ガラスケースの中、目を閉じる端正な顔を見つめている。
「兄さん……」
呟く声は憐憫にまみれ、聞く者が聞けば哀れでその細い体を抱きしめてやりたくなるだろう程に頼りないものだった。
兄――といつからか呼んでいた者がこのガラスケースの中で眠り初めて、随分と時間が経つ。
その間、じっとネロはその様子を眺め続けた。
つい先日までは確かに地獄の様相を呈していた、このディープグラウンドで。
全てのディープグランドソルジャーの中、その頂点に立ったヴァイスが、決意をしてからもう随分。
ネロはじっと、この愛する相手を見つめているだけだ。
「早く……」
見つけなければ。
ヴァイスの目を覚ます為の唯一のもの。
命に等しい力。
星を巡る――力……。
「兄さん……」
でないと、壊れてしまう。自分が。
最近強くなってきた自我の崩壊。
共にあるべきものの声が聞こえない――言葉が聞けない絶望の感情は、徐々にネロを侵食し、闇に類するネロを、更に深い闇においやろうとしていた。
いつか、完全に壊れてしまう時がくる。
このままでは……。
研究所の全制御をするためのメインコンピュータのタッチパネルに、ネロは手を置く。
このパネルの小さな赤い光を指で押せば、ガラスケースはその役目を終える。
震える指が伸び、赤い光を――。
「待て」
触れる寸前で留められる。
「……アスール……?」
「本当に殺す気か?」
「……そんなことは……」
したくはない。
「ヴァイスはこのガラスケースの中で、その肉体の腐敗を防いでいる。開けたらどうなるか、判っているのだろう?」
強い魔晄を浴びた状態ならまだしも、魔晄炉から遠いこの室内でガラスケースを開けたら――。
判りきっていることだ。
途端に生命活動を停止しているヴァイスの肉体は、腐敗を始め、二度と元には戻らなくなる。
これは、神羅の技術でもどうにもならなかったこと。
「だが僕は……」
「もう少しだ。もう少しで手に入る。だから、耐えろ」
それがいくら辛いことであっても、確実に甦る約束があるなら、耐えられるはずだ。
アスールは言い募る。
震えるネロの手が収められ、アスールも手を引く。
じっと見つめるガラスケースの中、ヴァイスはまるで眠っているかのように目を閉じている。
それがヴァイスの決意。
そして、ネロの、アスール達ディープグラウンドソルジャーの同意であった。
頼りない瞳でじっとヴァイスを見るネロを見守り、アスールは最後にヴァイスに頼まれたことを思い出していた。
命を閉じ、ガラスケースに入る前、ヴァイスは言っていた。
――ネロを、頼む。
戦闘能力、指導力。どれをとってもネロはヴァイスの次に能力が高い。
だが、その反動のようにヴァイスにその思考の殆どを頼りきった部分があった。
もしも、ヴァイスがその存在を消したとして、そのことにネロの精神が耐え切れず崩壊しそうになった時は……。
――支えてやってくれ。
ヴァイスの方こそが、壊れそうな目で、そう頼んできた。
――支えきれずに崩壊してしまったら……殺してやってくれ。
生きることが辛すぎるディープグラウンドで、ネロは散々苦しんだ。それこそ、普通に暮らしていれば極普通の青年に育っただろうネロは、実験に耐えるギリギリの精神で成長してきた。
それも、ヴァイスが傍にいてこそだった。
常にネロをかばい、守ってきたヴァイスがいなくなった時、その事実に耐えられるかどうか。
それが、ネロの大きな課題だったのだ。
だが今――。
タッチパネルを見るネロの目は、茫洋としている。
ガラスケースを切なげに見るネロの目は、どこか壊れてしまった心を象徴しているようにも見えた。
だが、まだだ。
アスールは思う。
まだ、大丈夫だ。
殺したくはない。
守ってやりたい。
ヴァイスの代わりにはなれなくても、ヴァイスを甦らせる方法は判っている。
それが、いかに難しいことであろうとも。
「行こう、ネロ」
「ああ……」
共に背を向けるガラスケースの中には、ヴァイスが眠っている。
いや、眠っているわけではない。
その命の灯火が消えて、もう随分となる。
ヴァイスの存在を取り戻すのが先か、それともネロの精神が完全なる崩壊を遂げるのが先か。
それとも……。
神羅の残された者達がディープグラウンドを滅ぼすのが先か。
常にギリギリの綱渡り。
だが、勝てる。
そんな気持ちが、アスールにはあった。
いっそもう、アスール×ネロだと思ってください。