Second Step
「うわっ!」 会社の連中と呑みに出掛け、鼻歌交じりでアパートに帰宅し、玄関の明かりを付けた途端。私は驚きの声を上げる事になる。 「随分とお早いお帰りじゃねぇか、なあ、アリス」 こっ、怖い…… 理由はまだ解らないが、くわえ煙草で腕組みをしながら私を見下ろしている火村は、随分とご機嫌斜めなようだ。 何よりも、電気も付けずに玄関先で私を待ちかまえている辺りが恐ろしい。 言葉にも随分とげが含まれている。 なぜなら、私の帰宅はちっとも早くはないからだ。現在午前1時。 一体全体私が何をやらかしたと言うのだろう。 「ひっ……、火村?」 おずおずと呼びかけた私に、人差し指をビシッと立てて低い声で言った。 「質問1、今日は何月何日だ?」 「えっ? 12月30日……否、もう31日か」 「OK、日付を勘違いしてた訳じゃねぇんだな。質問2」 立てていた火村の指が2本に増える。 「12月31日っていうのは、世間一般的に何て呼ばれる?」 「おっ、大晦日?」 この答えで間違いないのは確実だが、火村の迫力に、思わず疑問形で返答してしまう。 「わざわざ疑問形にしなくても合ってるよ。じゃあ、質問3、去年の今頃、お前は何をしていた?」 「去年の今頃……あっ──」 それを思い出した途端、私は全てを把握した。 * * * そう、去年の今頃、12月30日から31日にかけて、私は火村とこのアパートで、ゆったりとした時を過ごしていたのだ。何をする訳でもなくだらだらと。 地獄の年末進行を終えて間もない私にとっては、そのゆったりとした時の流れが、例えようもなく貴重なものに感じた。 ふいに沈黙が訪れても、慌てて話題を捜すことなく、その沈黙さえも心地よく楽しめる相手──そんな人間は看板を下げて捜して歩いたところで、そうは出逢えるものではない。 大学を卒業する間際。 酒が入った、しかし酔ってはいない火村から、愛の告白とやらをされた時は大層驚いた。 が、驚いただけで不思議に嫌悪感はなく、私はその告白を受け止め、表向きは前と変わらないつき合いが数年続いた。 そして、去年の、時刻的にも正に今頃── 静かに流れる沈黙の中で、私は不意に気付いたのだ。 火村の告白── 男が男に想いを告げるのだ。並大抵の決心ではなかっただろう。ましてやあの火村だ。振るのには慣れていても、想いを告げることに慣れていたとは思えない。 多分──自惚れているのは百も承知だ──私は、火村の一生でただ一度だけの愛の告白を受けたのだ。 もちろん、今までその告白を軽く流していた訳じゃない。 しかし、次に会った時、火村の態度が依然と全く変わらなかったことに安堵を覚えたことも事実だ。 新生活と自分の揺れる気持ちに一杯一杯で、その、いつもと変わらない態度をとるというのが、どれほどの精神力を必要とするのかも、当時は考えられなかった。 否、それは嘘だ。気付いていたのに気付かない振りをしたのだ。そのほうが楽だから── なのに、それなのに── 火村は今私の傍にいて、こんな優雅な時間を与えてくれている。 私には想像もつかない不屈の精神力で、自分のあふれ出しそうな感情を抑え込んで── 考えるだけで涙がでそうになった。 私は何をもったいぶっていたのだろう。 その肩書きが友人であろうが恋人であろうが、自分はもう火村を失うことなど考えられないと言うのに。 いつまで、自分が世界で一番大切な人間に、無理をさせておくつもりだったのだろう。 「火村──」 パラパラとその辺に転がっていた雑誌をめくっている火村に声を掛け、自分の想いを告げた。 そして、火村の腕の中で約束を交わしたのだ。 来年の今日も、こうして一緒に時を過ごそうと── * * * 「火村っ、あのな……」「言い訳はいいさ。1年も前の約束だ、その後確認さえとってない。忘れるのが当たり前だ。覚えている俺の方がきっとおかしんだ」 「火村──」 「あの時はお前が俺の気持ちに応えてくれるなら、たとえそれが同情でもいいと思った。けど、やっぱり駄目だ。俺とお前の気持ちの違いをこうやって目の当たりにするとな。お前は俺を友人以上には思っていない。あの時のお前は俺が好きだと気付いた訳じゃない。単に友人を失いたくなかった、その気持ちを勘違いしただけだ。悪かったな、1年もこんな茶番に付き合わせて」 静かな口調の火村の言葉が、私の胸に刺さる。 彼は傷ついているのだ、酷く── だから、私も自分の弱い心を彼にさらけだそう。 「火村、それは違う」 「違わない。それが事実だ。アリスは昔から思いこみが激しいからな」 「違うって、耳の穴かっぽじってよう聞けよ。俺は怖かったんや。君にこの日の約束を忘れられることが。女みたいに、この日が二人の記念日やなんて思うとることを知られたなかった。目の前に1年後の自分の姿が浮かんだ。鳴らない電話の前で、膝を抱えてうずくまる姿や。自分からは君に電話を掛けることも出来ん姿がな。だから、忘れることにしたんや。そんな約束はなかったことにした。約束自体がなくなれば、すっぽかされずに済む思うてな。君も言ったやろ、俺の思いこみは激しいって」 火村は私の肩に両手を落とし、がっくりと首を落とした。 「アリス──ばかかお前は。告白してから丸3年、何の反応もないお前をずっと好きでいられた俺が、高々1年くらいの間、約束を覚えていられないとでも思ったのかよ」 「そういう君はあほやろ。いくら俺でも友情と恋愛感情を混同するほど間抜けやない」 私も火村の胸板を叩きながら言ってやる。 全く、いい年をして私たちは、なんと間抜けなカップルなことか── まあ、お互い様なら丁度いい。 二度と同じ失敗を繰り返さなければ、良いだけだ。 だから──約束は、もういらない。 君と過ごす日── それがいつでも、二人の記念日であればいいのだ── 2002.12.31
改めて読み返すとなんだか初々しい話だ。 |