Try one's luck!

「あう〜。どないせいっちゅうねん、こいつら……」
 私は冷蔵庫の前にしゃがみこんで頭を抱え込んだ。
 冷蔵庫のドアを何度開け閉めしてみたところで、この状況には何の変化もなく、ただただ電気代がかさむだけだということは解っているのだが、確認せずにはいられない。
「俺って、一体……。はぁぁぁぁ〜」
 大きなため息をひとつついて。
 せめてものお詫びに、これは本来の用途で使用するしかないと決心する。
 ちらりと時計を眺め、時間を確認。
 よし、もう講義は終わってる。
 私は大きく深呼吸をした後、携帯電話を取り上げた。
 1発信して、コール2回で相手につながる。
 再び、深呼吸。
「火村、今夜、空いとるか?」

*   *   *

 ことの次第は10日前に遡る。
 コーヒーメーカーに附属しているミルが故障してしまい、私は押入の中から、確かある筈の、煮干しが砕けてあげくにジュースまで作れるというミルミキサーを捜していた。
 自分の名誉の為に言い訳しておくが、これは決して私が電話をかけて購入したものではない。
 新しいもの好きの母親がはりきって買ったあげく、2〜3回使用して持てあまし、私に押しつけた物だ。
 まったく、おかんのくれる物いうたら、お歳暮のコーヒーセットにくっついているクリーミーパウダーだけだの、使い方のわからんワインビネガーだの、俺かていらんもんばっかりなんやから等とぼやきつつ、押入をかき回す。
「なんやこれ?」
 もらって1年くらいしか経っていないのだから、こんなに奥に入っている筈ないと、放りだした箱の中を捜そうと、押入から這い出す途中、なにやら、古ぼけたお菓子の箱が目に入った。
 散らかりついでだからと、その箱も引っ張り出し、蓋を開ける。
「うっわ〜、なつかし〜」
 出てきたのは、多分高校時代に自分で編集したカセットテープ一山で、中にはラジオをエアチェックした物まであった。
 懐かしさがしみじみ募る。
 今時の高校生はエアチェックという言葉自体を知らないだろう。
 ラジオで音楽を録音する。
 レンタルで簡単にCDが借りられる今、その必要性もなくなって、自然淘汰されつつある言葉。
 だが、ラジオの前に張り付いてお目当ての曲が流れるのを待つ、あの緊張感。
 そこまでして録音した音楽は思い入れも強くなる。
 なんでも簡単に手に入るこのご時世、人間は便利さを得たために、音楽や物に対する思い入れを失いつつあるのかもしれない。
 つらつらとそんなことを考えているうちに、無性にラジオが聴きたくなった。
 昔は毎日のように聞いていたのに、最近ではカーラジオでさえ聴くことが少なくなった。
 自宅のステレオでももちろんラジオは聴けるというのに。
 ミルミキサー探しを、ちょっとだけ後回しにして、私はラジオをつけに向うことにした。
 ちょっとだけ、と思ったにもかかわらず、全く使用したことがなかった為に、ミル探しよりステレオのマニュアル探しの方に時間がかかったというのは、笑い話のような事実である。

 聴きだしてみると、ラジオというのは結構便利なものだということが解る。
 TVのように映像がある訳ではないから、別のことをしながらでも聴ける上、最近のヒット曲や流行り物、リアルタイムのニュース等も知ることができる。
 ここ数日の私は、朝──というか昼近く──目覚めると共にラジオをつけるという生活を送っていた。
 おかげで、普段なら、小説のキャラクター宛にぼちぼち送られてくるチョコレートが片桐さんの手によって我が家に転送されるまで忘れているバレンタインデーが近いことまで知っている。
 こんなおまつり騒ぎをして、女性側からだけ──しかもチョコレート限定で──贈り物をするのは日本だけらしいが、年に一度くらいはこんな日があってもよいと私は思う。
 義理チョコだなんだと、面倒なことも多いだろうが、内気な女の子もこんな日は勇気を振り絞れるのではないだろうか。
 きっと、なにごとにも、きっかけというものが必要なのだろうから──。
 女になりたいとは思わないが、今日は告白する日という、そんな明確な日のある女性が羨ましいと思うことはある。
 もちろん、そんな日があるからといって、全ての人が告白できるとは限らない訳だが。
 そんなことを考えていると、日に少なくても3回はラジオから聞こえてくるヒット曲が終わり、毎年この時期だけにかかる『バレンタインデー・キッス』をバックにラジオのパーソナリティーが流暢に話し始めた。


 今スタジオで頂いているのは、ライア製菓さんの、とことん和風にこだわった純米発泡酒入り生チョコ『和珠(わだま)』と、ザクロの果実がチョコの中で宝石の様な輝きを見せる『GARNET』。バレンタイン期間だけの限定品となっております。甘さを控えた大人の味で、甘い物が苦手な男性にもオススメ。パッケージも黒と赤のシックな雰囲気。1箱500円のリーズナブルなお値段で、このおいしさ、あり得ません。皆さん、是非食べてみて下さい。さて、太っ腹なライアさんが、バレンタインに向けて、こちらを2個セットでリスナー10名様にプレゼント。バレンタインに恋人とふたりで甘い夜を過ごすのも良し、意中の男性にプレゼントして新たな恋をゲットするのも良し。あなたのお名前、住所、電話番号にリクエスト曲を添えて、メールかFAXにて午後3時までにご応募下さい。FAX番号は…… 

「生チョコに日本酒とザクロて……オイ」
 ものすごくチャレンジャーなお菓子会社だ。
 しかも、うまいというのは本当なのだろうか。
 チャレンジャーという点では、その製菓会社に決して負けてはいないと思われる私は、今、すごくそのチョコレートを食べてみたいと思っている。
 しかし……。
 バレンタインデー期間限定発売のそのチョコを、その日が1週間後に迫った今、女性をかき分けて購入しにいく根性は生憎と持ち合わせていない。
 10分思案した後、私は決心した。
「送ったれ」
 有栖川有栖。
 キオスクにはおいていない程度の作家の名前をラジオのスタッフが知っている可能性は50/50。
 知らないのならこの名前は女性としても成り立つし──インパクトの強さに変わりはないものの──、バレたらバレたで、友人と自分の知名度に関する掛けをしていた事にしてやろうという逃げ道を用意できたからだ。
 携帯電話のメール画面を立ち上げる。
 抽選でと言いつつも、リクエスト曲のかかりかたの傾向から察するに、当てるにはメールの内容は重要と判断。
 ここが作家の端くれの腕の見せ所だ。

「マジ? 当たったってか」
 2月14日。
 私がマンションに帰宅すると、郵便受けに宅配便の不在配達票が放り込まれていた。
 差出人はライア製菓。
 先日ラジオに送ったメールが当たったらしい。
 チョコは嬉しいものの、自分の知名度の低さも証明された気がする、複雑な気分だ。
 下手な鉄砲も数打ちゃ当たるってな具合に、番組を変えて2回応募したメールの1つが当たったのだろう。
「失敗したなぁ〜」
 私は自分の手にぶらさがっている、手提げ袋を見つめた。
 本日ふらっと出掛けたデパ地下で、例のチョコレートを見つけ購入してきてしまっていたからだ。
 バレンタイン当日。
 会社で義理チョコを配るOLは既にチョコレートを購入済のこの日。
 1箱500円という本命チョコには少々気合いの足りない値段のこのチョコレートのテナントは、午後2時過ぎという中途半端な時間帯もあってか、元々それほど混雑してはいなかった。
 デパ地下を1周して、私が帰り掛けたその時、店の前に客が誰も居ないという奇跡の瞬間が訪れたのだ。
 客がいなくたって、店員に気の毒な目で見られることは解っていたが、このチャンスは逃せない。
 私は、バレンタイン仕様のパッケージになっているものではなく、バラで『和珠』と『GARNET』を購入した。
 まんまと、気になっていた品を手に入れ、火村にも食わしてやろうか等と、ほくほくした気分で帰宅し宅配便の不在配達票を発見したという訳だ。
 なんの為に痛い視線を感じたことやら。
 情けない気分になりながら、不在配達票に視線を落とす。
「2個口? わざわざ1個ずつ送っとんのか。もったいないことすんな〜」
 4箱ものチョコレートをどうやって処分してやろうかと、私は食べる前から想像胸焼けを起こしつつ、電話の子機を手に取った。

「2個口て、こういうことかいっ!」
 電話をした時、宅配員はまだ近所にいたのだろう。
 驚異の早さでそのチョコレートは私の手元に届いた。
 15×15×1.5pといったところのチョコレートが入っているには随分と大げさな箱に入った、その荷物。
 取りあえず1つ目の箱を開け、私は思わず叫んだ。
 やはり、普通に考えてこんな小さなチョコレートを1個ずつ別の箱に送るはずなど無かったのだ。
 1つの箱に2種類のチョコレートが入っている。
 つまり、私は10人にしか当たらない、このチョコレートを、2番組分1人で当ててしまったのだ。
 もの凄く悪いことをしてしまった様な気がする。
 取りあえず、無かったことには出来ないかと、6箱のチョコレートを冷蔵庫にしまい、段ボールは潰して、ベランダに置いた。
 その段ボールの中にふんだんにエアクッションが入っているのがまた心苦しい。
 意味もなく部屋の中をうろうろして、再び冷蔵庫の前へ。
 恐る恐るドアを開けるとやっぱり、チョコレートの箱が積み上がっている。
 畜生、作家の端くれの腕を見せすぎたのか。実力があるっていうのも困りもんだな〜。等と、自分で自分をはり倒したくなる様なことを考えてみたところで、どうなるものでもない。
 送ったメールの内容が内容だっただけに、番組スタッフの同情を誘ったに違いない。
 番組が別だと言っても同じ局内で放送しているのだから、もうちょっと横の連絡をきちんとしておかないからこういうことになるのだっ!
 もちろん、この怒りが方向違いなことは、自分が一番よく承知している。
 承知はしているが、本気で告白用にこのチョコが欲しかった人の手前、これはもう後には退けないではないか──
  当たったのが1セットなら、私はこのチョコレートを自分で食べるだろう。
 何かの拍子に火村がウチに顔を出したなら、かくかくしかじかでと理由を説明し、その処分を手伝わせるだろう。
 そう、あくまでも処分をだ。
 しかし、2セットも当ててしまっては──
 火村、私は君が居ないと断言する神様のしくんだ運命とやらを、信じてみるしかなくなったようだ──
 だけど神様──
 もうちょっとだけ、悩ませて下さい。

*   *   *

 ピンポン。
 玄関のチャイムが短く鳴る。
 ピ〜ンポ〜ンではなく、ピンポンと短くチャイムを鳴らすのは火村の癖だ。
 私が電話した時。
 火村は丁度、事件の後処理で大阪府警向かう処だったらしく、『帰りに寄ろうと思っていた』と言った。
 それを聞いた瞬間、どうしても今日は勝負しなくてはならない日なのだということを実感した。
 ええい──なるようになれ。
 急いで冷蔵庫に向かい、自分で買ったものではなく、メールで当てた方のチョコを取り出し──そっちの方が縁起がよさそうだし、バレンタイン仕様のパッケージもされていたので──玄関へと向かった。
 チョコを後ろ手に隠し持って、玄関の鍵を開ける。
 火村が中に入り、ドアが閉じられた時、私は意を決した──
「火村、俺、君にもろてもらわなあかんもんと言葉がある──」
 

アリスのメール


2003. 02. 14

何に時間がかかったって、チョコレートのネーミング(笑)
こんな偶然、ある訳ないって思うでしょ。
しかし、私は本当にこんな目にあった人を知っている……。
事実は小説より奇なりとは、まさにこのこと。

● Alice top ●


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