「好きだよ、達哉」
言いながら、横に垂らされた手を握ると、緊張しているのか少し汗っぽい手が握り返してきた。
「俺もだ……」
薄く笑って答えた声に、淳は満面の笑みを返した。
「ここらでちょっと休憩~!」
背後から響いた声に、はっ、と達哉は我に返る。
一瞬、意識が途切れて消えていた。
「大丈夫か?」
覗きこんでくる、不自然に白い顔に、頷いて返す。
汗をかいているのだろう、その白い顔は少しまだらになっている。
「化粧直しでもしてきたらぁ?」
気付いたリサがからかい混じりにそう言って、馬鹿にされたと怒った栄吉は、足音も高く物陰に消えていった。
誰も何時もと変わらない、戦いの日常。
変化のないそれに、ほっとする。
「様子がおかしいね、本当に大丈夫?」
首を傾げて覗き込んでくるのは淳だ。
達哉は一瞬不自然な程顕著に体を硬直させて、一つ深呼吸した後に力を抜き、それから頷いて返した。
緊張する。
紛れもない達哉の本心だ。
それも、淳を相手に。
理由は――……。
全身に滲む汗の感触が気持ち悪くて、無意識に胸元をはだける。
くっきりと形を浮かび上がらせた鎖骨までを出して、大きく深呼吸。
湿気が多いのだろう、さして気温は高くないはずの空間は、酷く過ごし難かった。
「本当に大丈夫?」
舞耶にまでそう声をかけられる。
「ああ、心配ない」
「なら、良いけどね。今日はこのまま解散でも良いのよ? 無理をすればそれだけ負担が重くなるしね」
「ああ、判ってる……」
だが、解散すれば、また繰り返される非日常が恐くて、そう出来ない。
「今日はあと少し進んで、それから解散しよう」
達哉はそう答えた。
汗の滲んだ手を握り締めて、達哉は刀の感触を確かめる。
大丈夫、武器はある。
抵抗出来るはずだ。今日こそ……。
「ね、今日こそ一緒に帰ろうよ」
笑いかけてきた淳に、達哉は首を振る。
「悪い、今日も用事が入ってるんだ。また、今度……」
「そう? じゃ、この花。僕の替わりにね」
淳は達哉の胸ポケットに、赤い花を差し込む。
ふわりと甘い匂いが鼻につく。
「なんて花?」
尋ねると、淳は笑ってこう答えた。
「花言葉はね、蠱惑って言うんだよ」
「そうか……」
達哉は淳から預かった花を落ちないように固定して、仲間達に背を向ける。
あの日――淳に告白を受けて、自分も告白を返してから、一度も家に戻れてはいない。
帰りたくないのではなくて、帰れないのだ。
最初は普通に家に向かって歩いている。なのに、気付けば……どこかは知らない場所で、複数の男達を相手に狂態を演じている。
そんな日が続いていた。
淳を裏切っている。
そんな気持ちが、日々の不調に現れる。
時々意識が飛ぶのは、その所為だ。
本当なら、誘われるままに淳と一緒に帰れば、何もないのかもしれない。でも、もしも淳の前でふらふらと男達の元に向かってしまったら?
淳を傷つけるだけではなく、自分の気持ちまで疑われてしまう。
それは、耐えられなかった。
解決策は見つからない。
悔しいが、兄に相談してみよう、と思ったこともあった。だが、兄の元へも辿り付けない。
向かえるのは、男達の元へ、だけだ。
意識が、霞の中を歩いているかのように薄れてくる。
また――繰り返す……。
ベッドに眠る達哉の姿を、室内を照らす月を背に見守りながら、淳は微かな溜息をついた。
「僕よりも強い暗示力か……侮れないな……。にしても、達哉がまさか、ジョーカーを呼び出したことがあったなんて……」
仮面党に入党する制度が確立する前の、ジョーカー様。
呼び出した相手に夢を与えるだけの頃、確かに意識の端にひっかかる人物から呼び出された記憶があった。
だがそれが達哉だったとは、思いもよらなかった。
そしてその時に叶えた夢の代償を、今、達哉は支払っている。無意識の行動で。
捲り上げた布団の中、全裸の達哉が眠る。
その体のあちこちには、明らかに陵辱された跡が生々しく残っていた。
この数日、ずっと達哉の後をつけた。
クラブゾディアックの秘密クラブの一角で、男達に組み敷かれる姿を見つけた時は、心臓が止まるかと思った。
しかもその相手が、殆ど仮面党の幹部直結の部下だったなどとは。
達哉には意識はないようだった。
同様に、達哉を犯す者達の意識も、誰かに操られているような。
何もかもがまやかしの中で行なわれている夢のような時間。
今日はペルソナの力でまやかしを解いたが、根本を解決しない限り、きっと達哉は繰り返すだろう。
――どうすれば、達哉を救える?
考えている暇はあまりなかった。
最近は仲間達も達哉の不調に疑念を抱いている。
戦いは問題ない。だが、達哉の意識が時々途切れることに、みんな気付いている。
淳は達哉の手を握った。
あの日と同じに、少し水気を含んだ手。
「僕は絶対にこの手を離さない。だから達哉も、僕の手を離さないで……」
望む小さな声は、眠る達哉には届かない。