偶然の法則
 ──二度までは偶然、三度目からは必然。
 ずっと以前、うろ覚えだが、誰かにこんなことを聞いた覚えがある。その時は聞き流していたが、最近この言葉がやけにひっかかるのは、きっとあいつのせいだろう。
 俺はこんなことを考えながら、ストックからコミックを出して補充している武田直也に視線を向けた。
 武田直也。こいつは俺より三ヶ月程後からこの本屋にバイトに入って来たのだが、実はその時が初対面ではなかった……。
 その日、俺は酒しか入っていない冷蔵庫の中身に流石に危機感を感じて、近くのスーパーに買い物に出ていた。と言っても、あまり本格的に料理をするほうではないので、買っている物といえばインスタント食品が大部分を占め、残りはデイリーの総菜という、ちょっとなさけない内容ではあったが。
 そういう理由で、俺はせめてビタミンCでも補充せねばと、果物売場に向かった。りんごを買うか梨を買うがしばし悩んだ後、梨をかごの中に突っ込み、ふと、同じ並びのみかん売場(彼はこう言っているが、柑橘類がまとめてあるコーナーのことらしい(笑))で、片方に4個パック、もう片方にばら売りのグレープフルーツを持って悩んでいる武田の姿が目に入った。
 もちろん、この時点で俺が武田の名前を知っていたわけでもないし、知り合いでもなかったが、その悩んでいる姿があまりにも真剣で、面白くなり、気付いた時には声を掛けてしまっていた。
「4個パック」
「はっ?」
 武田は驚いた様に振り返った。それはそうだろう、いきなり見知らぬ奴から声を掛けられたら、俺だって同じような返事しかできないと思う。
「どっち買うか悩んでるんだろう、それ。絶対4個パックの方が得だって。値段のことばかりじゃなくて、質もいい」
「はあ」
 と、返事をしたいきり、まだ両手にグレープフルーツを持って、ぼーっとしている武田のそのままに、俺はさっさとレジに向かった。いきなり人に声を掛けて置いて、あっという間にいなくなるんて、台風みたいな奴だと自分でも思ったが、グレープフルーツの質に関してのコメントは全くのでたらめだったので、その場を早急に去る必要が、俺にはあったのだ。
 が、会計をすまし、買った物を袋に詰め込んでいるときに、ふいに声がかかった。
「サンキュー。お節介さん」
 そう言って去っていった袋の中には、4個パックのグレープフルーツが透けて見えていて、俺は何だか嬉しくなった。
 このことを考えている間、ずっと、武田に見とれていた自分に気が付き、俺は慌てて視線を外した。あいつがこんなにも気になってしようがないのは、きっと、あの出会いのせい。偶然が重なって再開なんていうものをしてしまったせい。
 そんな思いをうち消すべく、俺は軽く首を振って、隣のレジについている霧原に声を掛けた。
「霧原、帰りミスド寄って帰ろーぜ。おごり」
「へえ、君のおごり。珍しい」
「まあ、金の在るうちに借りを返さないとね」
 ウインクしながら、軽いノリで言ってのける。
 バイト先の本屋で知り合った霧原とは付き合い始めてから半年になる。
 が、霧原と関係をこのまま続けていけるかどうか、今の俺は不安である。
 まあ、本来は他人であるからして、細かい部分で、意見の違いが出てくる場合もあるが、不安の原因というのはそんなことではない。
 いうなれば、この件に関しては霧原に悪いところは一つもないということだ。
 そう。それは──
 三度目の偶然を期待してしまっている自分の──せい。

■□■

「悪いけど、あたしゃ見捨てるよ。たかが、ビール4杯と水割り2杯呑んだくらいで吐いてる奴なんて」
「大丈夫だって。一回吐けば復活する。俺、タクシー乗って帰るから、みんな二次会行っていいぜ」
「ホント、大丈夫? (別に碓井くんがどうなったってどうでもいいけど)途中で吐いたらタクシーの運転手さんに迷惑だしなぁ。っても、あたしゃ方向違うからな、霧原さんは帰っちゃったし…。ん? こら武田、ちょお〜っと待て、一人でさっさと帰ろうとする根性が気にくわん。罰として彼を送っていきなさい。どうせ、方向一緒でしょ」
「えっ? だって」
「だっても、さっても、あさってもないっ。これは決定。じゃ、頼んだよ」
 完全にその場を取り仕切っている、堺にちらっと視線を走らせ、俺は小さくため息をついた。いくら年上だからっと言って、バイト先では俺の方が先輩(それどころか武田だって先輩である)だというのに、いい態度だ。
「あ〜あ、行っちゃった。吐き気おさまりました? じゃ、帰りますか、碓井さん」
 あきれた目で堺達を見送っていた俺に、武田が声をかける。
「ああ」
 タクシーに手を上げている武田の背中を見つめ、俺は確信していた。
 これは三度目の偶然だと──

■□■

「はい、水、大丈夫ですか? あっ、俺、地下鉄で帰りたいんで、もう、出ますね」
「俺は大丈夫だけど。お前、何言ってんだ」
 武田から水の入ったグラスを受け取りながら、俺は疑問を投げかけた。
「は? だから地下鉄があるうちに帰るって」
「今、何時だ?」
「えーと、十一時半位ですけど」
 武田が腕時計を眺めながら応える。
「それ、止まってないか。もう十二時回ってるぜ、最終には間に合わないよ」
 俺はビデオが表示している時刻にチラッと視線を走らせ、自分の腕時計が在っていることを確認し、武田に事実を告げた。
「えっ、まさか。だって、こないだ電池入れ替えたばっかり……なんでっ、止まってる」
「何でって言われてもなぁ。俺が電池変えた訳じゃないしな」
 と、言いつつも、俺はその理由に心当たりがあった。先刻、タクシーに乗り込む際に、俺は武田の肩を借りた。その時に俺のシャツのボタンに武田の時計が引っ掛かって、外すのに苦労したのだが、それで武田の時計のリューズが上がってしまったのだろう。これは、思いがけないラッキーなハプニングだ。
「ああっ、リューズが上がってる。やられたっ!」
「もういい、騒ぐな。俺も悪かったし、泊っていけ。ついでだ、呑みなおすぞ」
「ちょっと、碓井さん。あなた先刻まで吐いてたでしょう」
 呑みなおすと言った俺に、武田があきれた口調で言ってのける。
「一回吐けば、ザルになんの俺。あいつらと一緒じゃうるさいから帰ろうと思っただけなんだけど、悪かったな、巻き込んじゃって」
「別に碓井さんは悪くないですよ。あの堺さんに逆らえる人間なんて居ませんって。でも、本当に泊めてくれます?」
「もちろん。そうと決まったら、まあ、座れば?」
 俺は武田に床に散乱したクッションの一つを勧めながら、冷蔵庫を開けた。相変わらず大したものは入っていないが、酒類だけは充実しているその中身に苦笑する。
「何がいいんだ?」
「何があるんですか?」
「言ってみろ。ほとんど何でもあるぞ」
 おれの自信ありげな口調にいたずら心が刺激されたのか、武田はニッと笑って、いきなりカクテルの名前を口にした。
「ビトイーン・ザ・シーツ」
「お前っ……、俺にシェーカー振れって言うのかよ」
 俺は、誘ってるのか、と言いかけて、慌てて唾液と一緒に言葉を飲み込んだ。
 よりにもよって、『ビトイーン・ザ・シーツ(ベッドの中で。直訳はシーツの間)』だとぉ。まあ、最近はカクテルって言っても、マンハッタンだのサイドカーだの結構な種類がメーカーからお手軽価格で出ているので、ありそうもない物を、少ない知識を総動員して考えた結果、出てきた名前がそれだと言えばそれまでだろうが、ああっ、もうっ。
 ちらっと、視線を走らせ、ニコニコと爽やかに笑っている顔を見ると、武田にそんなつもりのは無かったのなんて聞かなくたって解る。
「武田、どんなカクテルか知ってて言ってるのか? それ」
「ははっ、バレました? 名前しか聞いたことない」
 ああ、そうだろうとも。そんな怪しげな名前のカクテル、たとえバーのメニューにあったって、男が注文できた代物じゃない。
「まったく、で、どうする? カクテルがいいって言うんなら、モスコミュールとジントニック、あとは……ああ、カルアミルクも出来るな」
 冷蔵庫の中身を確認しながら、武田に向かってといかける。
「ビトイーン・ザ・シーツ」
「……武田。お前、しつこいぞ」
「しつこくもなりますよ。偶然を装って、バイトに入って、堺さんの性格を予想して碓井さんを送ってきて、わざと時計のリューズ上げて……」
「武田……。お前、それ、どういう……」
 困惑した俺の台詞に、武田が肩をすくめる。
「どういうって、そういう意味ですよ。この意味が解らないって言うんなら、俺は素直に帰ります。霧原さんのこともありますしね。でも、俺の気持ち、バラさないで居てくれる位には親切だと信じてますから俺、貴方のこと」
 霧原……。武田の言葉に舞い上がって、彼の口から名前が出るまで、俺はすっかり彼女のことを忘れていた。
 一瞬迷ったが、霧原の事を思い出しもしなかったという事実が、俺の気持ちがどちらに傾いているかの証明だ。
「解りました。帰ります」 
 一方、長い間無言でいた俺の姿を返事と受け取ったのだろう、武田がジャケットに手を掛ける。
 ──違うっ! そうじゃないっ!
 言葉より先に身体が動く。武田の手首を掴んで彼を自分の胸に引き寄せ、抱きすくめる。
 そして、俺のいきなりの行動に驚き、口を開きかけた武田の唇をかすめ取る。
「解ってないのはお前の方だ」
 耳元で低く囁き、今度は深く口付ける。
 打ち切り間際の連載漫画にもひけをとらないスピードの展開についてゆけず、武田は俺にされるがままだ。そんな彼の唇を思う存分味わった後、俺は武田の前髪をかきあげ、おでこにもう一度軽いキスを落とす。
「ご注文、確かに承りました。ノークレーム・ノーリターンでお願いします」
 武田を緊張させない為に冗談めかした口調で言ってのけて、先に彼を寝室に通すと、俺は後ろ手に鍵を掛けた。
 鍵など掛けなくても、一人暮らしの俺の寝室に誰かが入ってくることなど有り得ないのだが、カチャリという鍵の音は、何か秘密の匂いがして、気持ちを高める効果がある。
「ずっと、気になってた……」
 もう一度、唇を合わせようと武田のおとがいに手を掛けたが、すっと顔を背けられた。
「いいんですか? 霧原さん」
 真剣な武田の表情に、俺は可笑しくなった。
 俺の心も知らないで、良く言ってくれる。まあ、口にもせずに解れというのは、どだい無理な話ではあるけれど。
「今、俺の目の前に居るのは誰だ? お前が目の前に居るのに、他の奴のことなんて考えたくない──いや、考えられない」
 そう言って、少し強引に口付ける。今度は武田も逆らわずに応えてくれた。ゆっくりと、ベッドの上に押し倒し、シャツのボタンに指を滑らせる。
「ずっと、こうしたかった」
 武田の首筋に、呟きを埋める。
 やっと、手に入れた武田の身体を実感したくて、俺は思いついたところから探索して行く。
 とがった顎、鎖骨の窪み、薄い肩……
 そして、時々、印を刻む。そう、自分のものだと証明する刻印を。
「あっ……」
 胸の突起に軽く歯を立てた時、武田がかすれた声を上げた。
 初めて知ったことだが、男も女も感じるところに大差はないようだ。
 時機を見計らい、武田自身に手を伸ばす。その瞬間、武田の身体に緊張が走ったが、愛撫が続けられると、力が抜け、吐息が甘く変わる。
「もう、ダメ?」
 駄々をこねるように首を振る武田に、俺は問いかける。
「言ってごらん。楽にしてあげるから」
「……んっ」
 武田が甘えた声を上げる。だが、許してはやらない。
「ほら」
 根本を締め付け、欲望の出口を封じ込めつつも、愛撫は続け、俺は武田の言葉を促した。
「おねが……、イカ……せて」
 涙を流しながらの武田の言葉に満足し、俺は締め付けていた手を緩め、武田を口に含んでやる。舌先でノックした後、幾分強く吸い上げてやると、武田は簡単に欲望を解放した。
 ぐったりした様子の武田を観賞しながら、俺は唾液で濡らした指を後ろへと滑り込ませた。
 確かこの辺りだった筈だが……
 第一関節を折り曲げて、前立腺を刺激する場所を探す。
 バイトの途中に拾い読みした、その手の小説がこんな処で役に立つとは、人生何が幸運につながるか判らないものだ。
 明らかに、感じ始めている武田の様子を見ながら指を増やしていく。
「あ……っ」
 武田がやるせない声を上げる。
 まだ、ちょっときつい感じはしたが、俺の方も、もう限界だった。
 武田の足を抱え上げ、一気に侵入を開始する。
 武田の眉をひそめた苦しそうな表情が気になりはしたが、欲もそそる。
 次の瞬間、俺は理性をかなぐり捨て、意識を現実から手放した──

■□■

 次の朝、眠っている武田に、いたずらなキスをしているとき、俺は不意にうろ覚えだった、あの言葉を思い出した。
 三度目の偶然は、『必然』ではなく『故意』
 そう、確かにそうだ。
 武田と俺の出会いだって──
 一度目は偶然。
 二度目は故意。
 そして──

 三度目は──恋。
FIN

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