Similitude 2
「別に悪くないって。私でさえ、あの服のセンスはどうかと思うもの。一体どこでどうやって、ハス柄のシャツなんか見つけてくる訳? アレみた時、私、思わず倒れかけたもん。ほんっとにもう、ありがたくて涙が出たくらい。もちろん、手を合わせて拝んでやったわよ。つーか、あんた、どこの仏様だよって感じ?」 ──そりゃあ、拝みたくなるやろな。 行きつけとまではいかないまでも、それなりに利用頻度の高いバーのカウンター席に腰掛けて、私は背後から聞こえてきた女性の声に、心の中で相づちを打った。 私が現在ここで待ち合わせをしている友人のファッションセンスも決して誉められたものではないが、ありがたいことに、そんな面白い柄のシャツを羽織って私の目の前に現れたことはない……まだ。 もちろん、私のそんな心の声が彼女らに届く筈もなく、私の背後では女性特有──というのは私の偏見か──のその場に居ない人批判が続く。 「そう? ならいいんやけど。実はあんたが彼のあの恰好に納得してるて言うたら、どうしようかと思うてた」 「納得してなくたって、私が彼の格好に口出す権利はないもん。っていうか、私が言ったところで、絶対に言うこと聞かないし。知ってた? あれはあれなりに服装にこだわりあるらしいよ」 「嘘っ、あれで? 信じられへん」 「柄は変だけど素材はいいの。いい物ほど長く着られるからだってよ。彼の冬物のコートなんて驚きの10年物よ、10年物。お前のコートはワインか、それともウィスキーかって突っ込んでやろうかと思ったわ」 「……なんか、そのこだわり、ちょっと方向違ってへん?」 「ちょっとどころか大いに方向違ってるつーの。今時、40代の子持ちパパの方がもうちょっとまともな格好してるっての」 「確かに。うちの会社も営業以外はその辺の学生みたいな格好してる奴ばっかりやけど、流石にあそこまで酷いのはいないしね。ってゆーか、勿体ないわ。彼、ちょっと見いい男なのに。まともな格好してたら、絶対モテるて」 「う〜ん。世間一般的にはそうかも。私的にはあんまり好みの顔じゃないけど。それに、まともな格好してたって、あいつ、とことん駄目人間じゃない? 口は悪いわ、扱いにくいは、ヘビースモーカーだわ、人んちのカーペットに煙草の焼けこげ作るは、コーヒーこぼすは、酔っぱらってゲロ吐くは、あげくに実家にパラサイトしてる売れないイラストレータだなんて、人生ナメてんのかって感じじゃない?」 立て板に水──というのは、まさに今の彼女の語り口調の為に作られたような言葉だ。 次から次へとよくもまあ、そんなに並べられるものだと感心するくらい、淀みなくその彼とやらの欠点──中には彼女の個人的な被害も混じってはいるが──をあげつらう。 ──せやけど、どこかで聞いたことのある話やな…… と、一旦人の会話が気になり出すと、とことん気になってしまう野次馬な私は、待ち人がやってこないか入口を確認する振りをして、さりげなく視線をそちらに流した。 「あっ」 思わず、小さく声を上げてしまい、私は慌ててカウンターに向き直った。 ──彼女だ…… 以前は長かった髪が、今は顎の下あたりで切りそろえられているものの、あんなに意気投合した彼女を顔を見間違える筈がない。 しかも、ここにやってきている時期が時期で時間が時間。状況証拠が私の頼りない記憶の後押しをしてくれている。 火村にかかると全部がどこかで聞いたことのある設定で底が浅いという具合に、けちょんけちょんにけなされてしまうが、世間では大人気のファンタジー映画。 彼女と偶然言葉を交わすことになったのは、その第1作目を26時から見るために火村と待ち合わせをしている時だった。 そして今夜、私がこのバーに居る理由は、前回彼女と出会った時と全く同じものだった。 私の場合、平日の真昼にだって作ろうと思えば簡単に時間を作れるし、映画を一人で見たくない訳ではないのだが、このシリーズだけは別だ。 実は最初の時に味を占めたのだが、この手の人気映画は平日の昼間よりも、土曜の25時30分だなんて本来存在しない時間に見るのが一番だ。 公開から3週間も経つと、終わる頃には外が明るくなろうかという時間帯に上映されるこの回には殆ど客が入っておらず、貸し切り状態な上にレイトショー料金で見られるからだ。 そして、私に無理矢理誘われたポーズを取る火村が、映画を見終わった途端、ロビーで速攻煙草に火を点けながら、映画の内容を批判する様子が、これまた楽しいのだ。 だからこそ、私は毎回このシリーズに火村を誘うし、ぶつくさ言いつつも彼がそれに付き合ってくれるのは、意外と綿密に伏線が貼られているこの話を口ではけなしながらもある程度評価しているからだろう。 本当に素直じゃない奴だ。 「それにさ、1作目に誘った時には、『まあ、割と見れたんじゃない』とかなんとか素っ気ないこと言ったから、次回は誘わないで一人で行ったら、1週間後にあからさまに見たそうな素振りで『今回はコレ行かないの?』って聞いてくるなんて、何ソレって感じじゃない。仕方ないから見に行ってない振りして付き合ってやったわよ。ったく、ほんっと、素直じゃないんだからっ。つーか、行きたいなら私に誘われるの待ってないでさっさと一人で行けっつーの!」 なんと、彼女の『彼』は素直じゃないところまで、火村と似ているらしい。 この様子では、あの時火村が指摘していた通り、彼女の恋は今でも前途多難なのだろう。 しかしまあ、なんというか…… 確かに例の彼も素直とは言い難いが、彼女だって決して素直ではないと、私は思う。 本当は、彼が自分と映画に行きたいと思ってくれたことが嬉しくてたまらないのに、あんな風に憎まれ口を叩いているのだから。 お互いに素直になれなくてなかなかうまく行かないカップルが微笑ましいのは精々高校生くらいまでのものだろう。 いい大人がそんなことをしていては、単なる時間の無駄である。 という具合に、人間、人のことなら何とでも思えるものだ。 たとえ、実際の私が、彼女と似たようなことしか出来ていないとしても。 私がそんなことを考えていると、彼女の友人が「あのさ、聞いてもいい?」と目の前の人物に向かって話しかける声が聞こえてきた。 そして、その質問が終わるか終わらない内に聞こえてきた彼女の返答に、私は思わず持っていたカクテルグラスを取り落としそうになった。 「好きだけど」 何をどうしたら「聞いてもいい?」に対する返答が「好きだけど」になるのだろう? その会話に脈絡が見いだせなかった私の耳はますますダンボになってしまう。 「……そう、ならいいんやけどね。あんたの発言聞いとると、時々確認したなるんよ。そんだけ悪口並べたてとって、ほんまに彼のことが好きなんやろかて……」 「まあ、我ながら確認されても仕方のないこと言ってるとは思うけどね。ただ、これだけは言える。この先、他に好きな人が出来ることはあるかもしれないけど、ここまで好きになれる人は絶対に居ないって。だから気を付けてよ」 「何を?」 「それに、私が彼の悪口言ってても、一緒になって悪口言うのはいい加減なところでやめてといてってこと。自分が言うのはいいけど、他人に言われるとムカつくから」 「……それ、かなり難しいんやけど……」 「知ってる。でもそうして」 無茶苦茶な主張である。 だが、彼女の微妙な気持ちも解らないではない──というよりよく解る。 流石に彼女のように面と向かって誰かに言ったことはないが、私も似たような気分を味わったことがあるからだ。 その事実に、はぁ〜とため息をひとつついていると、ふいにポンっと肩を叩かれた。 「よっ、待たせたな。どれだけ俺が来るのが待ち遠しかったか知れないが、人目のある場所でそんなに大きなため息をつくのはやめておけ。余計にしょぼくれて見えるぞ」 なんとも失礼な台詞と共に、私の隣に腰掛けたのは、言うまでもなく火村だ。 前々回の映画の時程ではないにしても、20分も遅れて来ておいてこの言いぐさはどうだろう。 私は悪友の挑戦を受けてたった。 「君、口のきき方気をつけんと、いつか刺されるで。なんせ今夜は新月やからな」 「そう思うなら、満月の晩に呼び出せよ」 「ったく、ああいえばこういう。大体、遅れて来といてなんちゅう言いぐさや──」 いつものように互いになんの遠慮もない会話を交わしながら、私は先程ついてしまったため息を理由を頭の片隅で考えていた。 それは多分、彼女たちの会話を聞いている内に解ってしまったからだ。 私が自分自身の気持ちに気付いていなかったことに。 以前、火村は彼女より私の方が一歩リードだと言っていたが、どうやらこの2年半の間に、私と彼女の立ち位置は逆転してしまったようだ。 その差はきっと── ──こんな気持ちに、『恋』という名をつけられた分だけ── 2004.07.11
今更、有栖川創作第1作目の続編です。ちょっと、初心に戻ってみました。 |