こんな夜に……
「じゃあな」 贅沢ついでにタクシーで火村を下宿まで送り、車の中から声をかける。 「ああ、ご馳走になった。うまかったよ」 手を振ることはしないまでも一応見送ってくれる火村を残し、私を駅へと送り届けるためにタクシーは動き出した。 「△×○□◇」 見送る火村が何かを言ったのは、見て取れたが声までは聞き取れなかった。 唇の動きからして「寝るなよ」といったところか。首を傾げて少々思案したものの、結局は後で本人に確認することにして、私はシートに沈み込んだ。 本当ならば、酒でも買い込んで火村の下宿に雪崩れ込み、日付の変わった瞬間に、おめでとう──否、お悔やみか?──を言ってやりたいところだが、相手は私と違ってまっとうな勤め人。しかも、明日は苦手な朝イチの講義が入っているとなれば、無茶も言えない。 今思えば、学生時代は随分と長い時間一緒に過ごしていたんだなぁ〜等と、昔を思い出してしまうのは年をとった証拠だろうか? 子供じゃないのだから、いつもいつもそばに居たいとは思わないものの、淋しくなるのは特別な日でさえ一緒に居られないこんな瞬間だ。 否、特別な日ではなくとも、例えば我が家に遊びに来ていた火村が帰る姿を見送る時にも一抹の淋しさを感じる。 そう思える内が華なのだろうと思いつつも、私はこれからもずっと──多分、一生──火村の背中を見送る時、ちょっとだけ淋しくて悲しい思いをするのだろう。 特に、こんな特別な夜は。 しみじみと、今日見送られるのが自分で良かったと思う。 私が火村を見送る方だったなら、その淋しさはこんなものじゃなかっただろう── 「すいませんっ、止めて下さいっ」 そのことに思い当たった瞬間、私は叫んでいた。 タクシーの運転手が、急ブレーキをかける。 「どうかしましたか、お客さん」 「あっ……、すいません、忘れ物です。先刻ひとり降ろしたところまで戻って貰えますか」 私の言葉に頷いた後、運転手は車をUターンさせ、元来た道を戻りだした。 その後部座席で、私はついつい笑ってしまう自分を押さえられずにいた。 そう、この夜を一緒に過ごせないことが淋しいのは私だけではなかったのだ。 タクシーが走り出す瞬間、多分わざと聞こえない様に告げられた火村の言葉は── 『帰るなよ』 FIN
だから何? って感じですね。 |