人間、弱ってる時にはとんでもないことをしでかすものだ。
全裸でベッドに横たわって、染みの目立つ簡素な白い天井を眺めながら、達哉はそんなことを思う。
体の痛みには耐えられる。だけど、心は・・・。
そう思うからこそ、関わる人間全てを拒んできたのに、大人の悪知恵に負けてしまった。
それはプライドだったのに。
まるで子供の意地を判ってくれない鈍感な大人は、ゆっくりと蝕むように、子供扱いする相手である達哉を平然と追い詰めていく。
あまりに鈍感で、あまりに遠慮がないから、腹がたって仕方なくなった。
あまりに無責任だとも思った。
だから・・・。
「済まなかった・・・」
低く呻く声は、隣から聞こえる。
判っていて誘惑に乗ったのは、何故?
喉まで疑問が出掛かって飲み込む。
「あんたの責任じゃない・・・」
そんなところだけ鋭くなっている大人だからこそ、達哉の方が誘惑したのだと判ってるはずだ。
そんなことまで責任を感じられると、自分が駄目になっていくような気がする。
人は、甘えという名の過保護に溺れやすい。気分が良いし、安心するからだ。
もう、これ以上駄目にしないで欲しい。
ただでさえ、新たに得られた仲間という存在に、安心しかけてる。
これで大丈夫。
思えるようになったら、自分はお仕舞いだ。本来の「達哉」の体の主にも迷惑をかけてしまう。
「何を・・・考えてるんだ?」
「大人の責任と子供の意地の兼ね合いの難しさについて」
「お前ね・・・」
飽きれたように声を上げる隣の人物は、伸ばした手でティッシュを取ると、汚れをふき取っていく。
「風呂に入るか?」「匂いが残るだろ? 入るよ・・・」
「明日の朝までは、まだ猶予があるぞ?」
「のんびりしてる暇があるなら、先に進むことを考えないといけない・・・」
余裕がない。
「達哉は自分を追い詰めすぎなんだ・・・」
そうしなければならないことは、その状況下に置かれた人間にしか判らない。
腹筋を使って起き上がると、ベッドから足を下ろそうとして――腰を捕まれる。
「なんだよ・・・?」
「大人がいかにずるい人間か、ってことを、教えてやろうか?」
「は?」
問いかけると同時に、再びベッドに押し倒されていた。
「ちょっ!」
「聞けないな・・・素直になるのがこの時だけというなら、続けてみようじゃないか?」
薄く笑うのは、何時もなら色のついたガラスに隠された美貌。
「に、兄さん!」
「・・・判ってるよ。達哉が誘惑したんだ。僕はそれに乗っただけだってことも。だからこそ、逃がしてやらない。大人をからかうとどうなるか、その身をもって知ると良い・・・」
「何、言ってる・・・」
両手を戒められる。ベッドに戒めを固定された後、抵抗しようもなく両足を開かれた。
「っつ・・・」
見られる羞恥は、視線で犯される快楽に変換される。
正義を真理に、真摯な目で現実を何時も凝視している――その視線が、今、達哉の晒された裸身を嘗め回しているのだ。
そこにどんな悪徳を見出すのか。
そんな思考に、支配されかける。
「誘惑の相手を僕に選んだということは、少しでもお前の心に僕がいるということだろう?」
細められた目は、彼の大好きな猫のようにキラリと光っている。
「それとも、兄だからこそ、いざとなったら逃げられると踏んだ?」
「・・・そんなこと・・・・・・」
逃げることなんて、考えてなかった。逃げなくても、彼が大切に守っているモラルが、後に達哉を拒絶すると踏んだのだ。
「誘惑する相手を間違えたな。後で逃げようと考えるなら、優しい女性達を選ぶべきだった」
「何を・・・」
「僕もパオフゥも、恐らく達哉を逃がしてやれる程優しくはない。お前の悲哀を込めた態度や表情に、同情しているのは女性達だけだ。そういう態度は、男には――酷く扇情的に見えるものなんだ・・・」
ぐ、と体重がかかり、何時そうなったのか、固くしこった肉が内臓を開いていく。
「ぐ・・・」
一度交わった体はまだ先の潤いを残しており、簡単に挿入を許してしまう。
だが、肉体は開いて受け入れても、何も感じなくなったわけではない。
強引な挿入は、痛みはないものの、幾多の感覚を達哉に運んだ。
快感と、圧迫感。
「それに・・・はじめてではないだろう? 男との性交は初めての僕を、リードしていた・・・」
「・・・関係ないだろう・・・・・・」
「そうかもしれないが・・・嫉妬する程度には、兄弟の域を感情が超えていたんだ。お前が気付かなかっただけで・・・」
「まさか・・・」
「本当だ・・・・・・」
それでは、達哉は一番相手にしてはならない相手を、誘惑してしまったことになる。
突き放す為に、誘惑した。
とんでもない方法だとは思ったが、それしか思い浮かばなかった。
潔癖すぎるが故に煙たがられているようなところのある、正義感の兄ならば、弟との関係という最悪の不道徳に嫌悪感を抱いて、通常でも寄り付かなくなるだろうと踏んだのに。
「なんで・・・」
緩く慈しむような愛撫を受けながら、達哉は無意識に流れる涙の中で尋ねる。
「何を聞かれているのか、判らないな・・・」
割っているだろうに、はぐらかされる。 答えるつもりがないということだろう。
優しくない――言いつつも、結局労わられている。
この行為だって、達哉の意識から罪と罰と切り離すだけの優しい行為に他ならない。
「兄さん・・・」
思考は兄の思う通りに快楽に溶け、後は切なく吐く吐息の中で、甘えるように兄を呼ぶだけになった。
表現するならば、死んだように――眠る異世界の弟を、克哉は見下ろした。
扇情的な姿を晒し、眠り込んでいる顔は、今は安らいでいるように見える。
疲れて眠ってしまうのが良い。何も考えずに・・・。
無駄に考える余裕があるから、何時だって焦ってとんでもない過ちを犯す。
いや、達哉の判断が間違っていたとは思わない。
でも、それはあまりにも悲しい決断ばかりで、胸がふさがれるような気が、克哉にはしていた。
だから、誘惑された時――戸惑いはしたが、乗った。
克哉と、兄と異世界の弟という、どこか切り離された関係が、この一線によって変わるかもしれない。
そう思ったから。
「お前が・・・彼女達を選ばないで僕を選んでくれて、嬉しかった・・・」
そこに兄弟という絆は存在しないかもしれない。
だが、克哉はそれで良いと思った。自分も、何時からか、弟してではなく、一人の人間相手として、達哉を思うようになった。
弟とこの達哉との違いは鮮やかだ。別人だと判るくらいに・・・。
「だから達哉・・・僕とは兄弟ではなく、恋人になろう・・・例え、お前の決めている未来に僕の姿がなかったとしても、一緒にいる今だけは・・・」
祈るようにそう告げて、克哉は眠る――以前は弟と認識していた――達哉の頬に、キスを落とした。