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シアワセ

 見たところ何時もの変わらない日常では、人間が何を考えているのか判らない表情で闊歩している。
 笑った顔、疲れた顔、困った顔。
 でも顔の通りの心情だったら、誰も間違えない。
 そうだろ?
 間違えたりなんかしなかったんだ。



「本当に兄さんは、俺が好きなのか?」
 尋ねる言葉に帰って来るのは、淫猥な水音だけ。
 開かれた達哉の下肢に埋められた兄の口中には、怒張した達哉の欲情の兆しが含まれている。
 部屋に入ってきた時、兄は笑ってこう言った。
「好きだよ、達哉。今夜は暇か?」
 好きと暇との間に何の因果関係があるのか、と一瞬悩んだものの、それが今夜のお誘いだということに気付いて、ああ、と頷く。
「予定はないけど?」
「そうか……」
 兄は嬉しそうに頷くと、勉強机に向かっていた達哉を立たせ、ベッドに誘った。
 後は押し倒されて言葉もない。
 最初に致したときもそんな感じだった。
 何時もはしかつめらしい顔で小言ばかりが口を吐く兄であるのに、その日はニコニコと上機嫌で達哉との会話を開始した。
 最初は昔の思い出ばかりを語る兄。それでも、10年前のあのネックの事件には触れない――触れられない。言及すれば、まだ塞がりきっていない互いの傷口から、じくじくと膿が出てくるからだ。
 膿には血と腐った恨みが混ざっていて、多分まだ、自分でそれを直視することも出来ない。
 弱いんだ、人間って。
 まぁ、昔話に花を咲かせた兄は、その内に、達哉が生まれてからこれまで、いかに自分が達哉を愛していたのか、をとつとつと語り始めた。
 愛している?「死んでくれ」よりも軽くて信用出来ない言葉だ。
 いっそ首を絞めながらほくそえんで「殺してやる」とでも言ってくれた方が余程嬉しかった、とは兄には言わないことにする。
 波風立てるのは簡単だが、その後で険悪状態が家族の間に普及すると、明日の朝食が心配だ。
 結局兄の口説きに負けて、服を脱いで腰にまたがっていた。
 始めからかなりディープなセックス経験だったけど、案外と良かった。
 兄に言わせると、素質があるらしい。
 そんな素質、あってもね。
 まぁ、気持ちはどうにしろ、体が反応するなら良いじゃないか。
 始まった関係はこうして続いている。
「シアワセだよ、達哉」
 ことが終った後、必ず兄は達哉の髪を撫でながらそう言う。
 シアワセ・・・。
 実の弟に手を出して、隠れて付き合うのがシアワセ?
 そんなシアワセクソくらえ。
 心に何も響かないシアワセに、勝手にひたられて、何時も達哉はおいてきぼりだ。
 大体、本当に愛してるのか?
 その割には、絶対にことの最中にそれを一言だって言わないのは何故?
 名前すら呼ばず、声も上げさせてもらえない好意のどこに、愛があるんだろう?
 表情を隠すことが大好きで得意な兄の心情なんて、達哉には見えない。
 表に出てくる感情が全てなのに、それで嘘を吐かれたら、どこに真実はあるんだろう?
 兄の温もりに抱かれながら、達哉の心はドンドン冷めていく。
 今では、氷点下の氷が胸の中一杯に詰っていた

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