Rhythm Emotion |
「また、やっちゃった……」 ロンに捨てぜりふを投げつけたあげくに図書室まで走って逃げてきたハーマイオニーは、そこにいる体裁を取りつくろうためにタイトルも見ないで引き抜いた本と共に座ったいつもの席で、ため息ながらに呟いた。 ロンが、自分がなにを言っているのか深く考えていないのなんていつものこと。 それなのに、その考えなしな発言に挑発されて、またしてもハーマイオニーは自分の想いをぶちまけてしまった。 ──しかも、今回はギャラリーつき…… あの口喧嘩を目撃した人間の中で、『あ〜あ、ロンがまたハーマイオニーを怒らせた』だなんて、のんきな感想を抱いてくれるのは、当のロン本人ぐらいなものだろう。 ハーマイオニーは、はっと短く息を吐くと、開いてさえいなかった本の上に突っ伏した。 こうなってしまったら最後、気分を浮上させるためには、数少ない幸運を少々無理矢理かき集めるしかない。 例えば、ふたりが口喧嘩をはじめてすぐに、とばっちりはごめんとばかりに逃げ出したハリーが、その場にいなくて──どうせ、すぐに彼の耳にも入るだろうけど──良かっただとか、他寮生の目もある大広間でやらかさなかっただけまだマシだとか、今日は土曜日だから明日もお休みだとか、今日は晴れているから湿度が少ないだとか、走って飛び出す時に近くの床に寝そべって昼寝をしていたクルックシャンクスの尻尾を踏まなくて良かっただとか…… そんな風に、後半ともなると既にちっとも関係ない良かったを拾い集めてみたところで、やはり気分が浮上するはずもなく。その上、古い本特有のほこりっぽさがくしゃみを誘発しそうだったので、ハーマイオニーは慌てて身を起こし、思考の方向修正を試みた。 幾度か首を振ることによって脇道に向かいかけていた──というか既に5〜6歩程間違った道を歩き始めていた思考をスタート地点へ戻す。 そもそも何故、自分とロンはこんなにしょっちゅうぶつかってしまうのか。 それは多分、ロンのだらしなさ及び口の悪さと、自分の口うるささに起因する。 そう、ハーマイオニーにだって解っているのだ。 9:1か8:2かは微妙なところだけれど──でも、絶対に5:5ってことはないと思う──とにかく、ロン彼との会話が口論にシフトしてしまうのには、彼のせいばかりではなくて、自分にも多少の責任があることは。 確かにロンは、面倒なことややりたくないことを先延ばしにする傾向があるけれど、当の本人だってそれが気に掛かっていない訳じゃないと思う。 だから、そのことをハーマイオニーに指摘されるとカチンとくる。 今しようと思っていたのに──というのは、子供が親に対してよくする口答えだけれど、自分がロンの行動に口出しする時の彼の気持ちは、それに近しいものなのだろう。 だから、本当だったら、頭ごなしに押しつけるのではなくて、ロンのすることに何も口だしせずに、ちょっと退いてみるのが、きっとうまいやり方。 何も言われなければ言われないで、そのことが急に不安になってしまう辺りが、なんというかまあ、ロンの情けないところであり、ある意味愛すべき人間であるところだから。 けれど、それが実行できるかというと話は別で。今のハーマイオニーに、一歩下がってロンを見守るだけの余裕は無い。 彼女がロンの行動に口を出す一番の理由は──もちろん、彼の先のばしっぷりが目に余るのも事実ではあるけれど──他の女の子に対する牽制だ。 決して口に出すことはないけれど、心の中でハーマイオニーはいつも叫び続けている。 彼の一番近くにいる女の子は私よ──と。 その称号を一瞬たりとも他の誰かに明け渡すことなんてしたくはない──というより出来ない。 もっと本音をいうならば、ロンが自分以外の女の子と口をきいているところさえ見たくない。 ──解ってる……解ってるのに。 自分が思っているほど、他の女の子にとってロンが魅力的な男の子じゃないことなんて。 恐らく居はしない、架空のライバルの存在に恐怖を感じてしまう程に彼のことが好きなのに、自分の感情表現がちっとも素直じゃないことなんて。 ──解っているのに改善できないなんて、これじゃロンのこと言えないじゃない…… そんな自分に呆れて、ハーマイオニーは再び深くため息をつく──はずだった。 「んーっ」 大きな手で、口と一緒に鼻までも塞がれて、息苦しさにうめいたハーマイオニーの頭上に振ってきたのは、相変わらずどこまで本気で言っているのか判断しにくい軽い口調のせりふ。 「間一髪ってところかな。ため息をつくのはおやめハーマイオニー。幸せが逃げてしまうよ」 自分の顔半分を塞ぐ手をやっとの思いで引きはがして、振り返った先にあったのは、声から判断したとおりロンの兄。 「……フレッドかジョージか解らないけど、いきなりこんなことするのはやめて欲しいわ」 ハーマイオニーは眉をひそめながら、どちらかはわからないが、とにかくロンの兄であることは確かである人物に向かって言った。 二人並んでいる時だったらハーマイオニーでもなんとなくどちらがどちらか判断できるようになってきたフレッドとジョージだけれど、こんな風に単品で登場されると、それがどちらか見極めるのは、彼女の双子経験値では不可能だ。 「これは申し訳ない。なにぶん咄嗟のことで、君が幸せを逃がしかけているのを止めるので精一杯だったものですから。常に女性の幸せを願うジョージ・ウィーズリーの、この心意気に免じて先程の失礼をお許し頂けませんでしょうか、お嬢さん」 胸に手を当てて優雅に一礼してみせる双子の片割れに、ハーマイオニーは気分を害していたことを忘れて思わず笑みを漏らした。 ウィーズリー家の人間は基本的に、落ち込んでいる人の気持ちを軽くするのがうまい。 それは、今回ハーマイオニーにため息をつかせている張本人のロンにも言えることで、一見その場にそぐわないのんきな発言で、巧みに人の意識を別方向へと持ってゆく。 きっと、この後のジョージはお尻がむずかゆくなるくらい、自分をお嬢さん扱いしてくれる筈だ。それがいつものことだから。 思考がそこまで達した時、ハーマイオニーはふいに気付いて首を傾げ、疑問を目の前の人物に投げかけた。 「そういえば、ジョージ、あなたの半身は?」 ハーマイオニーの質問に、ジョージは肩をすくめると、先程までと口調を一転させた。 「ん〜、セパレートできる便利な身体に生まれた覚えはないけど、遺伝子が俺と全く同じヤツなら、中庭で覗きでもやってんじゃないかな」 ジョージの返答を聞いて、ハーマイオニーは、はは〜んと納得した。人がいつもと違う行動を取るとき、そこにはいつもと違う目的がある。 この双子が自分と──多分──ロンのところにバラけて出没しているのは、いつものようなフォローや好奇心のためではなく、大抵の場合、されるほうには迷惑きわまりない『余計なお節介』をやくためだ。 そりゃ傍から見れば、でんでん虫レース並にじれったくて、あげくに遠回りまでしている様に見えるハーマイオニーだろうけれど、自分には自分のペースというものがある。 これはさっさと逃げた方が賢い選択だと、椅子から立ち上がり適当な言い訳でハーマイオニーはその場を離れようとした。 が、ジョージは彼女のそんな行動をも予測していたらしく、がっちりとハーマイオニーの手首を掴むと、にっこり笑って、でも笑えない内容の台詞を口にした。 「ってな訳でハーマイオニー、気分転換に僕らも覗きに行こうじゃないか♪」 § § § そんなの嫌よとか、離してよとか、あげくに訴えるわよ──どこに?──とか声を荒げて抵抗を試みたにも関わらず、それが却って裏目にでて図書室から追い出されてしまったハーマイオニーは、結局はジョージに引きずられて、彼曰く絶好の覗きポイントとやらに連れてこられてしまっていた。そういう割には見えるのは緑色の葉っぱだけじゃない、とコメントしようとして、ハーマイオニーは慌てて口を噤んだ。 そんなことを言って、なんのかんのと言いつつやっぱり覗き見したかったんじゃないか、とかジョージに思われたら心外すぎる。 でも、口では嫌だと言いながら、ジョージが見せてくれるという『何か』──断じて、他人のキスシーンとかいう類のものではない──に、ちょっとだけ期待している自分がいるのも確か。 自分には自分のペースがあると、人の善意を迷惑に感じながら、誰かに背中を押して欲しいと思ってしまっているのも事実。 ──ああ、もう、何がしたいの私! そんな風に一人でジタバタしているハーマイオニーに、ジョージが空いている──つまり、ハーマイオニーを捕まえていない方の──手で唇に人差し指を当てた後、今度は親指で茂みの向こうを示した。 その指にそそのかされて、思わずすましてしまった耳に飛び込んできたのは、誰かの荒い息づかいで。 ──まさか、これって本当に覗きなのっ! と、ハーマイオニーは慌てての隣に立つ、ジョージの顔を見上げた。 何を解っているのかいないのか、ジョージは意味ありげな笑みを浮かべるばかりで何も応えてはくれない。苛立ったハーマイオニーはここは実力行使とフリーになっている手をポケットの杖へと伸ばした。 杖の感触を確かめながら、足縛りの呪文で用は足りるだろうか、それともいっそ失神させた方が安全だろうかと考えていたハーマイオニーだが、実際に動きを封じられたのは、ジョージではなく彼女の方だった。 ハーマイオニーに金縛りを掛けたのは、茂みの向こうから聞こえてきた「ハーマイオニーが好きなんだろ」というフレッド問いかけと、ロンの「──ああ、悪いかよ」という返事。 そして、その後に続いて聞こえてきた話の内容はハーマイオニーに息をすることさえ忘れさせるものだった。 ──まさか、ロンがこんなことを考えていたなんて…… ロンの長ぜりふを聞き終えた時のハーマイオニーの心中はこれに尽きる。 いや、別に彼女はロンのこと考えなしだと思っていた訳じゃない。ただ、恋愛方面に関しては、底なしひしゃくのように──つまりすくいようのない──鈍感だと思っていただけで。 けれど、その底なしぶりには、ハーマイオニーが思いもよらぬ、こんな裏があったのだ。 気付づけないのじゃなくて、敢えて気付かない。 それが、周りに認められていない自分に自信が持てなくて、ハーマイオニーの気持ちに今はまだ応えることのできないロンなりの対処法なのだろう。 慎重に問題に取り組んでいるように見えて、一番大事な数値を代入し忘れて辺りがまた、なんともロンらしい方程式の解き方だ。 誰になんと言われようとハーマイオニーはロンが好きだし、自分の趣味は悪くない──多少マニアックではあるかもしれないけれど──と信じている。 そう、彼が代入し忘れているのは、『ロンが好き』というハーマイオニーの気持ち。 そりゃ、難解な文章に紛れて見つけにくいし、例え見つけられたとしても、それを代入するのが正しいと確信できない曖昧な記述でしかないだろうけど。 ──結局は、お互い様というやつかしら。 と、ハーマイオニーは、本日二度目の大きなため息をついた。 だが、その表情は1度目の時と全く違い、微笑みが浮かんでいる。 ──待ってあげるわよ。 いつになるのか解らない、あなたが周りに認められる日とやらを。 変なところで頑固なロンは、この先ハーマイオニーがどんなに解りやすいヒントを出そうと、いくら時間がかかろうと、面倒な方法で始めてしまったこの恋の方程式の解き方を変えはしないだろうから。 それに── ハーマイオニーは、茂みの向こうに居る、今はまだ親友の彼に心の中で語りかける。 ──こんなに根気強く、あなたを待って居られるのは、きっと私ぐらいなものじゃない? ねぇ、ロン。 冷静に状況を見極めたいのに、ついつい感情的になっちゃって。 |