An invisible amulet
「何だよ。俺の背中に張り付いてたって邪魔になるだけなんだから、向こうで本でも読んでろよ」 「そんなつれないこと言わんと。さっ、続けて続けて」 俺の両肩を急かすようにトントンと叩き、アリスはせいぜい2畳程しかない狭いキッチンから出ようとはしない。 仕方なく、俺は作業を再開した。 長ネギの白い部分を5p程の長さに切り、縦に切り目を入れる。芯の部分を外した後、魔法の道具登場。直径4pくらいの小さな剣山。これで繊維に沿って引っ掻くようにすると、包丁を使うよりも断然楽に細く切ることができる。これをボールに張って置いた冷水に放り込むと、くるりと丸まって、見事白髪ネギの出来上がりと言うわけだ。 いや、白髪ネギの作り方をやっている場合じゃない。 今日のアリスは、どう考えても、やっぱり変だ。 普段、アリスがとる不可解な行動は、大抵好奇心にかられてのものだ。 多分、今日の行動も「好奇心」という言葉で説明が付くのだろう。 が、少なくても20回以上はうちで飯を食っておきながら、今更俺の料理に興味を持つなんて、好奇心の他に何か具体的な理由があるに決まってる。 ちらりと時計を確認し、飯が炊きあがるまで蒸らしも含めて後20分と計算。 買い物袋の中からカイワレ大根を取り出し、外側のビニールを剥がしながら、煙草に火を点ける。 くわえ煙草だろうが、考え事をしていようが、手は動かせる。 考えろ、火村英生。 そもそも、ことの発端はどうだった?── ★ ★ ★ 「なあ、君、今晩暇か?」学食でかけうどんが適温になるのを待っていた俺の頭上に、カレーの乗ったトレイを手にしたアリスの声が降ってきた。 「バイトも提出間近のレポートもないことを暇というなら、そうだな」 そんな俺の返答に、げんなりした表情を浮かべながら、アリスは目の前の席に腰を降ろした。 「なんで素直に暇だと言えんもんかな。まあ、いいわ。今晩君の下宿に泊めてくれ。晩飯付きで」 「晩飯がつくことが絶対条件なのか? 自分で言っててあつかましいと思わねぇのかよ」 「思わんね。大蔵省は俺やもん。君の手を煩わせるお詫びにビールも付ける」 「随分と気前がいいじゃねぇか。何かいいことでもあったのか?」 「……微妙やな。いいことやと思えば思えんこともないけど、どっちか言うと悪いことなんやろうな」 「アリス……。できれば、解るように話してくれ」 「話せるもんなら話しとるわ。それに、気前がいいかどうかも微妙やな。晩飯の予算は2人分で1,000円。ビールは500ml缶が各3本や」 「それ、ビールを2本ずつにして、晩飯の予算を増やすって選択肢はないのかよ」 「ない。ビールはあくまでも手数料。予算は予算や」 「つまり、金が無いわけじゃなく、お前は俺に1,000円で飯を作らせることにこだわってるんだな」 「こだわっとる訳やないけど、一石二鳥かと思うて。出来そうか?」 「アリス、俺を誰だと思ってるんだ?」 「誰って、少なくても金子信夫(注1)やと思っとらんことだけは確かやわ」 「誰だよそれ」 「料理番組の先生や。有効利用出来とんのかどうかは判らんけど、ウチのおかんがビデオに取り溜めとる。変なバラエティ見るよりよっぽどおもろいわ。あんなあからさまに一週間分タメ録りしとるって判る番組もない。金子信夫が酒飲みながら料理しとるもんやから、週末に近づけば近づくほど、顔は赤くなるわ、手元は危うくなるわ、アシスタントに絡むわ、ある意味あの料理番組は究極のエンタテイメントや」 「……また、ストックしておいたところで、どうなるもんでもない知識をため込みやがって。人間の脳ってやつは一生かかっても使い切れないほど容量が有るらしいが、アリスの場合は足りなくなりそうな勢いだ。情報は選んでインプットした方がいいぜ」 「放っといたれや! まあ、金子信夫はともかく、せやったら君は一体何様なつもりなん?」 「単なる貧乏学生さ」 「はあ? ああ、貧乏やから低予算料理はまかしとけって意味か」 「そういう解釈をしてもらって差し支えはないな」 「せやから、なんで素直に「そうや」と言えんのや」 「素直に言ったとしても「そうや」とは応えねぇよ」 「また、人のあげ足とりを……。ああ、やめやめっ。君も今日は4講目まであるんやろ。講義退けたら、図書館におって」 「何でわざわざ図書館なんだよ」 「借りたい本があるんや」 「………了解」 ※注1 昔、昼間の料理番組に出ていた方。本業は俳優さん。現在はお亡くなりになっています。 ★ ★ ★ ってな訳で現在に至ったんだっけか。炊飯器のスイッチが上がる。蒸らしに後10分。いきなり、料理に興味を覚えたか──否、違う。だったら、見ているだけじゃなく手伝いたがる筈だ。 湯を沸かす為、鍋を火に掛ける。しかも、予算が2人で1,000円な理由は? 金が無いから──違う、これはアリス自身も否定していた。 かいわれを半分に切り、キムチを刻み、ツナ缶の油を切る。そして、良いとも思えないこともないが、普通だったら悪いことっていうのは何だ── 冷蔵庫から冷やしておいた鶏肉のソテー(ニンニク醤油風味)を取り出し、大雑把にさいてゆく。待てよ、確かここ1月くらいアリスはうちに寄りついて無かったな。バイトで忙しいんだと思っていたが、それに別な理由があったとしたら── 沸騰したお湯に、洗っておいたもやしを放り込む。女か──可能性はある。本人がのんきで気付かないだけで、別にアリスはもてない訳じゃねぇからな。 さいた鶏肉と白髪ネギを混ぜ、皿に盛る。女が絡んだどっちかというと悪いこと──振られたか。否、振られたんなら確実に悪くて悲しい出来事だ。ビール3本程度じゃとても足りない位に。 もやしをお湯に投入してから約30秒。ざるにあけて水気を切る。じゃあ、振ったのか──違う。アリスは別れて良かったと割り切れる性格じゃない。 もやしに化学調味料、塩、ごま油で味をつけ、小鉢に盛る。ちょっと待て火村英生。女がからんでいると決まった訳じゃない。可能性を考えていたらキリがない── ここで10分。どんぶりに飯を盛る。思考は事実に基づいて発展させるべきだ。今、判っている事実。 ごま油をフライパンで熱する。1.良いとも悪いとも言い切れない、ある出来事があった。 2.アリスが俺に予算1,000円以内で晩飯を作らせたいと思ったきっかけは、その出来事。 どんぶりに盛った飯の上に、かいわれ、ツナ、キムチの順に具を盛り、ごま油と醤油を少々。畜生、その出来事っていうのが何なのか判らないんじゃ、判断しようがねぇじゃないか── 熱しておいたごま油を、鶏肉と白髪ネギを盛った皿にジュっとかける。これで作業完了。残念だったな、火村英生。時間切れだよ── ★ ★ ★ 「はぁ〜〜」出来上がった晩飯を見て、アリスは大きくため息をついた。 「いい態度だなアリス。人に晩飯作らせたあげくにため息かよ。不満があるなら食わなくて結構。俺がひとりで食う」 「食えもしないくせに」 「本気になれば食えるさ」 「こんなところで、いらん本気は使わんでいい。不満なんてないわ。ため息の理由は食いながら話す。それでいいやろ」 「……いいだろう。ゆっくり聞かせてもらおうか。だが、その前に机を片付けろ」 俺の言葉に頷いて、アリスは物が散乱した机の上を片付け始めた。 ★ 「さて、聞かせてもらおうか」机の前にあぐらをかいて、ビールを一口飲んだ後、俺は話を切りだした。 その時アリスは「いただきます」も言わず、既に食事を開始してた。 別に「いただきます」はどうでもいい。欠食児童じゃねぇんだから、少しは落ち着いて食えというんだ。 「んっ? ああ、ため息の理由な。バイト先の女の子が気の毒になったからや」 鶏肉を箸でつまみあげながら、アリスは又しても意味不明な発言をする。 「アリス。昼にも言ったが解るように説明しろ」 「せかすな。今、話の流れをまとめとる最中や」 「まとめなくてもいいから、最初から話してみろよ」 「……せやな。俺、バイト先に、ちょっとええな思うてた女の子がおったんや」 やっぱり女か、しかも過去形──と思ったものの、余計なことは言わずに相槌を打つ。 「でな、先週の土曜、その子のアパートでバイト仲間が集まって宅飲みすることになったんや。女の子が2人俺を含めて男が2人、計4人でな。で、女の子達が張り切って料理作ってくれるいうから、みんなで買い出しに行ったんや。酒代も含めて4人での割り勘額は、一人頭約2,000円。その内酒代&つまみ代は大体半分、つまり料理の材料費は4,000円分あるいうことになるわな」 再び相槌。 まだ全貌は明らかになっていないが、小学生の算数問題みたいなこの話は、俺が材料費1,000円で晩飯を作らされる羽目になった理由にたどり着きそうな気配はある。 「じゃまくさいから、まずは、その日に出された料理を順不同で上げるわ。シーフードパスタ、ポテトサラダ、鶏のからあげ、キュウリの刺さったちくわ、チーズとハムの盛り合わせ、以上や」 「つまり、お前は4,000円の材料費を掛けた物にしては内容が希薄だったって言いたいのか? シーフードが冷凍ミックスじゃなかったんなら、そんなもんだろうよ」 何気なく分析した俺に、アリスが勢いよくくってかかってくる。 「そこや。君は材料費から作るメニューを決められるやろ。彼女らは作る物を決めてから買い物に行く。せやからレジを通すまでいくらかかるか判らんのや」 「判らなくても生きて行けるなら、それに越したことはないじゃないか」 「それだけやない。何で君は、全品をほぼ同時に作り上げることが出来るんや」 「単純な理由だ。時間を計算してるからだな」 「何で、作り終えた時にシンクに汚れ物が殆どないんや」 「見てただろう。作りながら洗ってるからだよ」 「何で、1時間足らずで、こんなややこしいもん作れるんや」 「別にややこしくねぇからだろ」 「何で、くわえ煙草でやる気もなさそに作っといて、出来上がったもんが美味いんやっ!」 「……知らねぇよ」 つまり── これはこういうことか? 1.彼女たちは料理を全品同時に作り上げることが出来なかった。 2.料理を作り終えた際に、シンクに汚れ物が山と積まれていた。 3.料理を作り上げるのに、かなりの時間がかかった。 4.一生懸命作ってくれた割に、美味いという程の物が出来上がらなかった。 まず間違いない、これは事実だ。 事実には違いないが、だから何なんだ? 「俺かて、そんなん気にしたなかったんや。せやけど、えらい気になって……。なんでや考えた時、君を基準にしとるんやないか思うた。せやから、再確認してみた。してみたら、案の定やったんで思わずため息が出た」 「俺だってため息が出そうだよ。結局アリスに言いがかりを付けられるために、晩飯作って、色々考える羽目になったんだからな。しかも、そんな話をわざわざ話せと催促した自分が情けねぇよ」 「ああ、言いがかりや。君はちっとも悪いことない。ただ、これから女の子好きになる前に料理上手かどうか確認せんならんのか思うたら、愚痴のひとつもこぼしたくなる」 「調理師専門学校の前で好みの女でも捜せばいいじゃねぇか」 「その子が俺好みの味付けする保証がどこにある?」 「知るかよっ! …………アリス、もう止めようぜ。なんだか話が不穏な方向に進んでいる」 「……せやな。なんや、吐き出してみたら、あほらしなってきたわ。結局、知らんまに、俺が君に餌付けされとっただけや」 「そんな食費のかさみそうな動物、俺は餌付けしたつもりはねぇけどな」 「残念やったな。こうなったら、一生君にたかったるわ」 「勘弁してくれよ」 両手をあげて降参の意志を表明しつつ、俺は首を横に振った。 これこそまさしく今更だ。 アリス── とっくの昔に、俺はお前に降参済みさ。 そして、火村英生── やるな、お前。 2002.11.16
ちっ、何だかテンポが悪いなこの話。基本的に内容はあまり無い模様。 |