『RIBBON』
「ほい」
「あ、どうも」
 土曜の深夜のチャイムの音に、いつものようにアパートのドアを開けた俺は、目の前の人間が差し出したものを見て、いつものように2秒間だけ固まった。
 その後、いつものように驚異の短時間で復活を果たした俺は、客人を部屋に通しつつ、いつものように一生懸命考えていた。
 ──これは、一体なんなんだ?

■□■

 俺──神戸茂(かんべ・しげる)には、月に1〜2度ウチに遊びに来る変な友人がいる。
 そいつの名は、小糸正也(こいと・まさや)。
 いや、変なといっても、別に小糸自身はそんなに変じゃない──と思う。
 そりゃ、趣味が石集めだったり、某お笑い芸人顔負けのうんちく王だったりと、他人に退かれそうな要素を持ち合わせてはいるけれど、それはあくまでも個人の趣味の範疇だ。
 その証拠に、ごく普通の彼は、ごく普通に某建設会社に就職が決まり、ごく普通の会社員になった。ただひとつ、普通じゃなかったのは、彼の勤務時間は週に80時間もあったのでした──ってそうじゃなくて。
 確かに、彼の勤務時間は異様なのは事実だけれど、それはこの件に関係ないので話を元に戻そう。
 変なのは奴がウチに持ってくる手みやげなのである。
 この手みやげってのが本当にくせ者で、一見全く意味不明の代物なくせに、きちんと小糸に持ってこられる理由があったりするのだ。
 大抵の場合、それは前回小糸と会った時に話した四方山話に起因している。
 つーか、このまま説明するのも面倒だから、一例を挙げよう。
 ある日の小糸は、何故かというにも程がある程意味不明に思える、でっかいジョウロにリボンを結び、手みやげとして持ってきた。
 これで、俺が庭付き一戸建てでガーデニングを趣味としているというなら話は解るが、ウチにあるのは、学生時代に200円で買った、枯れもしながいが育ちもしないミニサボテンのみだ。
 それにも関わらず、小糸がジョウロを持ってきたのは、語るも涙聞くも涙の理由がある──但し、笑いすぎで。
 まあ、なんというか、ジョウロが我が家に持ち込まれる半月くらい前に、俺と小糸は相変わらずろくでもない話をしていた訳だ。
 俺が住んでいるところは、下手に大きな市が隣にあるせいで──小糸の勤め先もこのN市だ──開け方が中途半端だ。
 駅やスーパーや本屋やラヴホはあっても、映画館やネットカフェやソープやキャバクラはない。
 そんな話をしてる時に、小糸がしれっと言う訳よ。「隣の市のデリヘル、こっちまで呼べるってウチの会社の奴が言ってたぞ」みたいなことを。
 だが、「マジッ?」と、その店の番号も知らないのに電話に手を伸ばしかけた俺を止めたのもやっぱり小糸だった。
「この際、デリヘル呼ぶから俺に帰れとか言う気かよ──だなんてことは、哀れな友人の為に言わないでやるけどよ……」
 小糸の言葉に俺は「あっ!」と声をあげた。
 もちろん、そんなことまで考えていなかったからだ。
「それに、電話番号も知らないだろうってな突っ込みもこの際なしだ。結論から言えば、N市のデリヘルは向かいのマンションには来てくれても、ここには来てくれない」
「えっ! なんで?」
「お前の部屋にはシャワーがないから」
「………」
 小糸のいう通り、元は下宿屋だったというこのアパートには風呂はついてなく、もちろんトイレも共同だ。だが、その分家賃は安いし、風呂は会社で会員にしてくれたスポーツクラブですませられるので特別不便も感じていなかったのだが、そこにこんな落とし穴があったとは予想外の展開だった。
「ちっ、なんだよそれ。つーか、お前、なんでそんなに詳しい訳? 呼んだのか?」
「呼んだのは俺じゃなくて、会社の先輩。親の旅行中に張り切って電話をかけたらしいんだけど、残念ながら築35年の先輩の家には、風呂はあってもシャワーがなかったんだとよ」
「風呂があればよさそうなもんだけどな。なんでシャワーじゃなきゃだめなんだよ」
「俺が知るか。手軽さの問題とかじゃねぇの」
「なんかムカつく、そのルール。いっそ、シャワーありますって呼びつけて、そこの洗車場で身体洗ってやるか」
 俺の台詞を聞き、小糸は声をあげて笑った。
「せめて、お湯にしてやったら?」
「安心しろ、あそこの洗車場は水じゃなくてお湯が出る」
「ついでにワックスもかけてやるってか?」
「ああ、もちろんだ。ビカビカにしてやるさ」
 ってな具合に、話というのはそれ出すと止まらない。部屋の中にシャワーがなけりゃダメだと言うなら、シンクに入れてジョウロで上からお湯をかけてやるだなんてところまで話が飛び、最終的には、その時が来たら小糸がお湯かけ係を努めてくれるってことまで決まっていた。
 斯くして、次回来訪時の小糸の手みやげがジョウロと相成った訳だが、もちろん、そんなのは冗談の域を出ていないのは互いに承知している。
 小糸は単に、何故このアイテムを持って来られたのかと、必死に考える俺の顔を見るのが楽しいらしい。
 おいおい大した嫌がらせだよ──と思いはするものの、それだけのために酔っぱらいの戯言を覚えていて、しかも金までかけているのだから、小糸が楽しけりゃそれでいいかってな気にもなる。
 まあ、俺も楽しんでいないと言ったら嘘になるけど。

■□■

 小糸がウチに来る時、手みやげにおかしなものを持ってくるのも毎度のことなら、その手みやげにリボンが結ばれているのもいつものことだ──例え、それがテニスボールやうまい棒の納豆味30本セットだったとしても。
 だが、本日リボンが結ばれていたのは、手みやげではなく、小糸の左手首。
 現時点での最大の謎は、どうやって小糸が自分の手首にリボンを結んだかであるが、多分彼が俺に考えて欲しいのはそーゆーこっちゃないだろう。
 取りあえず、冷蔵庫から缶ビールを出し、小糸に手渡しながら、俺は急いで記憶を辿る。
 だが、記憶を辿ろうにも、この前、小糸と飲んでいた時は疲れのせいか珍しく記憶が曖昧で、最後の方には何を話していたのか全く思い出せない。
 かろうじて思い出せるのは、大学で同期だった五十嵐が長年の片想いを成就させたって話題くらいで……。
 ──いや、待て。
 俺があの日、いつになくハイペースでグラスを空けてしまったのは、多分それが原因だ。
 五十嵐の根気と勇気がうらやましくて。
 ──ってことは……酔った勢いで口を滑らせたか……
 というか、小糸がこんなことをする理由はそれ以外に考えられない。
 今までだって、小糸は俺が口にしたもの以外を手みやげに持ってきたことはなかったのだから。
 自分がどうやって小糸を口説いたのかをさっぱり覚えていないのは、ものすごく情けなかったけれど、それでも俺はこの僥倖に頬を緩めた。
 そして、口を開く。
「小糸、お前、俺んちの台所でジョウロシャワー浴びる勇気があるのか?」
 この質問に小糸はきっぱりと応えた。
「絶対やだ」
「だろ。だからさ──」
 続きの言葉は声を潜めて、小糸の耳だけに落とす。
「今度は、俺が手首にリボン結んで、お前んち行くよ」
 ここまで来たら残す問題はたったひとつ。
 
 それまでに、自分の手首に自分でリボンを結ぶ方法を考え出すかだ── 
FIN
 

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