ホット梅酒
「あ〜、助かった。ほんま、死ぬかと思うたわ」 「しかも、風邪でじゃなく、飢え死にでな」 本日夕刻。 講義を終えて研究室に戻った火村は、携帯にアリスからのメールを発見した。 件名:助けてくれ。 本文:風邪ひいて一歩も動けない。飯と薬とスポーツドリンク、よろしく。 客観的にみれば──誰が?──火村の都合を全く無視した、ものすごく自分勝手な内容のメールであるが、そもそも週末である今晩、彼はアリスのマンションへ行く予定であった。 年末は何かと立て込みそうな気配があったので、ちょっと早いが今年1年の事件の総括を、ウィスキー片手にアリスとやらかそうと思っていたからだ。 予定をずらせと言うならともかく、看病にやって来いと言わんばかりのメールを寄こすとは、さすが10年来の友人だ、遠慮というものが全くない。 それでもまあ、よしんばアリスがこのまま誰にも看取られず死んでしまっては、寝覚めが悪くて仕方がないので、一端自宅に戻ってから火村は大阪へと向かうことにした。 アリスが寝込んでいるという話を聞くと、婆ちゃんはあらあらと呆れたように呟いて、見舞い代わりにと自家製の梅酒を持たせてくれた。 なんでも、お湯で割って飲むと身体も温まるし、喉にもいいんだとか。 こんな時は味よりスピード重視と判断し、アリスの自宅近くのスーパーで白飯と卵スープの基、更にスポーツドリンクと100%りんごジュース。ついでに本物のりんごを購入して、その中の薬局でドリンクタイプの風邪薬もゲットした。 だが、火村がアリスの元についてみると、彼の症状は風邪よりも空腹が重傷な感じだった。 咳は出ているが、痰がからんで息苦しそうな悪い咳ではないし、熱も7度代。 これで、動けないというのは、単なるエネルギー不足に違いない。 いい大人が自己管理くらいしっかりしろよと、嫌味をくれてやって、アリスにストローをぶち込んだスポーツドリンクを与えてから火村はキッチンへと向かった。 そして現在、アリスは火村が10分という脅威の早業で作った卵雑炊を食べ終わったところである。 「うわぁ〜、それは嫌や。きっと、大阪在住の推理作家、有栖川有栖さんが自宅で餓死しているのが発見されましたとか報道されんのやろ。よっぽど売れてなかったのかと思われてまう」 「……気になるのはそれだけかよ」 「せやかて、いくら人は死んで名を残す言うたかて、そんな名前の残し方はしたくないやろ」 「心配しなくても、そんなことじゃ残らねーよ。それより、ほら、ばーちゃんからの見舞いだ」 火村から差し出されたマグカップを受け取って、アリスは中を覗き込んだ。 「何、コレ? 今鼻がきかんから匂いじゃわからん。まさか、ヤモリの黒焼き茶とかやないやろな」 「俺ならともかくばーちゃんがそんなもんよこすかよ」 「ほんまに君なら持ってきそうやな。ヤモリの黒焼き茶」 「持ってくるかよ。中身はばーちゃん特製の梅酒のお湯割りだ。ありがたく飲めよ」 「マジ? ラッキー、ばーちゃんの梅酒美味いし。夏に縁側でキンキンに冷たくして飲むのもええけど、冬のホット梅酒も幸せな気分になるよな」 ついさっきまで、死にそうだったことなど忘れたように、アリスはベラベラと梅酒に関する自分の見解を述べた後、マグカップに口をつけた。 「ああ〜、なんか効く〜いう感じするわ」 しみじみと呟いて、ホット梅酒をもう一口飲んだ後、アリスは何かに気付いたように、不意に視線を上げて火村をまじまじと眺めはじめた。 そして今度はマグカップの中身を見つめ、にやりとほくそえむ。 「アリス、お前、不気味だぞ」 溜まらず火村が声をかけると、アリスはにこやかな笑みを浮かべて目の前の助教授に、質問を投げ掛けた。 「なあ、火村。君の白と黒ってどっちが多いん?」 「はっ?」 言われて火村は今日の自分の出で立ちを確認する。黒のセーターにオフホワイトのチノパン……髪の毛も入れてもいいなら黒かなとまで、考えたところでアリスの台詞がCMのパクリだということに気が付いた。 「アリス、てめぇ、いい態度だなぁ〜」 後に、アリスの日記かわりの手帳は、パンダ扱いされて起こった火村が、その夜一晩、気になって気になって眠れなくなる不思議な事件の話を、問題編のみの解決編なしで病床の推理作家に語り続けたことを記録している── 2003.12.01
連載の続きも上げずにこんなものを…… |