1 「結局、そいつなんて言うたと思う? にこにこ笑ろうて、朝井さんは「お前、俺がいなくても大丈夫だろ」て振られるタイプですねやって。普通言わんでしょ、そーゆーことは。たとえ思うたとしても」 「朝井さんは男前ですからね」 「男前てなんやねんな? どうせならハンサムな女性ですからくらい言うてくれたらええやないの。ねぇ、火村センセ」 冷酒を片手に熱く語る先輩女流作家の朝井小夜子女史を、まあまあとなだめ、私──悪友の言葉を借りるなら売れない推理作家として一本立ちしている有栖川有栖──は彼女のぐい飲みに酒を注いだ。 「アリスの小説の登場人物は気の利いた台詞を言わないことで定評がありますから、それは無理というものでしょう」 小夜子の言葉を受けて、火村がたわけたことを抜かした。 学生時代からのくされ縁なこの男は、現在母校の社会学部の助教授として教鞭を取っている。 フィールドワークと称して実際の事件に関わるこの助教授を、私は臨床犯罪学者と呼ぶ。 本日は、そんな人殺しに色濃く関わる三人が集まり、今年前期の凶悪犯罪の総括──をしている訳ではない。 小夜子が楽しく酒を呑みたかっただけである。 そんな理由でいきなり後輩作家を大阪から京都まで呼び出せる朝井小夜子恐るべし。 とはいえ、小夜子と飲む酒は大抵の場合楽しめるので、私はその場を盛り上げるべく、隣の助教授にくってかかった。 「どんな定評やねんっ」 だらしなく締められた悪友のネクタイを引っ張って抗議する。 そんな私を今度は小夜子が「痴話喧嘩やないんやから」と呆れた口調でなだめ、グラスにビールを注いでくれる。 「そうそう、痴話喧嘩言うたら、この前知り合いの歴史小説家が愛人に妻と同じプレゼントしたのがバレて、えらい目に遭うたらしいわ。その先生も先生やけど、妻と同じプレゼントねだるいう、愛人の神経が信じられへん。女として負けたくない思うなら、買うてもらった物やなく、人間として勝つのが筋やと思わへん?」 彼女の問いかけに、私は曖昧に頷いた。 小夜子は最初から日本酒で飛ばしていたが、好きとはいえ彼女の様にウワバミ並とはいかない私と火村は後々を考え、ビールでお付き合いだ。 小夜子が私に注いでくれたビールは、見事にビールと泡が7:3になっていて、どうやったらこんなに器用に注げるんだ感心してしまう。 しかも酔っぱらっているというのに。 短くはないつき合いでようやく知り得たことだが、彼女の口から他人を非難するような台詞がでる時は、酔いが回っている証拠だ。 どれだけ飲んでも顔色が変わらず、いきなりトイレに駆け込む彼女の酔いの具合は判断しづらいが、あんな言葉が口をついて出てきたということは、そろそろ切り上げた方が良い頃合いだろう。 私は火村に目配せし伝票を掴むと、この楽しい呑み会をお開きにすることにした。 2 『アリス、暇か?』 翌日。例によって昼頃起きだし、あり合わせのもので昼食を済ませた私は、2時間ドラマの再放送にツッコミをいれていた。 えりも岬〜旭川間に直通バスなんて走っているわけがない。 現地で撮影していて誰も気付かなかったのかと、苦々しく画面を眺めている時に、リビングの電話が鳴り、受話器の向こうから、昨夜ネクタイで首を絞めてやった悪友の声が聞こえてきた。 「ああ、たった今暇になった」 火村に八つ当ったところでどうなるものでもないのだが、私は吐き捨てる様に彼に告げた。 冒頭部分で結構そそられたので、このドラマを見ることにしたのだが、ストーリーに関係ないとはいえ、この有様では、謎解き部分に期待が持てる筈もない。 『なら、大阪府警に来い。アリスが不満顔で見ている2時間ドラマの再放送よりよっぽどリアルなミステリーに遭遇できるぜ』 何故、2時間ドラマを見ていると解ると、訝しく思ったが、何のことはない、つい数秒前にドラマがCMに入ったのだ。誰もが知っている特徴的な音楽と共に。 解ったとだけ応え電話を切ると、私はおもむろにテレビのスイッチをオフにした。 * * * 「死体が消えた?」船曳警部の話を聞いて、私は声をあげた。 たった今、船曳から聞かされた話の内容はこうだ。 昨日昼頃、南急百貨店の屋上で、女性の飛び降り自殺騒ぎが起こった。 店員の目を盗んで、立ち入り禁止のフェンスの向こう側に入り込みビルの端から地上を見下ろしているところを、屋上で軽食も販売しているソフトクリーム屋が発見。 その店員の通報で警察がかけつけると、彼女は既に百貨店側の警備員に保護されており、屋上のベンチで身体を震わせていた。 が、新たにやって来た人間が警察官だと知ると、彼女はゆっくりと顔をあげ「人を殺しました」と言った。 驚愕する警察官に、彼女はもう一度、はっきりとした口調で「人を殺しちゃいました」と告げる。 自殺未遂から一転、事件は殺人へと転がり、捜査一課に連絡が入った。 それを受けた船曳班が取り急ぎ南急百貨店に駆けつけたものの、彼女が人を刺したという地下駐車場の車の中に、死体はなかった。 本当に殺したんですか? と尋ねる船曳に、彼女は相手を刺した経緯を詳しく語ったと言う。 彼女の言葉を受けて、一応、車内も調べてみたが、死体のあった痕跡も、ルミノール反応も皆無だったという。 「ですが、それが嘘だとは思えないんですよ。身体が痙攣したかと思うとそのうち息をしなくなっただなんて詳しく言ってますし。詳しく調べてみたいと思っていたんですが……」 「何か問題でも?」 言葉を濁した警部に問うと、横から火村が口を挟んでくる。 「その彼女の旦那がとんだ大物だったらしい」 「大物?」 「修命館大学教授、国際政治学者、神林秀典」 「大学教授か」 「ただの大学教授じゃない。国家公安委員神林和典の弟ぎみだとさ」 「国家公安委員……」 確かに、とんだ大物だ──。 「加えて彼はこう言ったそうだぜ。今回は妻の妄言でお騒がせして申し訳有りません、妻は気を病んでいるんです、ってな」 「それって……」 「そう、これ以上は調べるなってことさ」 お手上げさ、と言わんばかりに両てのひらを広げて見せつつも、火村の顔は不敵な笑みを浮かべていた。 3 「で、彼女は一体誰を殺したんや?」 私が見切りを付けた2時間ドラマが丁度断崖絶壁のシーンに差し掛かっているだろう頃合。 火村と私は府警の食堂でコーヒーを飲んでいた。 「猪口竜也、29歳。一課が裏付けを取ったところ、行方不明になっているらしい。もともとが、女の家を渡り歩いている奴で博打狂い。芸者あがりの神林夫人は、過去の過ちをネタに奴にゆすられていたと言っている。だが、住所不定な奴が相手じゃ、行方不明であっても、すぐさま今回の事件と結びつかない。警察上層部はその辺りでお茶を濁したいみたいだぜ」 「なんせ、死体がないからなぁ」 「さて、推理作家の有栖川先生にお伺いしましょう。この状況で死体を消すにはどうしたらいいと思います」 火村に問われ、私は勝手に彼から煙草を一本奪い取ると火を点けて思考を巡らせた。 「神林夫人は自分で人を殺したて言うてるんやから、彼女がした工作やないわな。すると、工作をしたと考えられるのは神林教授の方やな」 「多分。彼女は猪口を刺して直ぐに、動揺して携帯から神林教授に電話をしたと供述している。だが、彼は現場には居なかった。警察が連絡をとってようやくその場に姿を現したそうだ。携帯電話の着信記録から解ったことだが、彼女が神林教授に電話をしてから、屋上で発見されるまでの時間は約1時間。彼は夫人を捜していたと言っているらしいが、あの状況だと警察に保護願いを出すのが普通だと思わないか?」 「思う。それをしなかった分、彼には何かをする時間はあったという訳やな」 「ああ、ただ、死体の痕跡を全て消し去るのに充分な時間があったとは言い難い。その辺りをクリアする方法を教えてくれ。もちろん、咄嗟に思いつくことが可能なことでな」 私に無理難題を押しつけて、火村は自分も煙草に火を点けた。 「無茶言うな。彼は大学教授でデ○ット・カッ○ーフィールドやないんやろ」 「相手がカッ○ーフィールドだって、トリックなしには無理だろうが。自由の女神を消せって言ってんじゃねぇんだ、考え出せよ」 「そんな簡単に考え出せたら、締め切りに苦労せんわっ。いいから、ちょっと黙っとけ」 言って、火村を黙らせたものの、そんなに簡単に目の覚めるようなトリックが思いつくなら、本当に締め切りに苦労しない。 腕組みしながら、うーんうーんと唸っていると──多分遅い昼食なのであろう──鮫山と森下が連れ立って現れた。 「例の件ですか?」 ときつねうどん片手に興味津々で問いかける森下に私は頷いてみせる。 「でも、あれって結局奥さんの妄想なんですよね。教授が愛人作って、それが原因で調子が悪くなったらしいですよ。それに、例の奥さんの車、縁起が悪いからって理由で即日スクラップですって。金持ちのやることは解りませんよねぇ〜。そんなことしたら、余計に疑われ…」 「森下っ。他人の耳があるところで不用意な発言するな」 嬉しそうに私に語り掛ける森下に、鮫山が雷とげんこつを落とす。 森下くん、君は磯野カツオか。 いや、ファミリー向けアニメの登場人物は愛人だなんて言葉は使わないか。 愛人?── 「火村っ」 「ああ、警部に調べて貰おう」 私が言うまでもなく、火村のそのことに気付いたのだろう。当たり前だ、火村も私も情報量は同じなのだから。 私に自分の分のコーヒーカップと灰皿を押しやると、さっさと席を立って火村は食堂を後にした。 4 「あれは妻の妄言ということでカタがついた筈でしょう。私は忙しいんです。何度も呼び出さないでもらいたい」 船曳に呼びだされ、府警を訪れた神林教授はあからさまに不機嫌だった。 そんな彼らを船曳は府警の駐車場へと導いた。 「これは?」 夫人の車と同型のシャンパンシルバーのブルーバードシルフィ──同じ青い鳥でも私の車とはえらい違いだ──を見て、教授は声を上擦らせた。 船曳がその声に応じる。 「これは、あなたの愛人からお借りしてきた車です」 「確かにこれは、私が愛人に買ってやった車だ。愛人に贈り物をしてはいけませんか?」 船曳の言葉に神林は唇を噛んだ後、声を荒げた。 そんな彼に向かって、今度は火村が言葉を発する。 「いいえ、それは他人がとやかく言うことではりません。しかし、この車が死体を消し去る偽装工作に使われたとなると話は別です。あの日、あなたは奥さんからの電話を受けて現場へ向かった。そこで猪口の死体を発見したあなたは、偽装工作に愛人に贈った車を使うことを思いついた。死体を乗せたまま愛人の家に向かい、そこで車を取り替え、再び現場へと戻る。斯くして死体は現場から消えた。違いますか?」 「なにをばかなことを。確かにそうすることは可能でしょう。しかし、それをやったという証拠はない。推測で物を言うのはやめたまえっ」 神林の怒鳴り声が駐車場に響く。 それとは対照的に火村は静かに言った。 「証拠はあります」 「この車から、血液反応が出たとでも?」 「まさか。車ごと取り替えたんです。そんなもの出る筈がありません」 「ならばっ…」 「出るとしたら、ルミノール溶液の反応でしょう。ご存知ありませんでしか? ルミノール溶液が血液に反応するように、ルミノール溶液に反応する試薬もあるんです」 言うと火村ポケットから、蓋の部分がスポイト状になっている小瓶を取り出した。 「この車が昨日現場にあったとしたら、この試薬は赤く反応する筈です。鑑識課員が車内に、特に助手席にはたっぷりとルミノール試薬を振りかけましたから。あなたは、私にこの試薬を使わせなければ罪を認められませんか?」 だまったままの神林教授を鋭い視線で見つめ、火村はゆっくりと小瓶の蓋に手をかけた。 スポイト部分に中の溶液を吸い出したところで、神林はコンクリートにがっくりと膝を付き、低い声で呟いた。 「…妻を守りたかった──」 * * * 「せやけど、ルミノール溶液に反応する試薬があるやなんて、知らなかったな」明日は午後の講義しか入っていない助教授と私は、事件の早急な解決を祝って夕陽丘でささやかながら祝杯をあげていた。 見ると怖くなるので賞味期限は見ないままで袋を捨てたスルメの足を噛みきりながら言った私に火村が応じる。 「ん? 捜せばあるかもな」 「えっ? じゃあ、あれは?」 「ああ、これか。封は開けたけど未使用だから、朝井さんにでもやってくれよ」 火村は先程の小瓶をポケットから取り出すと、テーブルの上を滑らせ私に寄こす。 「なんやこれ?」 「保湿美容液。先刻薬局で買ってきた」 ……こいつ、教授が来る前に煙草を買って来ると言って、やたら長い時間帰ってこないと思っていたら、そんなものを仕込んでいたのか。 まあ、実際捜せばそんな薬品もあるだろうし、時間の短縮といったところか。 「せやな。今回の事件が解決できたのて、半分くらいは朝井さんの発言のおかげやし」 「そう、残りの半分は俺のおかげ。今回もアリスはちっとも役に立たなかったな」 「殺すでっ」 小夜子の言う痴話喧嘩を始めつつ、これを渡すのと今回のお礼を兼ねて、近々、彼女に奢らなければならないな、と私は頭の片隅で考えていた。 もちろん、奢るのは私ではなく、火村だ。 2003. 06. 11
どうだろうこれは、端折り過ぎてて意味不明だったらごめんなさい。 |