家に戻れる日があると、達哉は必ず兄の部屋で一夜を過ごすようになった。
自分の部屋といっても、まるで様子が違うので、借りてきた猫みたいに落ち着かないし、なら、どうせやることもしてるんだし、兄と一緒に寝ても問題ないだろう、と判断したからだった。
けど・・・。
「兄さんでもこんなものを見るんだ……」
気まぐれに探ったベッドの下。お約束のように隠されていたのは、エロ本と言われる奴。
豊満な胸を晒して笑う美女の表紙をめくると、モザイクの目立つグラビアが続く。
凡そ兄には似合わないその秘密に、それでも「やっぱり男だったんだなぁ」と自分のことは棚に上げてそう思う。
これならむしろ、達哉の方が余程禁欲的だ。
高校三年にもなり、女性のヌードに興味を抱いたことは殆どない。
人付き合いが希薄で、友達と猥談なんてものもしなかった影響か、達哉は見事に性方面は初心者であった。
勿論、雑誌もビデオも無関係。
初めてが兄と防空壕で、というのがなかなかおかしくて笑える。
自慰だけはかろうじてしていたような気もするが……その記憶さえ希薄すぎて最後にしたのが何時だったのかも思い出せない。
今は欲求の全ては兄に解消させられているので、自分の手にお世話になることもないが……。
「兄さんはまだ、自分でもしてるのかな?」
微かな疑問が過ぎって、達哉は小さく笑った。
「な、何を見ているんだ!」
風呂から上がってきた克哉が、達哉の手に持っているものを見て、情けない声を上げる。
「これは没収!」
「別に中はじっくり見てないよ」
「当然だ。これはまだお前には早い!」
「そういうものでもないと思うけど……」
そうは言ったが、やっぱり興味もないので、素直に克哉に返す。
「どっちかというと、兄さんがそういうものを見ているんだ、って方に驚いただけだから」
「お前は僕を何だと思ってるんだ?」
「兄さん」
「そうじゃなくてだな……」
克哉は頭を抱え込むと、唸る。
「僕は男だ」
「知ってるよ」
「要するに男というものは、服を着ている女性を見ても、ちょっとちらりと脱がせてしまうものなんだ」
「そうなのか?」
全くそういう気持ちに至ったことのない達哉は不思議そうに首を捻る。 同時に、満員電車では大変だな、と考える。
あれだけ多くの女性がいると、周囲一面にヌードの嵐じゃ、どこを見て良いか困ってしまうではないか。
まるで見当違いな感想に思い至る達哉を克哉は知らない。
「雑誌を持ってるってことは、もしかしてビデオも持ってたりする?」
「持ってるさ」
「どういうの?」
興味一杯、といった風もなく尋ねてくる達哉に、克哉は不審な目を向ける。
「知りたいか?」
「いや、別に……」
興味があるのは、兄がそれに対してどんな感想を持っているか、とかそんなところだ。
本気で興味なさそうな達哉に、こうなると今度は克哉の方がノってくる。
「そうだな。じゃ、明日、実践してみよう」
何故か、そんな風に答えた。
翌日、待ち合わせの場所へと急ぐ達哉を、途中駅のトイレに誘う。
別にもよおしたわけじゃない。
「何? 何か、話?」
トイレには入ったものの、別に用を足すでない克哉に、達哉は首を捻る。
「昨夜の話を覚えてるか?」
「うん? 雑誌?」
「いや、ビデオの方」
「ああ」
確か実践するとかなんとか……。
考えて、思い至る。
「もしかして……」
「そう、現場はここ。トイレの個室でちかん行為から始まるんだ」
克哉はニヤリと笑って達哉を個室へと連れ込んだ。
「ここはまずいって……」
「だが、ここなんだ」
「ここじゃないだろう?」
AVとはいえ、まさか本当のトイレを使うわけがない。どこかのスタジオで撮影されたのに決まっている。
なのに、やめるなんてことは考えていない克哉は、抵抗する達哉をドアに押し付け下肢を探った。
誰が来るとも知れないトイレの、その個室だ。
完全に遮断されているわけではないから、呼吸する音だって、聞こえてしまうのに決まってる。
「兄さんっ!」
必死に抵抗するのに、何故か克哉の腕は解けない。
考えて、克哉は異様に腕力だけは強かったことを、漸く思い出した。
「駄目だって!」
「静かに……」
両手を一纏めにされてドアに押し付けられる。
腰を捩ってなんとか逃れようとするが、ジッパーを下ろされて中を探られると、もう駄目だった。
暴れた為と感じ始めている体が呼吸を上げる。
普通じゃない状況が、不可解な興奮を運んで、何時もよりも感覚が鋭くなる。いわゆる、緊張も快楽に変換されてしまっているのだろう。
誰に聞かれるか判らないトイレの個室。
とんでもない状況に陥ってしまった。
だが、思考は直ぐに溶けていく。
外気に晒された肉を、ねっとりといやらしい手つきで包まれる頃には――。
トイレが様式でよかった。
蓋を下ろしたその上に腰掛けながら、達哉は心底そう思っていた。
「三人程利用者があったぞ」
楽しそうに克哉が言う。
その三人に、達哉は思い切り恥ずかしい声やら音を聞かれてしまったのだ、と思うと、トイレの排水溝から下水に流れていきたい気持ちになる。
「ほら」
とハンカチを渡されて、更に用意周到にウェットティッシュまで用意していたらしい克哉に下肢を拭われる。
そこかしこに散らばった精液を見れば、何が行なわれたのかは一目瞭然で。
ノリにのった克哉は、なんと二度も達哉の中に放出していたので、中もドロドロだ。
腰も痛いし、全身がだるい。
これから戦いに行くなんて、考えたくもない。
そう思っている達哉の横で、克哉は携帯電話を操作していた。
「ああ、天野君? 悪いんだが、達哉が熱を出してね。駅までは出てきたんだが、これから家に戻ることにするよ。本当に悪いね」
などと嬉しそうに言っていた。
普通病気の人間が出たら、そんな嬉しそうな声は出ないと思う。
となると、電話を受けた舞耶にもバレバレということになる。
「兄さん……」
正直といえば正直。嘘が吐けない素直すぎる克哉は確かに愛しいが、こういう時だけはもうちょっと気を遣ってほしい。
達哉は真剣にそう思う。
何もする気になれないまま、ジーンズを穿かされて服を整えてもらう。
「駅前に車を置いてある。そこまで歩いてくれ」
兄は鼻歌でも歌いそうな上機嫌でそう言った。
「車って」
確か駅までは徒歩で来たはずなのだが。
「一晩800円。昨夜の内に預けておいた。夜中の駐車料金が安くて良かったよ」
本気で言っているらしい克哉に、達哉は軽い頭痛を覚える。
「さ、僕のマンションの方へ帰って、もう一度やろうか」
もう二度と兄の秘密を覗くのはやめよう。
達哉は真剣にそう思うのだった。