怖い。
そう思えば思う程、恐怖はうなぎ上りになっていった。
考えれば考えるだけ手足は冷え、背筋を寒気が這いあがる。
いっそ、この思考を抱えたまま、死の縁に立ってしまいたい。
そんな気分にもなる。
だけど、人間って奴は生きることに貪欲だ。
他人を陥れても見捨てても、最後には自分が生きることを選ぼうとする。
なんてことだろう。
こんな生に、何の意味がある?
考えたくない。普段なら、思考の果てに追いやって忘れてしまおうと努力する思考が、止めど無く溢れてくる。
いっそ、狂ってしまえれば…。
考えることを、やめたいのだ。
真剣に…。
本気で……。
だって……。
「達哉…」
呼ばれて達哉は、気だるい調子で目蓋を上げた。
目の前に映るのは、達哉最大の悩みの現況である克哉。
「大丈夫か?」
いかにも心配そうに言ってくるのに、指一本動かすのも億劫な全身を酷使し、頷く。
慢性的なだるさは、既に一週間程達哉の身に留まっている。前回兄に会ったのも、その頃だ。
「体調が悪いのか?」
「そういうわけじゃない……」
「だが、その様子は……」
いっそ言ってしまえれば、と達哉は思う。
このだるさの原因が、克哉であるのだと。
だが、言う機会が一向になかった。
まるで達哉の返事を避けるように仕事に打ち込んだ克哉は、一週間丸々家に戻ってこなかったのだ。
克哉はいかにも心配そうに達哉の体を抱き寄せると、優しくその身を包み込んだ。
更に。
「出来そうか?」
問われ、達哉の身がびくりと震える。
「……出来ない」
「そうか……残念だ。なら、お前は寝ててくれて良い」
――やっぱり!
いそいそと衣類の前を割ってくる克哉の手を、慌てて阻んで。
「あんたは具合の悪い弟に襲い掛かる趣味があるのか?」
「いや? 趣味じゃないが?」
けろりと返してくる克哉に、達哉のだるさは更に酷くなる。
「大体なんで、あんたは俺を!」
「仕方ないだろう。好きだし、好きなら抱きたいと思うだろ?」
「だから!!!」
だるさに加わり、眩暈までが達哉を襲う。
そう、ことの始まりは、一週間前のこと。
「好きだ!」
唐突に学校までやってきたと思ったら、他の生徒達が居る前で、しかも達哉が兄さんと克哉を呼んだ後で、だ。告白なんてしたのは克哉だった。
「は?」
唖然と克哉を見返した達哉は、一瞬思考が止まった。
当然だろう。どこの世界に、兄が、正真正銘の兄が、だ。しかも他に生徒がいる前で。更には彼らは全員達哉の「兄さん」発言で克哉が実の兄だと知っているというのに、告白なんてしやがる馬鹿がいるものか。
常識や正義が好きだから、警察官になったのだろうに、なのに大好きな常識をも打ち破る兄――克哉の思考を、この時ばかりは達哉は疑った。
「に、兄さん?」
「いや、お前が僕を好きなのは、もう判りきっている。ということで、後日、厳かにセックスを執り行いたいと思う」
「ちょ、に……」
「良いな、達哉!」
他人の話を聞いてない――と良く克哉は達哉に説教をするが、この時ばかりはこの説教を達哉が兄に向かってしてやりたいと思った。
言うだけ言って気が済んだのか、克哉はそのまま学校を逃亡。
そして残された達哉は、この出来事で、望みもしないのに「ホモの近親相姦」のレッテルを貼られてしまったのであった。別段、恋愛感情のない兄との関係を、勝手にでっち上げられて……。
さすがに腕っ節の強いと有名な達哉のこと。表立って中傷を浴びせられたりいじめにあったりというのはなかったが、ひそひそ話の中にふんだんに盛り込まれた「ホモ」と「近親相姦」の言葉には、精神がズダボロに成る程のダメージを受けた。
おかげで精神的疲労が体に影響し、常に体がだるく重い。
毎日しんどい思いをして、それでも学校はさぼらずに、と思った真面目さが仇となり、そんなの達哉の体調不良は、毎晩兄とセックスいたしているからだ――とまで噂になり、更に精神的疲労は溜まる一方。
そうして一週間――。
このダメージに加えて肉体的ダメージが降り積もろうとしている。全ての現況克哉のおかげで!!
「俺は兄さんを好きじゃない!」
思わず叫んだ達哉に、克哉はきょとんと弟を見やると。
「そうなのか?」
と酷く不思議そうと問いかけてきた。まるで、己の好意を退ける達哉が信じられないかのように。
「そうだ!」
答えた達哉は酷く本気である。本気以外の何者でもない。
だが、克哉は殆ど狂人であった。
「なら、してから考えてくれて良い」
にっこりと告げると、一端は中断した行為を再開したのである。
それだけではない。
脱がせてから――と最初は思っていたのだろう克哉は、その前に手をもぐりこませることで達哉の肌に触れた。
ズボンのジッパーを下ろし、隙間から手を入れ――。
直に触れられた達哉は、行為そのものが始めてということもあり、素直にその感覚を受け取ってしまう。
「に……さんっ!」
昂ぶり始めた己の体に恐怖して、達哉は声を上げて抗うが、克哉の動きは止まらない。
叫び続けた口が、今度はキスで塞がれ、達哉自身を嬲る手は激しさを増していった。
疲労し続けた精神が悲鳴をあげ、その疲弊しきった精神を肉体でカバーしていたその肉体を直接高められ、達哉はついに陥落した。
甘い声をあげ克哉の愛撫に答え始めたのは、それから直ぐのこと。
抗いの為に伸ばされていた手が、克哉の首に回され、抱き寄せる。
再び触れ合った達哉の口から出たのは、本気かどうか「好き」の呟き。
克哉は己の腕の中で乱れる弟の姿に歓喜し、また受け取った言葉に高められた。
後日。
「ということで、ここが僕達の愛の巣になる」
渡されたのは、新築の一軒家パンフレット。
「なに、これ?」
「新婚夫婦には、妥当なセンだろ? 子供が生まれたら、ちょっと手狭かもしれないが、その時は増築するなりして……」
「俺は子供は生めない!」
嘘か冗談か、そんなことを言い出す克哉に、達哉の精神疲労は蓄積する一方。
だから嫌だったんだ。怖かったんだ。こんな風に暴走するだろう兄が、想像できたから……。
達哉は心中で呟く。
しかしながら――。
「好きだよ、達哉」
優しく囁かれる言葉には、つい「俺も……」と答えてしまうようになった達哉であった。