Similitude

「あっ、火村ここや」
 待ち合わせのバーの入口付近で、ゆっくりを辺りを見回す長身の男に、私は片手を上げて合図した。
「何だよ、一人寂しくしょんぼりと呑んでる男を捜したもんだから、気づけなかったじゃないか」
「しょんぼりは余計や。遅れて来といてひどい言いぐさやな」
「で、誰だよあれは?」
 彼がやってくるのと入れ違いに私の隣の席を立ち、カウンターからボックス席に向かった女性の背中を親指で指さしながら、火村が問う。
「お仲間や」
「なんだ。クイーンマニアかなんかかよ」
「違う。ある意味マニアではあるけど」
「もったいぶるな、話したいんだろう。早くしろよ、映画は諦めるっていうんなら、俺はかまわないが」
 バーテンダーにバーボンの水割りをオーダーしつつ、火村はそっけなく言った。
 それは駄目だ。壮大なファンタジーを存在しない時間に見るというのが、この企画の醍醐味なのだから。
 慌てて私は彼女との出会いを話すことにした。
「実はな……」

*   *   *

 私が火村とこのバーで待ち合わせをしたのは、26時という本来存在しない時間に映画を見に行く為だった。いくら宵っ張りの推理作家とはいえ、こんな時間に映画につきあってくれる友人の持ち合わせは、ほとんどない。
 もちろん、いくら十年来のつきあいの火村だからといって、普通の状態ならばこんな酔狂な企画につきあってはくれない。それが、魔法使いと白フクロウが出てくる、あの映画ならば尚更だ。
 しかし、ありがたいことに、私には先月彼に6日連続して我が家を宿として提供したという貸しがあったのだ。
 一度自宅で落ち着いてしまうと、深夜に映画にでかけるのが面倒になるかもしれないという危険性を避け、待ち合わせをこのバーに定めた。
 火村から携帯に着信があり、それに出るため店の外に出ると、先客が居た。それが彼女。
 お互いに背中を向けて電話をしていたのだが、私たちが偶然にも同時に口にした『事故渋滞?』という言葉は聞き逃しようがなかった。
 ほぼ同時に通話を終え、どちらともなく視線を交わす。
「最悪。少なくてもあと1時間は待ちぼうけ」
 肩をすくめて彼女が言う。
 意外なことに──何がだ?──彼女の発音は標準語に近しいものだった。
「私は後40分というところでしょう。もう、車は流れ出してるようですから」
 待ちぼうけをくらわされている者がふたり居て、離れた処に席をとる理由はない。
 私たちはカウンターに隣り合って座った。
「あ〜あ、こんなことなら先方戻り直してから来れば良かった。おかげで明日も出勤だわ」
 彼女が何気なく言った言葉は、私にとって随分懐かしいものだった。
 こんな言葉が出てきて、女性がこの時間まで仕事をしている職種は限られる。私が数年前まで営業をしていた業界である。
 これをきっかけに、話は急に盛り上がりだした。
 業界ネタは地方ネタと同じくらいに話せる人間が限られる。
 面倒な注釈なしに『ココが変だよ印刷業界』というテーマで大いに語り合える人間とは、同僚以外にそうは出逢えるものではない。
 更に話が進むにつれ、彼女が関東圏に本社がある印刷会社からこちらの営業所に出向していること、私の隣人と同様30歳までにはまだ数年あること、この後の予定が私と全く同じ理由で、同じ映画に行くことだということまで判明した。
 まさかこんな理由でこんな時間に映画にいく人間が他に存在するとは思っていなかったので、私は彼女の感性に大いに感動した。
 それこそ、『理解』ではなく『共感』できる感性の持ち主はそういるものではないからだ。
 この待ちぼうけはお互いにとって、有意義なものになったと、少なくても私は信じたい──

*   *   *

「へぇー、いい出会いじゃねぇか。ちゃんと電話番号はきいたのか? これを逃したら、そんな変な企画を立てる女は二度と現れないかもしれないぞ」
「変なとはなんや。感受性が高いと言え」
 私の言葉に火村はあきれた様に片眉を上げる。
「はいはい、物は言い様ってね」
「それにだ、立てた企画は一緒でも、彼女の相手は異性だってところが俺らとは全然違うところや」
「自分で無理矢理誘っておいて、俺らって勝手に括弧でくくるなよ。しかしまあ、それ聞いて弱気な有栖川先生は、口説きもせずにあきらめたって訳か」
「口説くもなにも……。俺らが何の話で一番盛り上がったかを知っとったら、そんな台詞は出てこん筈や」
「あのなぁ、俺のいない処で交わされた会話を俺が知っている訳ねぇだろう」
「だろうな。話しとらんもん。聞きたいか?」
「うるせぇなあ。話したいなら話せ。もったいぶりたいならいつまでもしまっておけ」
 心なしかイライラしている様子で、火村はキャメルをくわえ火を点ける。
「まあ、そう言うな。一番イイトコの前で引っ張るっていうのはお約束や」
「お約束ねぇ。待てよ、お前先刻彼女のことをある意味マニアだとか言ってたな」
「おっ、イイ線つくやないか」
 火村はゆっくりと人差し指で唇をなぞりだした。私が彼に同行する事件現場で良く見かける光景だ。
 さて、考えはまとまるかな?
「ってことは一般受けはともかく、ある特殊な集団の中では盛り上がる話題だってことだよな。そしてアリスもその話題で盛り上がれる。推理小説マニアならクイーンマニアかと尋ねた時点であんな思わせぶりな言い方はしない筈。となると……」
 火村は口に出して思考の流れを整理していた。
「鉄道マニア? 否、それならある意味じゃなくて、確実にマニアか。ならば、鉄道に関係はするけど鉄道マニアじゃないっていうのはどうだ。時刻表マニアとかか?」
「……火村、俺が間抜けな推理を披露している時の君の気持ちが少し解った気がするわ。時刻表の話で盛り上がるって、アレか? この時刻表は見やすくて表紙の写真も素敵だ。レイアウトのセンスがいいとかって話し合うんか?」
「ばか、時刻表マニアってのは本当に存在するんだぜ。鉄道ミステリも書いたこともある有栖川先生、そんな事も知らなかったのか?」
「……知らんかった」
 私には時々こういうことがある。
 知らなくてもいいような事は良く知っているくせに、職業柄知っていて当然の物がスカッと抜け落ちていたりするのだ。
「まあ、落ち込むな。一般人に読めない時刻表なんてないんだから」
「いよいよ悲しくなるから慰めるな。それより火村、先刻の……あかん、時間切れや」
「俺が聞いていた上演時間までには後小一時間あるぞ」
「違う、あれ見てみぃ」
 とある男を指さし、火村の視線を誘導する。
 私は目にした瞬間、彼が先程の彼女の待ち人だと確信した。
 そして、その証拠に、彼女が手を振って彼に合図している。
「彼女の待ち人が到着するのが、どうして時間切れなんだよ」
 不審そうに火村が呟く。
「言わずもがな。あれが答えやからや」
「ふーん、なるほど。口説く間もなく彼氏の自慢をされた訳か」
 やれやれ情けない友人だ、とでも言うように軽く肩をすくめ火村が失礼な発言をする。
「話は盛り上がったといったやろ。いくら俺でもそんな話じゃ盛り上がれん。なあ、彼、ちょっと見いい男やろ」
「さあな。お前がそう思うならそういうことにしておけよ」
「じゃあ、そういうことにしておく。これでも審美眼にはちょっとした自信があるんや」
「審美眼ねえ。一般人における審美眼っていうのは個人的な好みのことを差すんだぜ」
 相変わらず火村のコメントは小憎たらしい。
「じゃあ言い換えるわ。君いわく俺の個人的な好みとしては、俺の連れもいい男の部類に入るんや」
「やけにおだてるじゃねぇか」
 当然『必殺(?)、皮肉返し』をお見舞いされると思っていたらしい火村は、裏は何だ? と探るように返答してきた。
「別におだてとらん。俺と彼女は『ちょっと見いい男のくせに、服装に無頓着で、扱いにくくて、女に興味がなくて、ヘビースモーカーで、ものすごく口が悪い』友人を持った人間の前途多難について熱く語り合ってたんや」
 息継ぎもせず一気にまくしたててから、そっと火村の表情を盗み見る。
 その表情にほとんど変化はなかったが、僅かに目が見開かれているのを私は見逃さなかった。
 が──
「それが本当なら、前途多難なのは彼女だけじゃねぇか」
 新しい煙草に火をつけながら、火村はそっけなく言った。
 じゃあ何か? この気むずかしい友人と長年付き合っている私は大変じゃないとでもいうのか?
「そのこころは?」
「お前がまくしたてた俺と彼に共通するらしい属性は、俺達の間では殆ど支障がないという実績があるが、彼女が彼の恋人になるには大変支障があるじゃないか」
「否、そういうことやなくて……えーと」
 考えをまとめるために滞った私の言葉尻を火村がひったくった。
「結局はそういうことなんだよ。良かったな、彼女よりアリスの方が一歩リードだ」
 何をふざけたことをと思うが、確かに火村の発言に基本的に間違いはない。 
「嬉しいんだか悲しいんだか判断に苦しむ事実やな」
「素直に喜んでおけよ」
「やっぱ、何か騙されてるような気がするわ」
「下手に事実を知るより、人間騙されっぱなしの方が幸せなこともあるさ」
「詐欺師か君は」
「ある意味そうかもな。アリスにはかなわないけど」
「……確かに」
 何年後かにはひっくり返されるかもしれない危険性をはらむ学問を教えるという、火村の職業も詐欺みたいなものだが、最初からほら話を書いて収入を得ている私の方がより詐欺師に近い。
「さて、そろそろ行くか」
 火村がキャメルを灰皿に押しつけるのを確認して、私は立ち上がった。
 もったいぶった割には、思ったような──どんなことを思っていたのかは私にも解らないが──火村の反応が見れなくて残念な結果である。
 私は伝票を片手にチラリと前途多難なカップルに視線を流した。
 彼女が私に気付いて目礼をする。
 なんてことはない、つまりは火村の言う通りなのだ。
 同じような感性の持ち主である私には、彼女の考えていることが手に取るように解る。
 きっと──否、絶対彼女はこう思っているはずだ。
 ──あなたの連れもなかなかだけど、私の連れの方がちょっとだけ上ね──と

2002.06.30

いきなりアリスに女性が絡んでいるので、読者には嫌われるか?
こういった短編では、大抵そうなんだけど、最後の一行だけが書きたくて作った話。
つまり、アリスも自分の連れの方が上だと思ってる訳ですね。
万が一、解って貰えなかったら悲しいので、一応補足してみました。

● Alice top ●


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