辺り触りのない会話を続けて行くのは、結構疲れる。
特に、兄でもないのに兄の顔をした男から得られる気遣いと優しさは、向こう側とはちょっと違っていて、戸惑うことが多かった。
相変わらずだとは告げていたけれど・・・本当は違う。
本当の兄は、そんなに優しくはない。
優しくないから、構わないので欲しいのに、その優しさをそのままに近付いてきて、見えない温もりのようなもので包み込もうとする。
「弟」でいるのは、だから疲れる。
やめて欲しいと思うのに、それは、口から出ることはなかった。
「今日はこの辺で解散・・・って・・・終電終ってるわね・・・」
舞耶の合図で防空壕を出た一堂は、空と時計を照らし合わせ、溜息を吐く。
この先に行き着くところを予見して、パオフゥが溜息交じりに言う。
「今日もホテルか・・・悪魔からの収入があるから良いものの、このままホテル暮らしを続けていくと、何時か資金が底を突くぞ・・・」
「そうねぇ。最近は結構悪魔もがめついからね」
「問題はトリッシュの泉なのよ!」
胸を張って舞耶がぼやいたのは、守銭奴な妖精。
パオフゥをして夢がないと言わしめた妖精は、善行を積む為に回復を仕事としているのだが、その回復に金がかかる上に、値段が馬鹿高い。
防空壕にはトリッシュの泉は見えないが、必須ダンジョンで必ず利用する為に見る間に減っていく残金が悲しすぎる状態なのだ。
「このままだと、ホテル代と回復代で、武器と防具が買えないわよぅ。どうする?」
「そのホテル代なんだが・・・」
それまで黙っていた克哉が言うのには。
「部屋を、ツインにしたらどうだろう? これまではプライベート云々で、一人一部屋だっただろう? 今後は悠長なことは言っていられない」
「そうねぇ・・・マーヤはどう? あたしは良いけど?」
「私も構わないわ。でもパオフゥさんは、一人じゃないと駄目なんじゃ・・・」
人一倍人とのプライベートな接触を嫌うパオフゥだ。これまで一人一部屋だったのも、彼が強行に言い張ったからなのだ。
「僕と達哉で一部屋に入る」
「・・・勝手に決めないでくれ・・・金くらい、自分で払える」
「自腹? ナンセンスだな」
「大人だろ? 自腹くらいで・・・」
「ちょーっと待ったぁ!」
兄弟喧嘩に発展しそうなところを、舞耶が割って入る。
「私は克哉さんの提案に賛成する。レッツポジティブシンキング~!」
そこで何故その言葉が出てくるのか首を捻る一同だったが。
「とりあえず、明日は解散することにして、今夜はホテルに、私とうらら、克哉さんと達哉君、パオフゥさんで部屋を取りましょう!」
「・・・舞耶姉がそう言うなら・・・」
達哉が納得したところで、平坂に唯一あるホテルに部屋を取る。
「じゃ、明日。朝七時にロビーに集合~!」
舞耶とうららはさっさと部屋に引き取って行く。
パオフゥは・・・。
「俺が達哉と一緒でも良いんだぞ?」
珍しいことを口にした。
「何故達哉となんだ?」
いきり立つ兄に、パオフゥはニヤリと笑う。
「俺が、周防よりも達哉の方が好きだからに決まってるだろ?」
「・・・」
達哉は溜息を吐くと、どうでも良いとでも言うように、黙ってツインの部屋に入っていった。
数分後、言い争いを終えて部屋に入ってきたのは、克哉の方だった。
「兄さんなんだ・・・?」
「口論に勝ったんだ」
「無駄なことしてるな・・・」
飽きれたように一言。
「こっちは必死だったぞ。どうしても達哉と同室になりたかったからな」
「・・・どうして?」
「兄弟の交流を持とうと思ってだな」
「無駄なことだな・・・」
にべもない。
「先に風呂に入って良いかな?」
「ああ。ちゃんと肩まで浸かるんだぞ」
「いや、シャワーで済ませることにする。ここ、ユニットだから」
「そうなのか?」
「前にも泊まったことあるだろ?」
「覚えてない・・・」
記憶力の良い克哉にしては珍しいことなのだが、そんなことすらどうでも良いというように、達哉は浴室に消えて行く。
残された克哉は、溜息つきつつ、冷蔵庫の中の酒を取り出した。
どうせなら、パオフゥが同室の方が良かったと思わないでない。
兄でない兄との交流は、正直疲れるのだ。
違うようで、同じ、同じようで違う。
珍しく聞きたいことがあって話しかけた時、そんなことは記憶もない、と返された時は、あまり物事に動じることのない達哉でも、結構衝撃だったのだ。
その兄と、一晩でも一緒に過ごす。
とても――気が重かった。
一緒にいる時間を少なくしたいが為に、方々を磨き立てるように洗う。
シャワーで済ませると言った割りに、湯船に浸かると、疲れが取れていくような気がした。
狭い風呂だから、そう落ち着くことも出来ないのだが・・・。
どうやって一夜を過ごせば良いのか、こんなに悩んだのは久し振りかもしれない。
何時もは進むことだけ考えていれば良かった。
誰かと一緒にいるということは、雑事に気を取られるということ。
達哉は久し振りの感覚に、疲れ果てていた。
「随分長い風呂だったんだな」 からかうように言われて、達哉は憮然とした。
誰の所為で・・・。
言うのは簡単だったが、訳が判らないで首を捻るだけだろう。
「じゃ、次は僕の番だな」
入れ替わりに克哉が浴室に入って行く。
狭い部屋のテーブルの上を見て、飲んでいたのか、と思う。
風呂に入って酔いが回ったら、どうするのだ。
思って見てみると、そんなに減ってはいない。
どうせなら――自分が酔ってしまおうか。
自我がなくなったなら、会話をする必要はない。
焦って流し込んだ酒は、喉を焼き不可思議な熱を体にもたらしてはくれたけど、かすかに苦い味がした。
「ふむ・・・」
浴室から出て直ぐ、克哉はソファで寝込んでいる達哉の姿を確認する。
「全く。そんなところで寝込んで。・・・僕の酒を飲んだのか・・・」
ふ、と口元に緩い笑みが浮かぶ。
「そんなに僕と会話をするのが嫌なのか? 達哉・・・」
それはそれで悲しいことだが、逃げずに部屋にいたということは、努力の証と認めよう。
そんな風に思って、達哉の体を抱き上げる。
18の、成年にも子供にも曖昧な時期の達哉の体は、その外見からは想像も出来ないくらいに軽い。
剣を楽々と扱い、ペルソナの扱いにも長けている。
潜った修羅場の数は半端でない、とはパオフゥの言葉だったが、本当にそうなのかもしれない。
自分の知らない弟。
その弟の降りかかった、不幸とも言える出来事は、それを知った時には胸がふさがれるような思いがしたものだが・・・。
せめて眠っている時くらいは・・・。
克哉はベッドに達哉を降ろし、上から布団をかけた。
ふと――。
息苦しさで目が――いや、目は開かない。まだ体は完全に眠っているのだろう。ただ、意識が薄く覚醒した。
心音が早い。まるで、運動をしている時のような呼吸の荒さ。
そして、腰から全身に向かって走るジワリと滲む感覚。
脇をくすぐられた時に、それは似ているかもしれない。
でも、大声を出して笑うようなものではなくて・・・。
「ふ・・・ぅん・・・」
誰かの手が、体を這っている。
気付いたのは、腰に明確な意思を持った触感が走ったから。
もう少し覚醒した意識下、二本の手が、自分の体を這いまわっているのに、達哉は気付いた。
手は達哉の、主に下半身を這っている。
時に揉むように、こすり付けるように、腰から尻、太腿を。
何事だ、と思った。
抵抗しようとして、身をかすかに捩ったはずが、逆に動きを封じるように押さえつけられた。
――いやだ!
意識が叫ぶ。だが、声にはならない。 その内、下肢が外気に晒される。
空気は柔らかいが、かすかな冷気を含んで達哉のむき出しとなった肌を刺したのだ。
だが、その冷気すら、直ぐに意識の外に追いやられる。
衝撃が襲った。
覚えのある――腰から下が溶けてなくなりそうなそれ。
湿った音を響かせて、滑った生温かいものに、緩く刺激を受けている。
「ぁ・・・あぁ・・・」
無意識に声が上がる。
恥ずかしい、耳を覆いたくなる程に甘ったるい声。
ふいに、その刺激から解放されて、耳元に熱い吐息と言葉が注ぎ込まれた。「愛している・・・達哉・・・」
甘く掠れた、心地良い声だった。
「・・・や・・・だ・・・・・・」
「お前が嫌でも・・・愛している、達哉・・・」
切ないくらいに真摯な言葉。
半覚醒下にあった意識が、これは誰の声だ? と問いかける。
部屋に一緒に入ったのは、兄に他ならない。
ならば、この声は、体を撫で回してるのは、兄?
ありえない。
兄弟でこんな擬似行為は、タブーだ。
常識と正義をこよなく愛している兄が、冗談でもそんなことをするわけがない。
少なくとも、これまで一度だって、弟としてだって、好意を示すような言葉すら貰ったことがない。
「う・・・そ・・・だ・・・・・」
「本当だよ、達哉・・・」
溶けそうな時間が再開する。
尻の間の門を叩かれながら、前をゆっくりとこすられる。
無意識に腰が跳ねる。
上がっていく快楽のゲージが、覚醒したはずの意識を薄れさせていく。
闇に沈み込む寸前、高い波を被ったかのように、声をあげ、安堵が全身に広がった。
目覚めてみると、なんでもないホテルの一部屋。
隣からは、安らかな寝息がする。
「夢・・・?」
それにしては、なんだかすっきりしている気がする。
達哉は着込んでいたバスローブをはだけてみる。
どこも汚れていない。
ということは――やっぱり、夢?
まさか・・・。
達哉はらしくもなく、赤面している自分に気付いた。
「嘘だ・・・」
だが、もしも夢だとするなら、夢は思い描いたものと共に、その日の記憶を処理する時のオマケとして見るもので・・・要するに、願望が現れていることもありえるのだ。
『愛してる・・・達哉』
低く響いた声は、今思い出せば、確実に兄のものだった。
「まさ・・・か・・・」
自分は兄から愛の告白を受け、女性にするように自分を愛して欲しかったとでも言うのだろうか?
ありえない・・・。
おそるおそる、まだ眠る兄の顔を見れば、どうしてもその口元に目が行く。
記憶が間違いでなかったとするなら、あの口に、自分の・・・は含まれて刺激されたのだ。
「あ、ありえない!」
力んだ声は、羞恥に擦れている。
達哉は慌ててベッドを降りて、脳裏を過ぎった妄想に等しい思考から自分を無理矢理切り離すべく、兄のベッドにダイブした。
「う・・・」
突如として人の重みを受けた克哉は、低く唸りながら、覚醒する。
「なんだ・・・達哉・・・」
声が掠れている。
「っつ!」
囁かれた告白を思い出す。
一気に熱が全身に回り、達哉はぺとりと床に座りこんだ。
反対に、完全に覚醒した兄は不思議そうに達哉を見た。
「どうかしたのか?」
「・・・うー・・・」
唸って頭を抱えた達哉。
「朝・・・」
やっとそれだけを告げて。
「ああ、そうか・・・そろそろ支度しないとな・・・」
時計は六時半を示している。集合時間まで、あと30分だ。
のっそりと起き上がった克哉の衣服も乱れていない。
やはりあれは、夢だったのだ。
だが、夢であるなら・・・。
達哉は混乱してきた。更に、どうして良いのか判らなくなった。
頭を抱えて床に座り込む達哉を、克哉は抱き上げる。「お前も支度した方が良い」
軽々と抱き上げられたことが衝撃で、さらに、それは夢の中の出来事を思い出させて。
「下ろせ!」
思い切り兄の横っ面を張って、達哉は逃げる。
「・・・いきなり殴るな・・・」
見事に真っ赤になった頬を押さえて、克哉は憮然とする。
「あ・・ごめ・・・」
「良いけどな・・・ほら、支度しろ」
ぽい、と投げられた服を抱えて――達哉は意味不明な動悸に悩むことになった。
「おっはよ~!」
朝からハイテンションな舞耶の声に、反応出来たのはうららだけだった。
「やっぱりベッドでゆっくり眠れるのは貴重だわねぇ」
おかげで肌の調子が良くて。
女性達はほくほくしている。
が、男性陣――達哉は意味不明な動悸と赤面に黙り込んでおり、パオフゥはそれを見て怪訝な顔をしてる。
一人平然としているのは克哉だけで。
「今日は解散出来るように行動するんだったな」
「そう! ってことで、残り少ないお金で、出来るだけアイテムを買いあさりましょう!」
気付かないのは舞耶ばかり。
うららは不思議そうに達哉に近寄り。
「どうしたの? 好きな男に抱かれた翌日みたいな、色っぽい顔して・・・」
痛い所を突かれた達哉は更に頬を赤く染め――反対にまさか、と克哉を見るうらら。
後、うららはパオフゥに近寄り。
「まさか、兄弟でやっちゃったなんて、あり?」
率直に述べるうららに。
「さぁな・・・」
パオフゥは明言を避けた。