A proprietary proof
神岡智史(かみおか・さとし)は、自室のソファに自分と並んで座っている伊達弘樹(だて・こうき)のしでかしたことに対して、大きなため息をついていた。 全国津々浦々を探して歩いたとしても、こんな状況でため息をついている、もうすぐ高校3年生(でもまだ2年生)は自分しかいないだろう。 ──ああ、確かにいないだろうさ。 自らに突っ込みを入れ、智史は遠い目をした。 智史は和泉澤学園附属高等学校という全寮制の名門男子校に通う高校生である。 そして、先程から智史にため息をつかせている弘樹は、彼のルームメイトでもあり恋人だ。 言いふらして歩ける様なことではないが、全寮制男子校という場所では、とてつもなく珍しいと言う程の事でもない。 そう、こういう言い方は何だが、ここまではいいのだ。ここまでは。 だが、問題はこの先だ。 智史は高校生でありながら、神崎智美というペンネームで執筆活動をしているプロの少女小説家。 そんでもって、クラスメートでルームメイトで恋人な弘樹は、智史の書く小説にイラストを入れているイラストレータだなんて状況があっていいと思うのか? いや、いい筈がない。 もし、智史が執筆している雑誌『NAVY』の小説大賞にそんな作品が投稿されてきたならば、『設定が強引すぎてリアリティに欠けています』と評されることは確実だ。 しかし、どんなにいい筈がなかろうと、どんなに編集者に酷評されようと、それが智史にとっての現実なのである。 そして、今、目の前で繰り広げられていることだって、どんなに信じがたくても現実なのだ。 もし自分が、やっとこさ卒業して目の前から消えてくれた物言いに容赦の欠片もない先輩ならば、ためらいもせずに『あきれ果てたよ僕は』と言ったに違いないと智史は思う。 自分がそれを口にできないのは、頭痛を感じながらも、弘樹のしてくれたことを、ちょっとばかり嬉しく感じているからなのだろう。 ──俺も大概終わってるよ。 こんなことをしでかす弘樹よりも、それが嬉しい自分の方によっぽどあきれ果てる。 とはいえ、ちょっとどころか、大いに嬉しくたってそれを素直に口に出来ないのが、智史の性格なのだ。 智史は、もう一度大きくため息をついてみせると、弘樹に向かって口を開いた。 「弘樹……お前、生粋の日本人の癖して風貌が外人くさいとは思っていたけど……。まさか日本の風習に疎いとはね。流石の俺も予想外だったよ」 「厳密に言えばわたしは生粋の日本人ではないぞ。曾祖母がドイツ人だからな」 そして、本題には全く関係ないところで、すごい秘密を発表するのは、弘樹の得意技だった。 ──こいつは…… 智史は拳を握りしめた。 確かに、弘樹はこれまでに2度ほど、自分のすごかったりそれなりだったりする秘密を披露したことがあるが、こればっかりは嘘だと思ったからだ。 「ありえねーだろっ! お前んち老舗の和菓子屋だろうがっ!」 「ドイツにだって古い伝統菓子がある。雑学王を自負するお前のことだ。もちろんザッハトルテの逸話は知ってるんだろう」 「ああ、ホテルザッハに嫁に行ったウィーンの菓子屋デメルの娘が、門外不出のレシピを盗んで実家に伝えたってやつだろ。俗に言う『甘い7年戦争』のきっかけだ。って違〜うっ! じゃあ、なにかい。お前のひいばーちゃんはお前んちの和菓子のレシピを盗みに嫁に来たって言うのかよっ」 「どちらかというと逆かな。わたしの曾祖父が伝統文化を大切にしつつも、外国の技術を取り入れるために、ドイツに渡った。古都ウィーンの菓子には派手さはないがしっとりとした雅やかさがあるからな。そこで曾祖母と出逢ったらしい」 「それで和菓子屋の嫁として彼女を連れ帰ったってか……チャレンジャーなじーちゃんだな」 「チャレンジャーなのは家系だろうな」 涼しい顔をして言う弘樹に、智史は当初の問題を思い出した。 そう、自分は別に弘樹と菓子の伝統について語り合うために、こんな会話をしていた訳ではないのだ。 こんな風にすぐに話が逸れてしまうところが、智史が自覚している悪癖だ。 しかし、学年トップの頭脳の持ち主でありながら、それの無駄遣いを趣味にしているような智史といえども、元の話を忘れっぱなしにしてしまう程には間抜けではない。 ってな訳で、思う存分まくし立てるために、智史は大きく息を吸い込んだ。 「確かに家系なんだろうよ。だけどな、ホワイトデーに貰っても居ないバレンタインデーのお返しを寄越すってのはチャレンジャーでもなんでもねーぞっ! そんな、どんなにモテない男でもやらかさないことを、寄りによって何でお前がするんだよっ! どーしてだっ! ひーばーちゃんがドイツ人だからか? インド人もびっくりするからかっ! 意味ねーだろうがっ!」 変なところで引っ張り出されてインド人もいい迷惑だと思いつつも、智史は叫ばずにはいられなかった。 これは、非常に微妙な人間心理である。 実際にバレンタインデーの──しかも本命に対する──お返しだとしても、弘樹が智史に寄越したものは、常識外れであった。 まず、第1に金額の面で。 女性ならば誰でもその店の名前を知っていると言っても過言ではない、有名宝石店の紙袋に入った贈り物。いくら手に職があるとはいえ、高校生が買うか? 普通。 第2にその中身が問題だ。 これで中身がペアリングだとでもいうのなら、前述した先輩やクラスメートにからかわれるの覚悟の上で、はめてやってもいいと思う程度には、智史は弘樹が本気で好きだ。 だが、箱の中身は何故かピアス。 流石にそのブランドで一番有名なハート型の物ではなく、男がつけていたとしてもさして違和感のない──弘樹曰く、アトラスニューメリックというものだそうだ──だったが、問題はそこではない。 何故って、智史の耳にはピアスホールなんぞ空いていないからである。 そう、このあたりが微妙なのである。 理由はどうあれ、好きな相手から物を貰うのは嬉しい。相手が自分の為に選んでくれた物だからだ。 しかし、それが自分にとって全く興味のないものならば。 嬉しい反面、非常に複雑な気持ちになる。 自分が好きな相手は、自分のことを解ってくれてはいないのか──と。 更に、引っかかることがもう一つ。 もしかすると、弘樹はバレンタインデーに智史が何かくれることを期待していたとか。 それを智史が綺麗さっぱりスルーしてしまったから、その仕返しにこんな贈り物をして見せたとか。 ──それとも…… 実は、地味に思い当たる理由がないでもない。 そう、思い当たる理由はないでもないが、それを確信してしまうのは、ちょっとだけ怖い。 ──それはともかくとしてだっ! よりによって、他の誰でもない弘樹がこんなことをしては駄目だ。 弘樹はいつだって、落ち着いていて、いい男で、自信満々でいるのが似合う男だ。 そんな弘樹が、貰ってもいないバレンタインデーのお返しをホワイトデーにするだなんて、モテない幼稚園児が思いつくようなことをしでかしちゃ駄目なのだ。 例え、その原因を作ったのが自分だとしても。 智史は唇を噛みしめながら、弘樹を睨み付けた。 そんな智史に弘樹は微笑んで見せる。 「意味ならあるぞ。ものすご〜く濃くて、口にしたら最後、誰しもが退きまくること請け合いな理由がな。聞きたいか?」 「いえ、遠慮しておきますっ」 智史は即答した。 こんな内容の台詞を笑顔で言われること程、恐ろしいことなどそうそうない。 更に、普段、どんな内容の話だって涼しい顔でしてみせる弘樹が、自分で濃いと断言するような話であるならば尚更。 いくら薄々予想がついていたとしても、実際に口に出されるのはやはり怖い。 とはいえ、その話を聞くにしても聞かないにしても、今後の話の流れが最終的に辿り着くところに変わりはないことだけは解る。 智史は、隣に座る弘樹から少しでも離れるべく、僅かに身を退いた。 「それに……」 逃がすもんかと、そんな智史の左手首を捕まえて、弘樹は再び笑顔と共に言う。 「バレンタインデーの贈り物は今から貰うんだ。多少順番が前後したが、さして問題はあるまい」 ──問題大アリだぁ〜。 智史の突っ込みは、弘樹の口づけに飲み込まれ、彼の心の中で叫ばれたに過ぎなかった。 「んっ……」 間髪入れず絡みついてくる弘樹の舌と、相変わらず器用に服の隙間から忍び込んでくる手の感触に、智史のスイッチは簡単に入れられてしまう。 そんな自分が情けなくて、智史はいやいやというように首を振って見せるが、そんな姿が一層弘樹を煽っているいると、彼は知らない。 唇に瞼に首筋に……惜しむことなく与えられる口づけの雨と、敏感な部分を行き来するさらりとした指先に、思考能力を失いそうになりつつも、智史は気力でそれを引き戻す。 ──こんなんじゃ、駄目だ…… スイッチが入ってしまったからには、智史だって途中でやめられては困るし、第一やめられやしない。 行為に及んだ回数こそ、普通のカップルに比べれば少ないだろうとはいえ、その1回1回の濃密さとは、回数の少なさを補って余りある。智史の身体は弘樹の手によってすっかり開発されてしまっていた。 普段なら、その手に導かれるままに、快楽の海へとおぼれにゆけばいい。 ──だが、今日だけは別だ。 弘樹にとって、これが智史からのバレンタインデーの贈り物だというならば── こんな風に、相手から与えられてばかりいたのでは、ちっとも贈り物になどなってはいない。 自分から、与えなくては── 既にソファへと押し倒され、無意識のうちに弘樹のの首に回していた両手を、智史はゆっくりと彼の頬へと移動させる。 その意外な両手の動きに戸惑い、顔を上げた弘樹に、智史は無理して作った挑戦的な笑顔で告げる。 「俺に所有の証を付けときたいってなら、いくらでも付けてやる。但し、ピアスホールはお前が空けろよ。それが所有者の義務……」 智史の台詞は最後まで告げられることなく、再び弘樹の口づけに飲み込まれた。 「当然だ」 息苦しい程の口づけを終えた後、弘樹が智史の耳元で囁く。 なんという自信。 しかし、これでこそ伊達弘樹という男なのである。 その、いつもどおりの言いぐさに智史はそっと微笑むと、首筋に降りてきた唇の感触に、今度こそまともな思考を手放した── ☆ ☆ ☆ 後日、針が自分の耳たぶを貫通してゆく感触のあまりの気持ち悪さに、右耳片方にピアスをつけるのみで弘樹に勘弁してもらった智史ではあるが、それでもその証は彼の耳から取り外されることはなかったのである。一生── 2004.03.14
日付が物語っているようにホワイトデーネタ。 |