正直なところを言って、自分がこんな風になるとは、思ってもみなかった――と克哉は思う。
これではまるで、獣と同じだ。
目の前からやってきた獲物に飛び掛り、有無を言わさずにその息の根を止める。
後はむさぼりつくして残骸を捨てるだけ。
いや、純粋に空腹を満たしたり子孫を残す為に生きるだけ、まだ獣の方がマシかもしれない。
克哉にとってこの行為は、ただ、己の欲望を満たす為以外のなにものでもなかった。
「達哉。今日、暇か?」
尋ねた克哉に、達哉は困ったような顔をした。
最近の弟は、何時もそうだ。克哉が話しかけると、困ったような顔をする。
何が不満か? 何が問題なのか?
肩を掴んで揺さぶり、尋ねたいような気持ちにもなるが、実際にそんなことをすれば、これまで克哉を避けまくってきた達哉である。一切の痕跡も残さずに、克哉の前から消えてしまうだろう。
それだけは勘弁して欲しかった。
「何か用事があるか?」
「……いや、用事という程のものでもないけど……ちょっと、出るから」
「そうか……」
とても残念そうな顔をしたのだろう。そうと判る程に達哉の顔が済まなそうに歪む。
「夜なら、空いてる……」
「いや、夜は僕の方に用事があってな。いや、悪い。今日は止すよ。また今度」
「うん……ごめん……」
言うと達哉は、克哉に背を向けて出て行ってしまった。
玄関先でのことだった。
聞くまでもない。達哉が外出することなど、判りきっていたのに。
最近外出の増えた達哉。いや、外出は以前のほうが多かった。
だが、家族仲が復活してからは、外出よりは家で過ごす方が多くなっていたのに……。
なのに……。
彼女でも出来たのではないか?
思う程に、克哉の心は千地に乱れた。
他の誰かにやりたくはない。己の手の、腕の中で、その姿を保っていれば良い。
凶悪な感情が、克哉に芽生え始めて、どれくらい経つのだろうか?
それ程昔のことではあるまい。だが、遠い昔のような気もする。
昔から達哉は、克哉にとって特別な人間だった。
弟としてだけではなく、もっと別の感情で……。
「重症だな……」
自分の思考を、克哉はそう判断した。
どれくらい経っただろうか?
何時しか眠っていたらしい。体を揺らす感覚で、克哉は覚醒した。
うすぼんやりと目を開けた克哉の顔を覗き込んでいるのは、達哉。
「兄さん……今日は夜、用事があるんじゃなかったのか?」
「え? 何時だ?」
「もう八時になる……」
「そうか……」
克哉は寝起きでだるい体を起こし、立ち上がる。
「達哉は、今、帰ってきたのか?」「うん……」
「そうか……」
高校も卒業を迎える男が八時に帰宅。別におかしことじゃない。
「戸締り、忘れるな。今日は母さんも父さんも帰ってこないから」
「うん。知ってる……」
そっけない達哉の返事が、何故か空しく感じる。
もっと、もっと他に言うことは?
もっと、会話をしたい。
克哉は己の用事も忘れ、既に立ち去った後の達哉を追いかけていた。
そして……。
克哉の腕の中、いや、下。
剥ぎ取られた衣服を申し訳程度にまとい、達哉は乱れている。
克哉の手で――だ。
限界まで広げられた入り口は、ぎちぎちと克哉の欲を締め付けて感応を最後まで引き出そうとする。
初めて味わった達哉の体は、驚く程に克哉を高ぶらせた。
最初はそんなつもりじゃなかったのだ。
ただ、話がしたくて。
だが訪れた達哉の部屋で、見覚えのないプレゼントの箱を見た途端、頭の中が真っ白になった。
やっぱり、達哉はもう、他の誰かのものになってしまったのか?
そう思ったら、もう……。
気付いたら、組み敷いていた。
いかに達哉が運動神経が良かろうが、その年齢にしては力が強かろうが、克哉よりも肉体的成長に恵まれていようが、結局のところは素人なのだ。
克哉は刑事としてあらゆる訓練を受け、またそれを怠っていない。
その差が、現れた。
苦しげに克哉の下で、逃れようともがく達哉を、腕一本で押さえつけるなど、克哉には造作もないことだった。
服をむしりとり、しかし腕を抜かなくてはならないシャツははだける以上のことは出来なかった。
下も、膝の辺りまで下ろしただけで、恐怖にだろうか? 縮む達哉のものを握り――扱き。
やがて快楽に鳴き始めるのに、行為を深めていった。
そして、今――。
克哉の全てをその体で受け止め、達哉はいまだ鳴いている。
苦しげな呼吸をし、断続的に震えるその身は、克哉を喜ばせるように緩急を繰り返す。
「達哉……」
涙に汚れた顔を見たくて、目に掛かった髪をかきあげる。
光の加減によっては、金に近く輝く達哉の目が、今は暗い色をして克哉を見上げている。
こんな風に欲望にまみれても尚、崇高さを失わない、強い瞳。
「愛してる……達哉……」
囁きを落とせば、驚いたのか、その色素の薄い瞳が丸く現れ――。
「に、さん……」
初めて――この行為が始まってから初めて、呼ばれた。
「に……さん……に……ぅん……」
切なげな達哉の声は、克哉を存分に昂ぶらせた。
治めその内部のきつさに動きを緩めていた克哉は、触発されたように腰を動かし、達哉の置くを存分に犯していく。
細められた目から再び涙の雫が落ち、それを掬い取ると、己の口へ。
塩気のあるそれを、美味と感じながら、更に達哉を感じたくて、唇を塞く。
合わさった唇の中、他の言葉を忘れたように克哉を呼ぶ達哉を、愛しいと感じながら、克哉は動きを深く抉るものに変え、達哉の中に。
迸りを全て受け入るべく、絞り出すように締め上げた達哉は、最後の一滴まで飲み込むと、意識を閉じていった。
目覚めた後、達哉は一瞬状況に対応しきれないように眉を潜めていたが、己の体に残る残骸を認識して、克哉との行為を思い出したようだ。
「するときは……先に言って欲しい……」
呟いた達哉の頬は赤く、克哉は確信した。
達哉は――弟は、己のものなのだ……と。
「達哉……僕はお前を……」
「うん……ありがとう」
微笑んだ達哉の顔は、久しぶりに見る。克哉は嬉しく思い、自分も微笑みを浮かべ――だが、嬉しいことはもっとあった。
「兄さん……これ……」
達哉が克哉に差し出したのは、克哉が切れる原因となったプレゼント。
「これは……」
「兄さん、財布が切れたって言ってたから。だから……」
「僕に……これを?」
「探し歩くのに随分とかかって……前と同じのだけど……他のが良かったか?」
「いや……」
嬉しいに決まっていた。
財布を貰ったのが、ではない。達哉が、克哉のことに気を配っていてくれていたことが。
本当は、この財布と同じものを、今夜受け取るはずだった。別の人間から。
だが……。
「ありがとう、達哉、大切に使うよ」
克哉は財布を大事にしまった。
翌々日。達哉のもとに郵便がきた。
何か通販を頼んだわけでもないのに? と不思議に思い差出人を見ると、兄の名。
何だろう?
開けてみて、驚く。
そこには、達哉の名の入った、克哉に渡したものと同じ財布が、入っていたのだった。