変化に飛んで忙しい日々にさよならをして。
退屈だけど、平穏な日常を取り戻した、そんなある日、私、光葉は友人敬子と車でゲームセンターに遊びに行っていた。
ひとしきり遊び、最後にカラオケを1時間だけして帰路につく。
車が道路に出て数メートル走り出した時、私は車を背後から追いかけてくる人影に気付いた。
運転している敬子に、車を止めるように言い、追いかけてくる人物を確認すると、それは年下の男友達の航ちゃんだった。
「どうしたの?」
私は聞く。彼に会うのは久しぶりだったけれど、走って車を追うような行動をとる人ではないと思っていただけに、そっちの方が気になった。
「メンバーチェンジ」
航ちゃんは意味不明のことを言う。
「なんの?」
私の質問に航ちゃんは、親指で後方の車を指した。
「水落が乗ってる。光葉さんはあっちに乗りな。俺は敬子さんに送ってもらうから」
私はゆっくりと首を横に振った。
そして思う、素知らぬ振りをしていたけれど、私は彼が言ったメンバーチェンジの意味を咄嗟に理解していたのだと。
そして、彼が私がまだ水落くんのことを好きだと思っていることも解った。
確かに、私が彼を好き──というか、愛していることに変わりはない──きっと。
彼らとはここ1年ばかり、顔を合わせていない。
それにはまあ、背後にからむ色々な事情もあったけれど、私が彼ら──厳密に言えば水落くんに──会いたくなかったというのがその最大の理由だ。
何故って、私は水落くんに振られていたから。
それも1度じゃなく、2度も。
別にそのことに腹を立てて、顔を見たくなくなった訳じゃない。彼を見ると、彼の声を聞くと、又、好きという気持ちがわき上がってきてしまうから。
私が愛の告白とかをやらかさなければ、私と彼は大変良い友人でいれただろう。
私を振った後も、彼はそのスタンスを保とうとした。
それは、嬉しいけど辛くて、優しいけど思いやりの無い態度。
このまま友人でいると、私は再び彼に思いを伝えたくなり、伝えられた彼は再び困る。
そんな、悪循環を避けたかった。
だから、彼と距離を置いたのだ。
それは、結果的に彼の友人という立場で知り合った航ちゃんとも距離を置くことになった。
そして、おかしくも思う。
航ちゃんときたら、相手が自分のことを好きにならなければ、絶対に恋愛対象にしない我侭男で、半年おきに女を変えているくせして、私が1年近くも会って居ない男を未だに好きでいれると思っているところが。
実際、水落くんと会わなくなって私の気持ちは落ち着いた。水落くんが好きで好きで仕様がなかった時の私は、唯一の趣味である絵を描くことさえ、全くしなく、彼と会う為なら平日の夜中にだって出掛けていったのだ。
多分、それは私の人生の中で、自分のペースが一番乱れた時期。
でも、恋の力というのは凄い。どんなハードスケジュールで遊びまくったって、殆ど寝ないで仕事に行ったって、私の肌はつやつやしていたのだ。
そんな状態だったらから、彼と会わない決心をした後は疲れがどっと押し寄せた。
ただただ、休日を寝て過ごす日々が3ヶ月ばかり続き、その後、趣味の絵を描ける位には回復し、更に時間をかけて、友人と月に1度くらいは夜遊びできるまでにやっと回復したところだ。
私は水落くんにが好きだった頃の前向きな自分が大好きだったし、世界で一番彼のことを好きだった自信もある。だからこそ、これ以上しつこくして、彼に嫌われるようなことにはなりたくなかったし、実はあんなに情熱的に人を好きになることに疲れてもいたのだ。
だから、航ちゃんの提案は却下。それでいい。
「いいから、水落に送ってもらえって」
航ちゃんはくいさがる。
「逆方向でしょう。そんな面倒なことしなきゃならない理由がないもの。また今度遊ぼうね」
手を振り、ドアを締めて敬子に車をだすように言う。
「いいの?」
と聞いてくる敬子に、私は笑顔と共に言った。
「何を今更って感じでしょうが」
「そっか、そうだよね」
何故か安心したような敬子の顔に、私はうまく友人を騙せたことを確信した。
水落くんの家と私の家はこの場所からだと、逆方向になるけど、それを言うなら航ちゃんちだって、私の家と同じ方向なのだ。
逢えなくても、僅か数十メートル先に彼がいるかと思うと、そのことだけが嬉しい。
だけど、私の意志に反して、後ろを走っていた水落くんのマーク2はT字路で私たちとは逆の方向に曲がった。
どうしたんだろ、と一瞬考え、そういえば航ちゃんが引っ越したという噂を聞いたことを思い出す。
会わないし、送ってもらわないと言い張ったのは自分なくせに、私はすごくがっかりした気持ちになった。
* * *
翌日。私が寝起きでボケボケっとしていた時、部屋のチャイムが鳴った。
ドアを開けると、そこには何故か水落くんにが居た。
「悪りぃ、ちょっとパソコン貸して」
なんだか切羽詰まった様子なので、私は快諾した。
昨日はあんなに色んなことを考えたのに、実際に彼を目の前にしてみると、私の心は思った以上に平穏だった。
特別ドキドキもしないし、無理をしなくても、普通の友人としての態度をとれる。
ああ、会わないっていうのは、すごく有効な治療法だったんだって実感する。
なんだか、私にはわからない難しい作業をしている彼を放っておいて、私は読みかけだった推理小説を読む。
丁度、逃げ切って欲しいと願っていた犯人の犯罪が露呈してしまったところで、彼の作業は終わった。
ニコッと、切実にそれを望んでいた時には、決して与えられなかった笑顔を添えて、彼はありがとうと言った。そして、お礼だといって、私の欲しかったアーティストのアルバムを手渡してくれた。
彼から物を貰ったことではなくて、そのプレゼントの内容が嬉しくて、私は彼にお礼を言った。
こっちから連絡を取らなくては、決して彼の方から連絡をよこさなかった彼が、電話とかではなく、我が家にやってきたのは、本当によっぽど切羽詰まってパソコンを使いたい事情があったのだろう。
だから、用が終わればすぐに帰ると思っていた。
しかし、予想に反して、彼は我が家のソファに落ち着いた。
取りあえず、コーヒーなんかを出してみて、話題を捜すが、出てこない。
私が困っていると、彼が話しかけてきた。
「久しぶりだね」
「そうだね」
「どうして昨日、こっちに来なかったの?」
「方向逆だし、意味ないでしょ」
「前は逆方向なんかにかまわず、しょっちゅう送らせてたのに?」
「それは、送ってくれる人が居なかったからで…」
そう。私と水落くんにの周りの友達は、彼の気持ちなんて考えずに、私に協力的だった。
適当な理由をつけて、他の人間は決して私を送ってはくれなかったのだ。
それを知っていて邪険にしなかったのだから、私に告白されてしまった非はきっと彼にもある。
「ふ〜ん。今更俺に向かってそんな言い訳するんだ」
「言い訳も何も事実でしょう」
「何で連絡寄こさなかった? 愛想が尽きたから?」
彼が尋ねる。
振られた相手にこんな同情してやる義理はないと思うけど、私は彼に愛想が尽きたとは言いたくなかった。
彼は、いい年をして定職にもつかず、実家にパラサイトしながら小器用に金を稼いで生きている。
自惚れているかもしれないけど、私が彼に振られた理由は多分、外見上の好みに合わないとか、性格が嫌いとかそんなんじゃなくて、彼に自信がなかったから。
自分一人でさえ、実家に寄生しなくてはいきていけないのに、女と付き合う資格はないとかそんな理由。
実際、私が振られた時は、そう言われた。
女を振るときの体の良い言い訳みたいに聞こえるだろうけど、実際、彼は、現実は大層なさけないくせに、プライドだけはやたら高いのだ。
彼が望むなら当時の私は彼を扶養家族にしてもいいと思っていた。実際それくらいは稼いでいたし。
でも、彼のプライドがそんな自分を許さない。
そして、彼は現在の自分も許せては居ない。だから、愛想が尽きたとかっていう台詞が出てくるのだ。
多分、これが最後だと思うから、私は大好きだった彼に、できる限りのことをしてあげようと思った。
あなたに拒否されても、あなたがどんなに情けなくても、私はあなたを好きでいられるということを伝えようと。
「愛想が尽きることなんて、ありえないよ。私が水落くんに連絡しなかったのは、自分の気持ちを切り替えるため。水落くんを困らせないように。私だって子供じゃないんだから、振られる方ばかりが辛いんじゃないってこと知ってる。振る方だって、相手を傷つけなくちゃならない分辛いんだって。自分が辛いと思っていること、好きな相手にさせたい訳ないじゃない。そりゃ、振られてからも暫くは友人のふりしてたけど、このままでいると私は絶対もう1度君に告白したくなると思った。どんなに好きでも受け入れて貰えないなら、私がその人にできる事は相手を困らせないことだけでしょ。だから、離れたの。安心して、そのうち嫌いじゃない人つかまえて結婚して、適当に幸せになるから」
微笑みを添えて私は言った。
1年前なら、これは強がりだったけれど、今はそうじゃない。多分、水落くんに以上に好きになれる人は居ないから、ううん、居て欲しくないから、私はそういう人生を歩もうと思う。
結婚相手に失礼なことをする分、その人を大切にして尊敬しようと思う。
水落くんを好きな気持ちに変わりはない、只表現の仕方が変わっただけ。
そんな私をじっと見つめた後、水落くんは私を急に抱きしめた。
そして耳元で囁く。
「お前は俺のこと好きでいろよ」
私は彼の声が好きだ。低いけど響く声。なのに、カラオケで歌うとどんな高音でも出せるすごい声が。
その大好きな声に耳元でささやかれ、私は一瞬にして腰が砕けた。
返事をできないでいる私の唇に水落くんの口付けが落とされる。
歯列を割って彼の舌がからんでくる。
だけど、私の予想していたとおり、そのガードの堅さ故に女性経験に長けているとは思えなかった彼のキスはあまりうまくはなかった。
そして、1年前なら心臓が飛び出るくらいに、嬉しい出来事だろうに、今はこんなに冷静に受け止められる自分に驚く。
でも、きっと、彼と私の想いはこれくらいで丁度釣り合いが取れているんだろう。
嬉しいことは嬉しい。すごく。
その嬉しさが、飛び上がって叫ぶものから、眼を閉じてじっくり噛みしめるものに変わっただけ。
そして、思う。
これで又、私は婚期を逃すのだ──と。
水落、覚悟しなさい。
私の君への情熱の炎は、赤いものから青いものへと変わったのだから。
その色から受ける印象とは裏腹に、今までよりずっと高温で燃えさかっているのだから。
水落君──。
世界で一番愛してる──。
2003. 03. 22
※こんな話も書けるってところ見せておこうかと思って書いてはみましたが、やっぱり失敗?
主人公は20台も黄昏時の女性って感じでお願いします(誰にお願いしてるんだ?)。