エドワードは困惑の中にあった。
脱がされてベッドの中。
二人で横になっているのに、手は出されない。
隣にいる男は、好きな相手の全裸を前にしているのに、その欲望を前に出そうとはしない。
――きっと、つまらないって知ってるからだ。
エドワードは思う。
これまで相手にしてきたのは女性。その女性とはまるで違う体を持つエドワードは、この状況に至ったことこそ奇跡だと、そう認知している。
何故?
だってそうだろう?
自分は紛れもない男で、彼が言う「好き」の言葉だって、親のない哀れな子供を同情してのことに違いないんだから。
東方司令部執務室で、ホークアイ中尉との会話を聞いた。
「何故、大佐はあの兄弟に、必要以上に心を傾けるのですか?」
尋ねられたロイにしたら、不思議な言葉だっただろう。
ロイよりもむしろ、ホークアイの方が余程兄弟に心を砕いているからだ。
なにくれとなく兄弟の世話を焼くホークアイは、母性の強い優しい女性だと、そう知っていても、彼女の兄弟への構い方は、ロイにしたら度を越していると思わざるを得ないものに違いない。
だが、ロイはそんなことはおくびにも出さず。
「彼らは親をなくしている。子供にしては早く大人への道を駆け上がりすぎた哀れな子供達だ。私は、彼らの親代わりになってやりたいと思っているのかもしれないな」
そんな会話を、きっとエドワードが偶然聞いてしまったなんて、中尉も大佐も思ってもいないだろう。
エドワードは冷静な脳裏でそう考える。
いや、知られなくて良かったのだ。
知られたら、ロイはエドワードにも言っただろう。
「私を親と思っても良い」
だが、その言葉はエドワードへの最後通牒となってしまう。
柔らかいシーツの波に溺れながら、エドワードはふと、思い出す。
初恋は何時だっただろう?
まだ母親が健在で、父親の姿は見えなかったが、平和な毎日を過ごしていたほんの子供の頃。
兄弟は共にウィンリィへの淡い気持ちは持っていたが、それは初恋というよりはむしろ、憧れに近いもので――。
恋とはもっと、燃えるような気持ちを胸に抱え、何もしなくても幸福だったり胸が痛んだりと、そういうものだ、とエドワードは当時漠然とそう思っていた。
きっとウィンリィではなく、別に誰かに出会えた時、エドワードの恋の蕾は大輪の花を咲かせるはず。
何の根拠もなく、そう思っていた本当に幼すぎる日々。
その恋の花が、まさかこの男相手に開いてしまうとは、エドワード本人も想像もしないことだった。
そう――想像も……。
ちらり、視線をやった相手は、まだエドワードを眺めているだけ。
見やった目に、欲望の焔は点っておらず、案外と男が紳士なのかもしれない――それでなければ、やはり自分には興味もないのだろう、と思う。
「なぁ……」
エドワードは堪らずに声を上げた。
「なんだね?」
「しないの?」
尋ねる。
このまま、沈黙の中で思考を巡らせるのは、エドワードには苦痛だった。
普段ならばそれでも良い。
定期報告に訪れたり、禁書をたかったりする場合に東方司令部を訪れた時は、仕事の溜まりやすいこの男の前で、何時間も仕事が終わるのを待っていたりする。
だが今は――全裸なのだ。
居たたまれない。
「しないなら、俺――帰る」
肌触りの良いシーツは残念だったが、居心地の悪さとくらべたら、記憶の端にもひっかからないようなものだ。
シーツなら同じものが買える。
エドワードは思いながら、シーツを剥いでベッドから降りようとした。
どの道、この状況に至ったのからして、殆ど勢いだったのだから。
床に足を付けようとしたところを、背後から止められる。
「待ちなさい。しないとは言っていない」
ロイはエドワードの腰に腕を回し、引き寄せる。
不意に力のかかったロイの腕に、エドワードは思わずバランスを崩し、逞しい男の胸に倒れこんだ。
「っ!」
素肌同士の触れ合いが衝撃で、肩に感じた他人の肌に、思わずビクリとエドワードの体が震えた。
「寒いのかね?」
耳元に吐息を注がれつつ問われ、エドワードは慌てて首を振る。
「違う」
しないで欲しい。そんな風に。
暖かな吐息が耳に注がれるのも、エドワードにとっては初めての経験だ。
勿論、肩であろうが、他人の素肌を感じるのも、もう遠い昔――母が生きていた頃に、アルフォンスと風呂に入った時以来の感触だった。
「君は何でも物事が率直過ぎていけないね」
ロイは笑う。
「もっとゆっくり。人間関係でも何でも、急きすぎては物事が上手くいかないことも多い。今だってそうだ。君はがちがちに緊張していて、直ぐに始めても絶対に良い気持ちにはなれない」
「俺は!」
「セックスとは、そういうものだよ」
諭すように告げたロイは、腰に回した手を、ゆっくりと上に移動させた。
「は……あっ……ん…………」
壮絶な快感がエドワードを惑乱させる。
思考は既に死に、本能だけが与えられる感覚をむさぼっている。
ロイは十分に時間をかけ、エドワードの正気を奪っていった。
何故?
――こちらが聞きたい。何故この子は、私の言うことを何でも曲げて受けとめてしまうのだろう?
愛していると言えば、冗談交じりに「パパ」と言う。
誰が子供が欲しいと言った?
欲しいのはエドワード=エルリックという、別名鋼の錬金術師本人の気持ちと体で、息子ではない。
親代わり――という言葉も、何度もエドワードから聞いた。
だが、親代わりだからこそ、息子とも思う相手に恋慕を持ってもおかしくはないだろう?
否定はしない。
ロイは最初は、この子供を哀れに思っていた。
だが違う。
哀れなんかではない。
己の道をしっかりと見据え、前に進むことを厭わない人間には、同情など必要ないのだ。
彼らに必要なのは、迷った時に道の幾筋かを示せる相手。
だからロイは、早々に親代わりを止めた――はずだった。
だが、兄弟達はそうは思ってはくれず、エドワードへの気持ちが同情から恋慕になった今でも、ロイの恋心を信じてはくれない。
悲しい状況だった。
だから、アルフォンスの目を盗み、こうして本人を逃げられない場所まで追い詰める為に抱こうとまでしているのに……。
「君は……どうしたら私の……」
ついつい愚痴が口をつく。
目に涙の幕を張ったエドワードが、ロイを見上げて小首を傾げる。
解かれた金の髪がシーツに広がり、それがエドワードが頭を揺らす度に微かな音を立てるのを愛しく聞いて――。
「君が好きなのだよ……」
何度も告白を送る。
快感と共に、その体に塗りこむように。
触れたエドワードの肌は、少年らしく瑞々しく、さらりとロイの手に微かな感触を残す。
さして手入れしているわけではないのだろうに、どこもかしこも女性が羨むような見事な美しさを持つ少年は、自分だけがその事実に気付いてはいない。
残念なことだ。
しかし……。
「俺も……好き……」
聞こえてきたのは、信じられない答えで……。
「鋼の?」
「俺も、好き。駄目?」
「駄目なわけがない!」
漸く聞けた望む答えに、ロイの感情は一気に上昇した。
抱きしめる腕に力を込め、少年の体をより深くむさぼっていく。
可愛い声を上げ、姿を見せ、身悶えた少年への愛しさを募らせながら、ロイは、企てが成功したことを知り、同時に得た確固たる愛しい存在に、最大の愛の賛美を送った。
「ところで……」
汗にまみれた体が、冷えないように互いを強く抱きしめながら、ロイは問う。
「君は何時から私が好きだったのかね?」
「……結構前?」
「正確には判らないのかね?」
「うーん。多分、あんたが俺の親代わりをやめた頃――だと思うんだけど、俺にも確信がないから」
「そうか……」
となれば、ロイとエドワードは同時に恋に落ちたことになるのではないだろうか?
「では何故、私をパパと?」
「だってそれは……」
エドワードは困った風に笑う。
「俺の気持ちは判ってたけど、あんたの気持ちは判らなかったから」
「好きだと告げていたのに?」
「……だってあんた、社交辞令でもそう言うんだろ? それと同じなら、こっちばっか真剣になって。しかもそれであんたに迷惑かけるかもしれないし……」
「鋼の……」
社交辞令で好きや嫌いを告げたことは一度もないが、女性関係にだらしなかたのは事実。
そこから発展してしまった噂か何かを聞いたのだろう。
ということは、ロイの告白をなかなか信じてくれなかったエドワードの態度は、ロイに問題があったことになる。
「済まなかったね……」
「え? 別に……良いけど……」
今はきっちりと恋人同士に納まった身である。
が……。
「そうか……だから君は……」
今夜、アルフォンスの目を盗み誘いをかけた時のことを思い出す。
誘い文句は有体に食事だったが、その後、泊まりで家に誘ったのに、断りは入らなかった。
二つ返事で了承したエドワードも、確かめたかったのかもしれない。ロイの言う言葉の真実を。
「何にしても、君が手に入って良かった……」
「なんで?」
「好きだからに決まっている」
断言したロイに、エドワードは嬉しそうに笑い――。
「俺も」
可愛い笑顔つきで、そう答えたのだった。