「まずいわ、足りない……」
沈んだ声で言ったのは、天野舞耶。現状でパーティの財布を管理しているリーダーである。
何だか知らないが、世界を救いましょう、と決意したと同時に買い込んだがま口に、悪魔から遠慮無用に奪い取った金銭を溜めていたのだが、ここにきて防具などを買いあさり、空になったらしい。
どこぞの戦隊もののように、バックに巨大企業やら国がパトロンについているわけでもない、個人的な集団なので、気付くと財布の中が異様に軽くなり、一気に貧乏という自体がままある。
しかも時間は既に夜。
そろそろ一日の活動を終えて、休もうか――という時間帯である。
因みに、最終電車はとっくの昔に終わっているので、ここから各自の自宅に戻るのには、徒歩かタクシーということになるが、徒歩ではたどり着いた時には夜が明けているだろう。となれば必然的にタクシーということになるのだが……。
「とてもじゃないけど、皆のタクシー代は出ないわね」
ふぅ、と舞耶は溜息。
最終手段としては、野宿――という手もあるにはあるのだが、このところ時間も気にせずにダンジョン巡りをしていたおかげで、数日風呂に入っていないという不潔状態であった。
出来るなら、今日くらいはゆっくりと湯に浸かりたいという希望もある。
「因みに、どれくらい自腹で出る?」
舞耶は隣に立つうららに尋ねる。
「昨日家賃払っちゃったから、全然。銀行も行ってないし」
「よねぇ」舞耶とうららはすっからかんである。
「パオフゥさんは?」
話題を振られたパオフゥは、ポケットからじゃらじゃら金を取り出すと。
「タバコ一箱分しかねぇな」
無情に答える。
「大体予定を詰めすぎなんだよ。銀行くらい行かせやがれってんだ」
舞耶とうららが行けないくらいなのだ。パオフゥだって銀行に行けない。
彼らの給料は全て銀行振り込みなので、引き出さない限りは手元にはないことになるのだ。
「因みに達哉君は?」
まさか年下に金銭を要求するのはどうか――とは思ったが、背に腹は変えられない――と達哉に。
達哉は困ったように首を振ると。
「……俺は元々、余り持ってないから……」
「よねぇ」
達哉に至っては、体も本人のものではないのだ。全て借り物であるのに、金だけ持っているなんてこともないだろう。
ま、相当悪魔をぶっ倒してきたので、その分の金は持っていたらしいが、仲間に加わったと同時に舞耶に全て渡してくれている。
「となると……」
舞耶、うらら、パオフゥは、遠く見張りをしている為に会話に加わっていない最後の一人を見やる。
遠く街角で、温かい缶コーヒーなんぞを持ちながら、済ました顔をして見張りをする――周防克哉。達哉の実の兄(世界は別)である。
「持ってるな」
「持ってるわね。だって、昨日寄ったもの」
「あそこって、今だに給料袋なんでしょ?」
きらりと光る、姑息な大人達の両目。
そしてその光を宿したまま、目は達哉に移ってきた。
「さ、出番よ、達哉君」
「……え?」
嫌な予感を覚えながら、達哉。
以前にも、こんなシチュエーションの中で、酷い目にあっていることを、達哉の利口な頭脳は覚えていた。七姉妹学園在籍は、伊達ではないのだ。
「いや、俺は……無理……」
「あー、お風呂入りたーい」
うららが悲しげに声を上げる。
「もう何日入ってないんだろう。おんなに風呂無しは残酷よねぇ……」
の割りには、後ちょっと後ちょっとと悪魔を倒すのに夢中になって「そろそろ帰ろう」と忠告した達哉の言葉を率先して無視していたようだが……。
「私も、かに缶食べたいなぁ……そろそろ味が恋しくなってきたのよね……」
の割りには、毎日のようにラーメンラーメン言って、かになんかには見向きもしない日々を送っていたようだが……。
「風呂もかにもどうでも良いが、とりあえず、ゆっくりと柔らかい布団で寝てぇな。俺は本来、枕が替わると眠れない性質なんでね」
の割りには、地面に横になった瞬間にディープスリープしていたように思えるのだが……。
数々の突っ込みは、言いたいのに言えないままに達哉の心の中にしまわれた。
口から先に生まれたようなうららと舞耶。それに人を煙に撒くのはお手の物のパオフゥを相手にしたら、いくら正論だとしても、無口な達哉は太刀打ちできない。
達哉は彼らと出会ってから、ひたすら我慢と諦めを受け入れてきた。そしてこれからもそうなるのだろう。
「……で、俺は何をすれば良いんだ?」
どうせろくでもないことだろう。
思いながら尋ねた達哉に、キラリと光る大人達の目。
その光は不穏なものを含み、出来るならもう二度と彼らの言うことは聞きたくない――と真剣に思う。
だが、そうはいかないのが運命の落とし穴――とでも言うのか。
「誘惑よ!」
びしり! と指を立てながら言ったうららに、やっぱり、と達哉。
「……誰を?」
「刑事さんに決まってるじゃない。給料日後なのよ。持ってるわよ、たんまり」
要するに、克哉を誘惑して、その財布の中身を奪い取って来い、と言っているわけだ。
「ホテル代で良いの。駄目なら、タクシー代人数分」
「多分、ホテル代の方が安いわよね? 舞耶とあたしは二人でシングルで良いし」
「俺もそれで構わないぜ?」
「タクシーだと、ここからだと港南区が三人じゃない? 結構かかるし」
「俺なんて、鳴海だぜ? かなりかかる」
「達哉君はどうせホテルでしょ?」
三人に畳み掛けられるように言い募られ、達哉は根負けした。
ふらり……と幽鬼のように兄の方へ向けて歩き出す達哉。
にんまりと笑った大人三人は、ぱっかりとがま口の二つあるもう一方の口を開けると。
「また無料で宿泊出来そうね」
じゃらじゃらと山のような札と硬貨を見て、含み笑いを浮かべるのだった。
ホテルの部屋は、三部屋。
克哉は上機嫌でツインを二部屋にシングルを一部屋取り――部屋割りなんて何のその。ちゃっかり達哉の肩を抱いて、ツインの部屋に入って行った。
そしてその隣――何故かパオフゥまで共に入った舞耶とうららの為の部屋。
コップを耳に当て、隣の部屋の物音を聞こうとしている三人がいた。
「ね、聞こえる?」
顰めた声で尋ねるうららに、舞耶が首を横に振る。
「安普請とは言え、そう簡単に隣の物音が聞こえたら、ホテルとして成り立たねぇだろ?」
したり顔でパオフゥ。
「ってーと、やっぱりこっちかな……」
懐からトランシーバーのようなものを取り出し、スイッチを入れる。
暫くはノイズの音しかしないのを、チャンネルを調整して、やがて……。
『ふ……んぅ……ぁぁ……あ、ぁ……』
突如として響いた、とんでもない声。
「お、やっぱりヤってるな」
「すっごい声ね!」
同時にギシギシと激しい音を立てる、明らかにベッドが軋む音に、ごくりと生唾を飲み込んで聞き入る大人達。
達哉は知らない。
彼らがそれを聞きたい(見たい)為に、自分は常に陥れられているという事実を。
そして、そうやって、兄と切っても切れない関係に追い詰められているのだと――。