Second Step
「何だ、随分と早く帰って来たんだな」 玄関のドアを開けた途端、くわえ煙草の神岡智史(かみおかさとし)に嫌味な台詞を投げ掛けられ、伊達弘樹(だてこうき)は眉を寄せた。 「今日戻ると言っただろう。しかも、雪で新幹線が遅れた。ちっとも早くはないと思うが」 智史のご機嫌が傾いているのは、見ただけで解る。 が、そんなことには気付かない振りをして、弘樹は玄関先に荷物を放り出し、智史のくわえていたLARKを取り上げ、ゆっくりと紫煙を吸い込んだ。 基本的に智史は煙草を吸わない。 今吸っているこの煙草だって、弘樹が買い置きしておいたものだ。 よって、智史が煙草を吸っている時は、大抵嫌なことがあった時だ。 そして、その理由が何なのかも、弘樹には良く解っている。 「……なあ、弘樹」 「ああ、解ってる。その前にちょっと休ませろ。コーヒー抽れてくれ」 一見、弘樹の態度は随分と横柄に感じるが、そうではない。 高校時代を含めると、二人の同居生活は丸五年を超える。その間に暗黙の了解ともいえる共同生活のルールが出来上がっていったのだが、その中の一つにコーヒーは智史が抽れる、というのがあるのだ。 「OK」 自分から話を切り出そうとしたにも関わらず、それを先延ばしできることに智史は安堵を覚えた。 モカ3にキリマンジャロ1、気持ち細かく豆を挽くという弘樹好みのコーヒーを抽れる為にキッチンへと向かう。 取り乱さず自分の決心を告げる心の準備が、その短い時間で出来ることを願って── ☆ ☆ ☆ 「『萩の月』って、お前んち、一応和菓子屋だろう。なんで、よその店から土産を買ってくるかなぁ〜」リビングのテーブルに置かれた弘樹の土産を見て智史はため息をついた。 「失礼な。一応じゃなくて、本格的に和菓子屋だ」 そんな智史の言葉に、弘樹は『なんじゃそりゃ』と突っ込みたくなるような返答を寄こした。 「だったら、尚更だろーが」 「それはよその店で買った訳じゃない。駅で買ったんだ」 「そーゆー問題じゃないだろうが。よその店の商品買ってることには変わりないっつーの」 「お前が嫌がるかと思ってな」 「はあ? 別に和菓子は嫌いじゃないぞ」 「綺麗に箱詰めされた、職人芸の和菓子を見たら、嫌でも実感するんだろう。わたしが和菓子屋の跡取り息子だってことを」 「弘樹……」 「今回もわたしが進路の件で帰省している間に、余計なことを考えたんだろう。私の為を思うなら、今別れてた方がいいとか何とか」 「………実際そうだろうがっ! いくらお前が和菓子を持って帰ってこなかったところで、事実は変わんねぇんだよっ! お前は和菓子屋の跡継ぎだ。高校の時は大学を卒業するのなんて、まだまだ先の話で、実感できてなくて、お前の『家には帰らない』って台詞も素直に嬉しかった。だけど、実際今になってみたら、そう簡単にはいかないってことだって解るさ。弘樹の親だって期待してるんだろう。お前が店の跡継いで、嫁さんもらって、孫なんか抱いてって。いくらお前が院に進んで後三年ばかりの猶予を貰ったところで、いつかそんな日が来る。どうせ別れるなら、今──。今ならまだ──」 智史の言葉の最後が嗚咽に変わる。 取り乱さずにいようと思っていたにも関わらず、智史は感情をおさえることが出来なかった。 今は、ただ、涙をおさえることが精一杯だ。 「今ならまだ、なんだって言うんだ。何も無かったことに出来るとでも言うのか? 五年も付き合って、しかも一緒に暮らしていて今更何を言ってるっ!」 智史の発言に、弘樹は語気を荒げた。 「今なら──」 震える声で智史が続ける。 「今ならまだ、少なくてもお前の家族だけは傷つけずに済む。どうせ別れるなら、傷つく人間が少ないに越したことはない──」 「どうして別れなきゃならないんだ」 智史の真意を知り、先程とは打って変わった穏やかな口調で弘樹は言った。 「だから──」 返答しかけた智史の唇を、聞く気はないと言わんばかりに、弘樹のそれが塞いだ。 逃れようとする智史の頬を押さえ込み、弘樹は更に深く口付る。 やがて── 智史の抵抗は徐々に弱くなり、更には弘樹の舌に応え出す。 そう、先刻口にも出したが、今ならではなく今更なのだ── 「もう遅い」 息苦しい程の口付けを終えた後、弘樹の唇はは智史の耳元に場所を移して、そっと囁いた。 「何が」 一週間振りに弘樹に触れて、情欲に潤んだ瞳をしながらも、智史は気丈に聞き返す。 「院には進まない。こっちで就職すると話を決めてきた。おかげ様で、俺もめでたく勘当だ。帰る家なんてもう無いんだよ」 えっ? という表情をしたまま呆然としている智史の言語中枢が、その機能を取り戻す前に、弘樹はゆっくりと目の前の人物をソファーへと押し倒す。 ──取りあえず、智史の説教を聞くのは、するべきことをした後だ── 2002.12.31
※この期に及んで、まだ智史はこんなこと言ってるんです。 |