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嘆きし人

 山岡の迎えがなくなって、放課後は何時でも音楽室通いとなった。
 そこには少なくとも、南条を企業の道具として見る人間はいない。
 柔らかいピアノの音が、時を優しく包むように存在する薄靄の世界で、そっと目を閉じて昔と今と未来を透かし見ることが出来るのだ。
 有体に言えば、落ち着く。
 ただ、それだけの場所だった。



「良いか」
 ノックはせずに、扉を開けてから声で了承を取る。
 ピアノの椅子に腰掛け、たえなる旋律を奏でていた者が振り返り、にこやかに頷く。
 優しげ――という風貌からはかけ離れた相貌ではあったが、鑑賞に堪えられる美貌でもあった。
「今日はどうした?」
 動かす指を止めずに、尋ねられる。
「嫌なことでもあったのか?」
 笑いを交えての問いかけは、案外と真摯でもある。
 これまで一度として悩みその他一切を、誰にも話したことのない南条が、彼を相手にしては何度も愚痴るというようなことをしていた。
「いや、別に……。ただ、ピアノを聞かせてもらおうと思ってな」
「南条がそういう時は、何時だって解決出来ない悩みを抱えている時なんだ」
 クスリと笑った彼――鳴海優也は、一度止めた指を鍵盤に滑らせ、曲調を変えた。
「それは何の曲だ?」
「アニメソング。最近流行ってるやつ。知らない?」
「いや、アニメは見ないな」
 優也は吹き出す。
「俺だって見ないよ。でも、この曲は流行ってるから知ってるんだ。こういう気分だろ? 南条」
「いや、そうでもないが……」
 アニメソングにしてはアップテンポのノリの良い曲だ。
 成る程、好みを別にするなら、覚えやすいそのメロディーは流行りやすいようにも思える。
 音楽室の入り口ドアからは、ピアノに向かう優也は背しか見えない。
 楽しそうに揺れる背は、彼の性格をそのまま現しているように見えて、その実、何も彼のことを知らないことに、唐突に気づいた。
 ふと、衝動が起こる。
 足音を殺して近付く。
 どうせ、そんなことをしても、ペルソナの共鳴が教えてしまうのだろうが。
 あと一歩、というところで、優也が曲を止め、振り向いた。
「で? 今日は何?」
 少し視線の下がった場所から、繊細な顔立ちと澄んだ目が見上げてくる。
 思わず――本当に思わずだ。そんなことをしたいとも思ったことは……ないとは言わないが――手が伸びた。
 優也の肩から腕を回すと、その思ったより細い体を抱きしめる。
「南条?」
 不思議そうな声が、体に直接響く。
 もっと――もっと近い場所から響く声を、知っている。
 かつて何度か、極限状態で味わったことのある、甘美な味。
 頬を触れ合わせ、切ないに似た感情で訴える。
「抱かせてくれ……」
 あれから――戦いと追跡に明け暮れた日々が終ったあの日から、一度として腕に抱いていない。戻った日常に慣れるのに夢中で、忘れていたわけではないのだが、忘れたいと思っていたのかもしれない。
「良いけど……ここで?」
「今直ぐに」
 ふぅ、と耳に届く溜息。
「初めてがあんなところだったから、もしかしてスリルに飢えてるんじゃないか?」
 笑い混じりに答える声。
「少なくとも、鍵はかけてくれるんだろうな、南条?」
 ふい、と示された音楽室のドア。
 視界の左右に一つずつ見えるドアの鍵。
「南条はあっちの鍵ね。俺はこっち」
 やんわりと腕を解かれ、離れていく体に、激しい情欲を感じる。
 あの制服の下にある肉体を、肉体を高められた後に覗く媚態、声、表情を、まだ体が覚えている。
 早足でドアの鍵を閉め、いまだ扉に向かう最中の優也に近付く。
 鍵を閉めている途中で背後から抱きしめ、制服を割って素肌に触れた。
「飢えてるのか?」
 多少呆れを含んだ声に言われ、その時初めて理解する。
 そう、飢えているのだ。人との触れ合いに、肌の温もりに。
 かちり、と鍵が落ちた音を確認して、乱した制服の下の肌に触れる。
 普通より多少体温が低いが、十分に温かい体。
 制服の下にきっちりとシャツを着込んでいる南条とは違い、優也はTシャツ一枚だけだ。
 裾から割り込ませた手で胸を撫で上げ、もう一方でベルトとジッパーを外しズボンを下着ごと落とす。
 空に晒された肌は、男の癖に白く女性的とも言えるだろうが、女性にはないシンボルがある。
 躊躇うことなく優也自身に触手を伸ばし、二三度こすり上げると、直立していた優也の腰が折れた。
 響く程の音を上げてドアに縋りついた優也の、腰から下が震えている。
 こすればこする程に反応を返すそれは、先走りの液を滲ませ始めていた。
「優也……」
 こんな時だけしか呼べない名前を、願いと祈りを込めて呼ぶ。
 答えるように頷いた優也に、一度体を離した南条はその体を反転させ、既に欲情に染まりかかった優也の顔――その唇に、キスを雨を降らした。



「結局の所、欲求不満だったってわけかな? 南条君は」
 ついには机の上にまで移動して、二度三度と交わった後で、優也は酷く掠れた声でそう言った。
「……意識はしていなかったが、どうやらそうだったらしい」
「最後にしてから一ヶ月以上か。判るけど、獣すぎ……」
 意識してないだけで、体の方は相当飢えていたらしく、これまで一度も要求されなかった体位まで要求された挙句、最終的には上に乗れ、と強要されて、良いだけ貪られた。
 疲れに疲れ切って、今は思い切り南条の腹の上に座り込んでいる状態なのだが、どうやら重みも痛みも感じてないらしい。ペルソナと一緒に鍛えてしまった体は、こんなことではびくともしない。
 しかし、乗られている南条はそうでも、乗っている優也の方は、もう体を支えているので精一杯だった。
 このまま横になって眠ってしまいたい程に疲れているのに、南条は動かず、まだ体内から抜けてもいない。
「南条……」
「ん?」
「抜いて」
「……」
 ばっちり見詰め合った状態で、優也は要求する。
 だが。
「まだ足りない」
 恐ろしいことを言い放った南条は、そのまま体を反転させ、優也を組みしいた。 体制的には楽になった。
 体制的には――だ。
 両足を抱え上げられ、ぐい、と腰を押し付けられるのに「また!?」と驚きの声を上げた優也に、南条は性質の良くない笑いを浮かべて腰を揺らす。
 ダイレクトに内部をかき混ぜるものに、疲れているはずなのに再び官能を引き出され。
「明日……休みじゃないのにっ……!」
 嘆き怒鳴りながら、流されていくしかない、優也なのであった。

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