内緒の話 |
「嘘っ」 何の気なしに胸元のペンダントに触れて私は、思わず声を上げた。 いくらざわついた三本の箒店内といえども、呟きというには余りに大きかったその声は、同じテーブルに座る二人の親友にはしっかりと届いてしまったらしい。 「「どうかした?」」 ハリーとロンの声がユニゾンで問いかけてきた。 「ううん、ちょっと……」 その質問に応えるのは一旦先延ばしにして、私は椅子をずらしてテーブルの下を覗き込んだ。 何か光る物が落ちてやしないかと、慎重に目を凝らす。 でも、そんな不自然な体勢じゃ、まともに──しかも小さな物の──捜し物なんて出来るはずがない。 結局、私は椅子を降りて、テーブルの下にしゃがみこんだ。 出掛ける前にちょっと首元が淋しいかな、とジュエリーボックスから取り出して首にかけたのは、夏休みに友達と買い物に出かけた時に私が見つけ、一足早い誕生日プレゼントとしてその友達が買ってくれたネックレス。 そのヘッドには、サファイアよりは紫がかっていて、アメジストよりは青い、そんな色合いのアイオライトがはめ込まれていた。 そう、少なくとも、この店に入る前までは。その直前、ウィンドウに映る自分の姿を何気なくチェックしたのだから、これは間違いない。 でも、今、信じられないことに、私の胸元にその宝石はない。 ううん、信じられないもなにも、落としたに決まっているのだけど、その落とし方が信じがたかった。 これで、鎖が切れてペンダントごと落としただとか、ペンダントヘッドを落としたというならば、まあ、よくある部類に入る話。 でもでも、鎖もヘッドも残っていて、石だけが台座から抜け落ちてるだなんて落とし方、少なくても私は知り合いから聞いたことがない。 この席についてから一歩も動いていないのだから、絶対近くに落ちているはずなのに、視線を低くしてみても落ちているはずのアイオライトは見あたらない。 私は意を決して、三本の箒の床にひざまづいた。 幸いなことに今日はいているのはスカートじゃなくてジーンズ。少しくらい汚れたところで洗えばすむ。 そう思ってとった行動だったのだけど、それを見て目の前の親友ふたりがどう思うかまでに考えが至らなかったのは、やっぱり気が動転していたからなのだと思う。 「落とし物は何なの、お嬢さん」 それまでは人の足しか見えなかった視界に、突然ハリーの顔が現れて私は驚きのあまり、テーブルに頭をぶつけるところだった。 「なっ、なんで落とし物したって──」 解るのよ、と尋ねようとしたところで、今度はロンがテーブルクロスをくぐって顔を出した。 「解らない方がどうかしてるよ。君に以前から突然床にはいつくばる趣味があったってんならともかくね。それとも、最近になって床の権利に気付いた訳? 人に踏みつけられるだけが床の人生じゃないとかさ」 確かに、言われてみればもっともな話。私だって自分以外の誰かがこんな行動をとれば、すぐさま落とし物だと気付く。 でも、本当にロンってひとこと余計。 それこそ、人のあげあしをとるのだけが、彼の人生なんじゃないかって思うくらいに。 「おあいにく様。無機物には歴史はあっても人生はありません。皮肉を言いたいなら、もう少し英語が上達してからの方がいいと思うわよ」 「そりゃ、失礼。生憎とイギリスで暮らし始めてからまだ10数年なもんで」 それって生まれたときからずっとってことじゃない、と突っ込む気にはどうしてもなれなかった。 というよりも、最初から突っ込まれるべき言葉が想定されている話に、まともに突っ込みを入れたのでは、多分こっちの負けだから。 何か気の利いた受け答えはないかしら、と頭の中を高速で検索していると、ハリーがはぁ〜とため息をひとつついて口を開いた。 「君たちさぁ、どうしてこの状況であきれるくらいに普段どおりの会話ができる訳? どうしても何か話したいんなら、せめてテーブルの下にふさわしく、麻薬の裏取引の話かなんかにしてよ」 そんな話をするのにテーブルの下がふさわしいとは思えないし、そもそも裏じゃない麻薬の取引なんてあるとも思えないけど、ハリーの指摘はもっともだった。 少なくても、私が床にはいつくばっている理由は、ロンと新しいシチュエーションで口げんかをするためじゃないことだけは確か。 「そうね、ロンなんかと話してる場合じゃなかったんだわ」 私は慌てて視線を床に戻し、ケシ粒までとはいかないまでも、豆粒よりは遙かに小さいサイズの半貴石探しを再開する。 「なんかってどういう意味だよ」というロンの呟きは完全に無視して、「だから何を捜してる訳? 及ばずながら協力するから教えてよ」というハリーの申し出は、手を振りながら遠慮する。 「悪いからいいわよ。それに、こんな狭い場所に3人も入り込んだら却って身動きしにくいから」 私の言葉に、ロンは「そうだな」と呟くとテーブルの下から姿を消した。 その場に残されたもう一人の友人に私は告げる。 「ハリーもいいわよ」 「でも……」 「私のことなら──」 気にしないでと言い終える前に、私は誰かに腕を掴まれテーブルの下から引きずり出された。 その犯人は、言うまでもなくロン。 「なっ、なにするのよ!」 いきなり引きずり出された理由が解らなくて、私は声を荒げた。 そんな私の様子にかまわず、ロンは私に問いかけた。 「落としたのはなに?」 「はっ?」 「はっ? じゃないよ、なにを落としたの?」 「……ペンダントヘッドについてた石」 それを聞いて、ロンは私の胸元に視線を流し、ああと納得したように頷いた。 「どんな石ついてたっけ?」 「だから、自分で捜すからいいってば」 「そんなことは聞いてない。どんな石なの?」 「青っぽく透き通ってて、だいたい5ミリ角くらいの……」 「自分で買ったの?」 「ううん、友達が誕生日に買ってくれたの」 「そう」 自分勝手にしたいだけ質問をすると、ロンは私を押しのけて、テーブルの下に潜り込んだ。 「ちょ、ちょっとロン。いいって言ってるでしょ」 ロンを見習って、私も彼を引きずりだしてやろうかと一瞬思ったけれど、体格差があるのでさすがにそれは無理だと諦め、私はテーブルの下を覗き込んで言った。 「いいから、ハーマイオニーは自分の服の折り返しでも捜してなよ。無くしたアクセサリーってのは、案外そんなとこから出てきたりするし」 同年代の男の子がしたにしては、あまりに実感のこもった発言に、私は彼の母親を思い浮かべた。 無くしたピアスを見つけるために、家族総出で家捜しし、終わって見ればそれは彼女のショールに引っ掛かっていた。そんな光景が容易に目に浮かぶ。 「そうそう、ロンのいうとおり。それにさ、考えてもみてよ。女の子を床にはいつくばらせて、男がふたり悠々とお茶してたら、僕らの評判ガタ落ちだよ」 ハリーにまでこう言われたら、私としても引き下がるしかなかった。 取りあえず椅子に座って、ロンに指摘されたとおり、着ているジャケットのポケットというポケットをチェック。 更に、有り得ないと思いながらも、靴を脱いでその中までも調べてみる。 やっぱり、どこにも石はなかった。 私は小さくため息をつく。 ため息の理由は、友人からもらったものを無くしてしまったという罪悪感と、気に入っていた石に対する未練。 見る角度によって、その色が深まったり透明に近くなったりするアイオライトを見た瞬間、私はこれだと思った。 それは多分、見つめる角度によって印象ががらりと変わるあいまいな魅力が誰かに似ているような気がしたから。 後から調べてわかったことだけれど、アイオライトには、鉱物名のコーディエライトという呼び名の他に、ウォーターサファイヤという別名がある。 スリランカやインドでは川の中から採れるからそう呼ばれるという話だけれど、一方でサファイヤの一種として観光客に高く売りつけられるられることもあるらしい。 値段に雲泥の差があるとはいえ、アイオライトだって立派な宝石なのに、買った人が後から騙されたと感じるような売られ方をされていることに、私は激しい憤りを感じた。 サファイヤの名を借りなくたって、アイオライトは充分魅力的なのに── と、まあ、そんな風に思い入れがあって、しかも友達からの誕生日プレゼントではあったけど、だからといっていつまでも友人達に床をはわせておくのは申し訳ない。 ましてやその友人のひとりが、その石を気に入るきっかけになった張本人なら。 落とした石は諦めて、ジュエリーショップで新しい石を入れ直してもらおう。 私がそう決心した時、「見つからないなぁ」と呟きながら、ハリーがテーブルの下から這い出てきた。 そのハリーに「ごめんね、もういいから。捜してくれてありがとう」とお礼を言うと、私は急いでテーブルの下を覗き込んだ。 「ロン、もう諦めるから。本当に、もういいの」 私がそう告げると「ああ、うん」という返事だけは返ってくるものの、ロンが捜し物をやめることはなかった。 私とロンが、かれこれ5回くらい同じやりとりをしたところで、ハリーが付き合いきれないと言わんばかりに口を開いた。 「ロン。もう諦めて、君が新しいの買ってやれよ。ハーマイオニーもそれでいいだろ?」 「う〜ん」 あまりに意表をついたハリーの発言とロンの適当な返答に、一瞬固まってしまったあと、私は慌てて両手を振った。 「えっ? いえ、べっ、別に買ってもらわなくていいわよ」 これで、ハリーが『僕たちが』とか『僕が』と言ったのならば──もちろん、買ってもらいはしないけど──まだ話は解る。 それなのに、なぜロン限定…… 私は頭を抱えたくなった。 自分ではうまく気持ちを隠していたつもりだったのに、ハリーにはバレバレだったという事実が情けなくて。 そんな私に、なんとも意味ありげな笑みを顔に張り付けたハリーが告げる。 「遠慮することないよ。買ってもらっちゃえって」 「だから、買ってもらわなくてもいいって言ってるでしょ」 「でも、買ってもらったら嬉しいよね」 「そっ、そりゃ、嬉しいけど……」 そーゆー問題じゃないでしょう、これは。 と、私が続ける前に、ハリーは素早くしゃがみこみ、テーブルクロスをめくって、ロンに声をかけた。 「だってさ。買ってやるよな、ロン」 「そりゃ、僕でいいならいつでも買ってあげるけどさ。アレ、もらい物だろ。そういう訳にはいかないだろ」 「僕としては、それでいいと思うけど」 「そんなのハリーが決めることじゃないだろ」 「そうかもしれないけど、君が決めることでもないんじゃない。ハーマイオニーがいいって言ってるんだし」 「それは、ハリーが言わせたんだろ。邪魔するんなら出てけよ。とにかく僕はもうちょっと捜すから」 ロンにテーブル下から追い出され、ハリーはやれやれと椅子に腰掛けた。 そして、ロンにも聞こえるような大きな声で、 「ロンってやつは案外と頑固だよねぇ〜」 と言った後、声を潜めて私に囁く。 「僕でいいどころか、僕がいいに決まってるのにね」 「ハリー!」 私が声を荒げても、ハリーはニヤニヤ笑いを浮かべるばかりで、しかも彼の言うことが事実なだけに、本当に忌々しい。 ── 一発殴ってやろうかしら? 私がそんなことを考えているとは露知らず、ハリーは自分の余裕を見せつけるかのように、ゆっくりとした仕草で足を組んだ。 その瞬間── 「あっ!」という叫び声がテーブルの下から聞こえ、その声をあげた人物に足を引っ張られたハリーが体勢を崩す。 危うく椅子から転がり落ちそうになりはしたものの、咄嗟に背もたれを掴み、何とか持ち堪えたハリーは、その原因を作った人物を──多分──怒鳴りつけるためにテーブルクロスをめくりあげた。 だけど、そこに居るはずのロンの姿はなく、そしてなぜかハリーの靴も片方なかった。 一体なにが起こったのか理解できないでいる私たちの前に、テーブルの向こう側からロンが姿を現す。 その手にあるのはハリーのスニーカー。 彼は勝利の笑みを浮かべながら、スニーカーの靴底を私たちの方に向けて告げる。 「発見!」 言われてみると、その靴底の溝には、青く輝く小さな石がはさまっていた。 ハリーと同時に感嘆の声をあげ、私はロンに心から感謝の言葉を述べた。 でもその反面、これでロンにペンダントを買ってもらえなくなったと、少しだけ残念に思ったのは── 誰にも言えない内緒の話── ※ああ、なんて書き慣れていない感が漂う話なのでしょう。 |