなら、僕はこれ以上は聞きませんよ」 「なんか含みのある言い方やん。冗談抜きで友人として火村の評判を落とさんと話せるのはこんなこと位しかないわ。口は悪いわ、人当たりは悪いわ、服装の配色は変だわ、きちんとネクタイを締めることを知らんわ、女嫌いだわ、部屋は散らかし放題だわ、折角進呈した俺の本は逆さにしまいやがるわ、朝一番の講義は苦手だわ、そのくせ猫だけには優しいわ、あげくにヘビースモーカーだなんて、とても話せたもんやない」 「って、言ってるじゃないですか。まあ、よくもそこまで言いたい放題言いますね。本当に友達なんですか」 「もちろん友達や」 間髪いれず答えた私を見て、片桐は僅かに目を見開いた。 「まあ、友達だからそれだけ言えるんでしょうね。じゃあ、こう聞きます。表現が悪くなりますけど、有栖川さんにとって火村先生と付き合うメリットってなんなんです?」 「メリットって……、片桐さんは何かメリットがないと人と付き合わんの?」 「いえ、例えば、この人と付き合ってると映画のタダ券が手に入るとかそういうんじゃなくて、僕、思うんですよ。一緒に居て不快じゃないってこと自体が既にメリットじゃありません? 誰だって、嫌な思いをする相手とは一緒に居たくないでしょう。ましてや、一緒にいて楽しいとか楽だとかいうなら、それには、それなりの理由がある筈なんです。僕が有栖川さんと作家と担当編集者という枠を超えて付き合ってるのだって、有栖川さんと話すのが楽しいからですよ。話が合うっていうのは一種のメリットでしょ」 片桐の話に私は頷いた。 確かに『友人としてのメリット』という表現にあまり良い印象は持てないが、言っている内容には一理ある。 しかし── 「……メリットねぇ〜。確かに火村とは話が合わんこともないけど、それが理由で付き合ってるわけやないし、奴の探偵譚を作品に流用する訳やないから、それが理由でもない。海外旅行の時ならともかく、普段の生活の上では語学力も関係ない。う〜ん、なんでやろ。強いて言うなら、火村が火村だからやないかなぁ〜」 自分で言っていて訳が解らない。 というより、自分だけが知っている火村を語ろうとも思わないし、語ったところで他人に理解してもらえるとも思えない。 核心部分を避けるからこの様な表現になってしまうのだ。 「有栖川さん……。それって、凄い理由じゃないです?」 「そう?」 「そう? じゃ、ないですよ。その分だと一晩中かけて有栖川さんを問いただしたところで、火村先生の良いところっていうのは、解らないでしょうね。だって、有栖川さん自体が意識してないんですから」 目を丸くする片桐に「そうかも知れんね」とだけ応え、勝手知ったる冷蔵庫に3本目のビールを取りに向かう。 片桐は自分勝手に納得した様だが、実際は前述したとおり、私に話す気がないだけだ。 つまり、以前赤星にも指摘されたとおり、いわゆる出し惜しみというヤツだ。 なぜなら── 他人に解らない火村の魅力を、わざわざ自分が宣伝して、いたずらにライバルを増やす必要はないから。 他の誰でもない── それは、私だけが知っていれば良いのだ── 2002. 11. 03
……火村が、火村が出ていない。 |