世間で言うなら、こういう関係を新婚と言うのだろう。
戸籍をちゃっかりロイ=マスタングの妻として入れられてしまったエドワードは、それを知らされた日に、弟の下から引き離され、マスタング家(と言ってもロイの持ち家)に連れてこられた。
場所がどこにあるのか判らない上、どういう構成になっているのか判らない家屋からは簡単には出られないので、逃げられない。
更に、家事をきっちり完璧にやらないと、帰宅したロイに朝まで可愛がられてしまうので体力気力共に奪われてしまうので、手を抜けない仕事が山程。
「とりあえず、完璧を目指すんだ、俺!」
気合を入れないとならない家事って一体なに?
エドワードは思いながら、ロイが残した本日の仕事一覧のメモに目を通していた。
と。
「な、なに、浣腸って!」
しかも中を綺麗に洗っておくこと。
と、それは……。
露骨に今夜のエッチを差しているではないか?
「なんでだよ!」
昨夜も散々されたのに、このうえ今夜も?
エドワードは愕然とした。
毎晩そんなにされたら、当然のごとく体が壊れてしまう。
こうなったら、やはり逃げるしかない。出口がなきゃ、作れば良いのだ。
おり良くエドワードは錬金術師。ドアを作るのなんてお手のもの。
「等価交換だ!」
言いながら壁に手を着くと、ドアを作成。ガチャリと開くと。
「なんでだよ!」
見えたのは再び壁。
何度も何度もドアを作っては開いての作業を、もう飽きるだけした時、最後のドアと思われたものを開いて、更に愕然とした。
広い空間。その向こう側に見える壁には――エドワードが最初に練成したドアが見えたのだった。
「円を――描いてる?」
騙し絵のような構造の家。
要するに、エドワードは円を描くようにドアを造り、家の外周を回っていただけ。
その場にガクリと膝を着き、エドワードは呆然と部屋を眺めたのだった。
暫く後、電話が鳴って――エドワードは呆然から回復した。
出てみると、旦那様となったロイからであった。
「随分と疲れているようだが、どんなにドアを作っても、外に出るのは不可能だぞ?」
笑いを含んだ声で言ってくるということは、今まさにエドワードがしていたことを、見知っているということでは?
「あんた……どこかで見てた?」
「うん? まぁ、世の中には便利なものがあるんだよ。ということで、逃げるのは諦めて、大人しく浣腸して中を綺麗にしたまえ」
がっちゃり。
言うだけ言って切れてしまった電話に、悪態を吐きながらエドは仕方なく雑貨入れの中から薬箱を取り出す。
中から卑猥ともいえる形の浣腸を取り出し、トイレへ。
自分の尻に手を伸ばし、浣腸を挿入するという行為が、本当なら切羽詰ったもののはずなのに、酷く淫猥な雰囲気に感じるは何故だろう? やはりそこを、性器のように使われているからだろうか?
「何でだよ……」
別に好きで婚姻関係に至ったわけではないのに、されていることと言えば、愛し合う者同士がするそれで。
別に嫌いじゃなかったけど、でもそれ程好きじゃないのに、されれば感じる体は素直に快感に落ちていくのだ。
ぼんやりそんなことを考えていたエドワードの腹が、シクシクと痛み出す。
きた。
思った時に、ズドン、という感じがして、中のものが一気に下に落ちた。
全てを出し切ると、拭いて外へ。
今度は風呂場に入り込み、服を脱ぎ捨てると、その場にしゃがんで、シャワーのコックを捻った。
「いじめすぎたかな?」
呟くロイの声を聞き遂げて。
「そうですね」
冷静な声が響いた。
振り向くと、溜め息交じりに上官を見つめる有能な補佐が一人。
呆れ顔でロイを見つめる彼女は、唯一この上官が、あまり綺麗とは言いがたい手で、愛しい人間を嵌めるように手に入れたことを知っている。
というか、彼女がその手配をしたのだ。
「あまりいじめると、本気で逃げられますよ」
「うむ……」
全てを知っているから、彼女には頭が上がらない。
「しかし……どうしてああも強情なんだろうな?」
「それは大佐――」
心底呆れたように溜め息をついた彼女は、一言で言い切る。
「告白してないからですよ」
「……」
「どうして婚姻関係を結びたかったのか。何故毎晩のようにいじめられるのか? その理由も判らないままで、相手からの好意を一方的に求めているだけでは、駄目なんです」
そんなことも判らないのか、とばかりの彼女の言葉に、ロイは「そうか」と頷いた。
ロイとしては――別に告白するのが恥ずかしかったりとか、意地を張っていたりとか、そういうことはまるでない。
ただ――。
「忘れていた……」
「はい?」
ロイの呟きに、リザは驚いたように上官の顔を凝視する。
苦笑に満ちたロイの顔は、嘘を言っているような様子はなく、その言葉が真実だと告げている。
だからこそ。
「それは……本気で嫌われるかも知れませんね……」
思い切り同情の目で見る補佐官に、ロイは苦笑して頷いた。
この家には、特別な仕掛けがあるわけでは、実は――ない。
内部が悟られないくらい微妙なカーブで円形になっていて、入り口は地下にあるだけのことだ。
要するに、エドワードが目を向けなかった方面の壁に穴を開ければ、外には簡単に出れるのだ。
地下から自宅玄関に上がったロイは、居間のソファで呆然としているエドワードを見つけて苦笑する。
「鋼の」
声をかければ、ぼんやりと見上げた目は、死んだ魚のように濁っている。
「辛いか?」
側に寄って尋ねたロイは、子供にそうするようにしゃがみこみエドワードの目を覗き込んだ。
「辛い?」
鸚鵡返しに呟くエドワード。
「私と暮らすのは辛いか?」
もう一度尋ねるロイに、エドワードは首を横に振った。
「辛くはない――けど、判らない……」
「何が?」
エドワードはおずおずとロイの目を覗き込む。まるでそこから真実を読み取ろうとでもするように。
「なんで俺をここに監禁するの?」
「監禁か……」
ロイはエドから離れ、その場からは北側の壁に向けて、ぱちん、と指を鳴らした。
炎が勢い良く壁に激突し、炎よりも激しい衝撃が、燃やすでなく壁を壊す。
そこから見える光景に、エドワードは目を見開いてロイを見つめた。
「気付かなかったかね? 君は聡いと思っていたが……」
「じゃ、俺は……」
「気付いた通り、この家は円形をしている。家そのものが練成陣を描いていると言っても良い。出入り口は地下にあり、私を一度でも送り出してくれていたなら、玄関先も見えていただろう」
子供っぽい願いだったが、だからこそ、ロイは出入り口をエドワードに自ら教えるということはしなかった。
自分で知って欲しかった――というよりも、玄関まで送り出してくれて「いってらっしゃい」の言葉が欲しかっただけなのだ。
そして出来れば、エドワードにも、一緒に過ごす毎日を、好きだと思って欲しかった。
ロイが浮かれ「好き」の一言を告げることを忘れれたのと同じくらいに。
エドワードは呆然とロイを眺め、意識しないままに、呟いた。
「ならなんで……俺をここに連れてきたんだ……?」
意識していないから、だから、その言葉はきっと、エドワードが一番疑問に思っていたことだっただろう。
ロイはリザの言う通りだと頷いて、エドワードの側に戻った。
まだ幼いに等しい体を抱きしめて、耳もとに囁くように告げる。
「好きだからだ」
「……好き?」
「そう……君が、好きになった」
何時から――とは明確に言えない。
他の誰かには素直に懐くエドワードが、ロイにだけ、顔を合わせる度に嫌そうな顔をするのが、何時からか苦痛になった。
仕事の最中でも、今はエドワードは何をしているだろうか? と気になり出し、その度に方々に伝令を送り、近況を調べさせたりもした。
会う度にどこか傷ついていたり、危険に遭遇していたりするのが心配になり、ついには側に止めておこうと、彼の気持ちも、目的も知っていながら、無理矢理閉じ込めた。
この場所に。
閉じ込めたつもりはないなんて、嘘だ。
閉じ込めておきたかったのだ。
何時でも、仕事が終れば、毎日のように顔を見られるように。
ぎゅ、っと力を込めて抱くロイの手に、エドワードは酷く混乱していた。
「好きって……」
好きになってもらえるところなんて、どこもない。
エドワードはいまだにそう思っている。
好きでもない相手を抱けるのかどうか? それは何時だってエドワードの疑問だったが、今ここで好きだ、と告白されても、その好かれる可能性に思い至らなかった。
相手は一回り違う大人で、何時だって対等に扱ってくれてるから、だから余計に、生意気な態度を取っていた。
それを苦々しく思いはしても、好かれるなんて――考えもしなかった。
「本気……なの?」
縋るようにたずねるエドワードに、ロイは頷き、声ではなく、態度で、好意を示したのだった。
翌朝。
何時も通りロイに揺り起こされて――。
「ここは……」
「寝ぼけているのかい? 私達の家だ」
「家……」
この言葉は、エドワードには特別な意味を持つ。
帰る家のなかったエドワード。
少しだるさの残る体を起こしてエドワードは昨日までとは違う状況と自分の心理にまだ戸惑っている。
そんなエドワードを察して、ロイは手短にしたくを整えると、まだベッドでぼんやりしているエドワードの頬にキスを送り。
「いってきます」
と告げた。
は、っと顔を上げたエドワードはせわしく瞬きをして、微かに頬を染めながら「いってらしゃい」と答えたのだった。