Strip
●ストリップフィルム 裏側に糊のついた極薄いフィルム。 主に、出力してしまったフィルムに諸々の事情でちょっとした訂正が入る時に、そのフィルムの不要な部分を削り、上から必要な文字・網等を張り付ける為に使う。 特に広い面積を張り付けるときは、それなりの職人芸が必要。 この手法でフィルムを訂正することを、印刷業界ではストリップ訂正、または単にストリップと呼ぶ。 * * * トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル………遠くから電話のコール音が聞こえてくる。 しつこく鳴り続けるその音に、隣で寝ていた火村が早く出ろと言わんばかりに私を蹴飛ばした。 が、私にそんな気はさらさら無い。 耳障りなその音を排除するために、私はふとんを頭までかぶることにし、ついでに、火村の頭もしまってやった。 ゆうに1分は鳴り続けた電話が、ようやく静かになる。随分と根気良い電話の相手だが、流石に諦めたらしく、私の狭い部屋に静寂が戻ってくる。 居心地の夢の世界へと戻る為に枕を抱え直した。 途端──再び電話のコール音が私の眠りを妨げた。 うるさい。うるさい。うるさ〜いっ。 両手で耳を塞ぎつつ、時計に目をやる。 まだ8時40分、折角の休日なのに勘弁してくれ。 いや、待てっ── 私は、掛けふとんと火村を蹴飛ばし、受話器に飛び付いた。 今日は、一応月に2日あることになっている、貴重な平日休みな筈だ。 しかし、この時間に電話が掛かってくるということは、日付を勘違いしている可能性がある。 「はいっ、有栖川です」 『おはようございます。三嶋です』 「みっ、三嶋さん?。どうしました?」 会社関連の電話で、しかも今日は休日で間違いないことが、これではっきりした。 なぜなら、製版部の女主任、三嶋さんから私の処に遅刻コールが掛かってくる筈がないからだ。 『有栖川くんが昨日下版(大雑把にいうと印刷に回すこと)した、住吉ホームの広告、急に訂正入ったんやけど……』 「ほんまですかっ。でも、なんで三嶋さんが俺に電話を……? とにかく、今から出勤しますっ」 『それをしなくてもいい様に、私が君に電話しとるんやないの。余白部分に一行足すだけやから、私の責了で下版するよ。私は信用出来ん、どうしても自分で確認したい言うんなら、別に止めはせんけど』 「ストリップでOKなんですか?」 『大丈夫。細長くなるから曲がらないように貼るのがちょっとやっかいやってくらい。網の入ったのに比べれば楽なもん』 「そうですか。じゃあ、すいませんけど、よろしくお願いします」 『OK。今度奢りなさいよ』 「お手柔らかにお願いします」 話がまとまった処で、電話を切る。 朝から驚かされたが、休みを返上しなくて済んだのはラッキーだ。 安心したところで、もう一度ふとんに戻ろうと振り返った途端、私は固まった。 ゴゴゴゴゴゴゴ──とでも表現すればいいのだろうか。 火村がスーパーサイヤ人の様な形相で私を見下ろしていた。 「アリス」 普段は耳に心地いい火村のバリトンだが、今は地獄の底から聞こえてくるような低い声だ──。 多分、先刻、思いっきり蹴飛ばしてしまったことを怒っているのだろうが、何もそこまで怒らなくてもいいと思う。 それに、蹴飛ばしたというなら、火村の方が私を先に蹴飛ばしている。おあいこだろう。 「そんなに怒るな。蹴飛ばして悪かったよ。会社には出んくてようなったから、もっかい寝よ」 「その前に説明を要求する。ストリップでOKでお手柔らかにって、いったい何の交渉なんだ」 「えっ?」 あっけにとられた私を、火村は依然恐ろしい形相で見下ろしている。 そういえば、私も入社当初、夜中に飛び交うストリップという言葉に、何の話をしているんだと驚愕したことがあった。 しかし、しかしだな火村。 君は朝っぱらから一体何を考えているんだ── マレー鉄道の謎を読んで一番最初に思ったこと。 |