春夏秋冬、君を愛す
「中嶋さーん、中嶋さーーん!!」
遠くから呼び声を聞き、中嶋は「またか……」と眉を顰めた。
既に籍を入れて一月余り。自分も既に中嶋姓だというのに、啓太はいまだに中嶋を「中嶋さん」と呼ぶ。
いい加減言って聞かせるのも面倒で、いずれ慣れるだろうと放っておいたら、結局「中嶋さん」呼びが固定して、何故か自分の両親や姉まで、揃って「中嶋さん」呼びするようになった。
「全員中嶋だろ!」と怒鳴りたい気持ちになったのは、一度や二度ではない。
自分のスタイルが崩れるので、怒鳴ったりはしないが……。
不規則な形で籍を入れた、結婚ともいえない結びつきであったが、啓太と中嶋家の関係は上手く言っている。
素直で可愛い娘が欲しかった……と鬼畜な笑みで言い放った胡散臭い両親は、その言葉が本気だったように啓太を可愛がり、むしろ本当の娘には「早く出て行け」と言い出す始末。
息子の中嶋は、出て行ったら啓太が付属で出て行ってしまうから、と、そんなことは言わないが、目が「お前、邪魔」と告げている。
元々誰からも好かれる素養を持っていた啓太であったが、中嶋家のそれはちょっと異常で。
常々「使えない人間は人間じゃない」と言い放つ中嶋家の誰もが、のんびりで時々ぽかをするが、総じて真面目に物事に当たる啓太には好感を抱いたようで、好かれる――というよりは猫っ可愛がり。
中嶋家で一番発言力の強い母などは、本気で啓太をペットにしたいとでも考えているようで、時々勘違いにも「一緒に寝ましょう?」などと誘っている。
勿論、中嶋が阻止しているが。
男女平等に厳しく接している姉も、啓太にだけは例外措置をとっているようで、普段良いだけ無表情が、啓太の前でだけ笑顔の大安売りになる。
怖いことだ。
「あ、いた」
中嶋を見つけた啓太の声に、仕方ない、と振り向くと。
「何か怒ってます?」
察しの良い啓太がそんな風に聞いてくる。
「怒っていない……」
「そうですか? の割りに、何か眉の間が……」
小首をかしげて啓太が中嶋の眉間に指を伸ばす。
「皺になっちゃいますよ?」
全て本気で言っているのだから、性質が悪い。
本当ならここで「それはお前の所為だ」と、一言言ってしまいたいのであるが、言えばしたりとばかりに中嶋他一堂がこぞって啓太をさらいに来るので言えやしない。
そもそも何故? 今更実家に戻って家族と同居しなくちゃならないのか?
考えれば考えるだけ、判らなくなる。
だが、啓太と籍を入れる条件が、中嶋家で同居、だったのだから仕方ない。
「それで? 何の用だ?」
「あ、そうでした。えっと、お茶の用意が出来ましたから、一緒にどうですか? ってお父さんとお母さんが」
「……奴らが?」
「はい」
にっこりと啓太。
「美味しいお茶菓子を頂いたんです」
「誰からだ?」
「お隣の西園寺さんからです」
「……来たのか?」
「はい!」
あーあ、と中嶋は溜息を吐く。
「判った直ぐに行く。先に行っていてくれ」
「はい」
啓太は軽やかな足取りで去っていく。
毎日が楽しくて仕方がない――とでも言いたげな様子だ。
逆に中嶋にとっては不満で仕方ないのだが……。
BL学園を卒業して既に三年。大学に通いつつ弁護士の資格取得の為に更に学校に通い忙しい毎日の中、それでも啓太が卒業すると同時に籍を入れるべく暗躍したのは良いのだが……籍を入れると同時に、この旧家の邸宅ばかりが並ぶ古都に、何故か西園寺と七条が団子状態で隣に越してきて、更には近くの高級マンションに丹羽と遠藤が共に移り住んできた。
街一つが、かつてのBL学園と化した状態の中、隣の西園寺は余程暇なようで、殆ど毎日のようにやってきて、中嶋家の家族――主に啓太――と午後のお茶を楽しんでいるという始末。
一体何故?
中嶋は溜息を吐くと、開いていた六法全書を閉じて立ち上がった。
「よ、ヒデ!」
茶会の会場になるのだろう居間に向かう途中、もう聞き慣れすぎた――本当は二度と聞きたくない――声を聞き、うんざりと振り替える。
門扉の側、大きく手を振る丹羽の姿があり、その隣には今日は仕事が休みらしい遠藤の姿が。
いや、鈴菱か……。
このまま無視して進みたいが、鈴菱は中嶋の大事な取引先。丹羽には啓太のことについて多少の恩があるのでそれは出来ない。
更に邪魔が増えた……と思いながら、仕方なく方向転換をして門扉を開けに行く。
「どした? 元気がないな?」
ニヤリと笑って言う丹羽には、全てわかっているのだろうに、意地悪くそう言ってくる技を覚えたのが忌々しい。
「いや、すごぶる元気だ。心配ない」
「そっか?」
心配なんぞのかけらなく、むしろ中嶋の元気がないのが嬉しいとでも言っているような笑顔に、思い切り蹴りをかましてやりたい衝動が起こるが、仕方ない。
「入れ」
言うと、後は好きにしてくれ、とばかりに中嶋は客を置いて一人居間へ向かうのだった。
果たして、茶会は夕食会にまで発展し、啓太と姉、そして珍しく母の作った料理でもてなされた客が全て帰ったのは、既に日付を越した夜中のことであった。
中嶋と啓太が、二人に与えられた新婚家庭用離れに戻ったのは、更に遅く。
「楽しかったですね」
などと喜んでいる啓太とは反対に、中嶋は疲れきってもう寝たいと思っていた。
新婚家庭なのである。本当なら、二人きりで蜜月を過ごすべきではないか?
だが、新居が中嶋家離れに決まってから、以前よりも二人きりで過ごせる時間が少なくなったような気がするのは何故なのだろう?
そしてそれを、啓太が喜んでいるという事実。
本当は籍を入れたくなかったのか?
肩を掴んで揺さぶり、問いかけたい気になる。
夜の営みだって、啓太が疲れていたり、中嶋が沈没したりと、出来る回数も格段に減っている。
もう籍が入っているのだから、子供を作って縛り付けることはしなくても良くなったが、別の目的で作ってしまった方が良いかもしれない。
即ち――子供を啓太に群がるお邪魔虫達へのスケープゴートにするのだ。
自分と啓太の子供だから、可愛く生まれてくるのは判りきっている。
最初の子供が男であるとの自信もある。
きっとこぞって奴らは子供に群がるだろう。
そしたら、啓太との蜜月復活!
しかし――出来ないのだ。何故か。
学園在学中にあれだけ中出ししたのに、全然全くその兆候が得られなかった。
ピルを飲んでいる様子もない。
啓太は何時も自然体で、妊娠を恐れてる風でもなかったのに。
なのに、出来ない。
「おかしい……」
「何がですか?」
「ああ、いや……」
じっと啓太を見ると、中嶋。
「お前、産婦人科に行って来い」
と一言。
「はい? なんでですか?」
驚いて啓太が尋ねるのに。
「出来ないのは、おかしい!」
と中嶋。
「出来ないって、何が、ですか?」
「子供だ」
「へ?」
キョトンとして啓太。
「中嶋さん、欲しかったんですか?」
小首をかしげた啓太は、ひたすら意外な中嶋の言葉に驚いているらしい。
「いや……欲しいと明確に思ったのは、今が初めてだ」
「え? じゃ、今は欲しいんですか?」
「欲しいな」
当て馬の為に。
かー、と赤くなる啓太。
「それって、俺達の愛の結晶ですよね?」
「――は?」
いや、そうではなく。
「俺……中嶋さんがそう思ってるなら、生んでも良いですよ?」
嬉しそうに啓太。まさかそんな啓太に、本当は自分達の甘い生活の為の犠牲になる子供を生んでくれ、と言えるわけがない。
だが……。
――生んでも、良い?
「お前、避妊してたのか?」
「はい。勿論ですよ。だって中嶋さん、そういうの面倒がると思って」
まさにそのものズバリであった。
「どうやって?」
「薬と洗浄ですよ。海野先生が相談に乗ってくれて。あと、保健……」
「奴らか……」
「それから、海野先生、今年から中嶋病院の研究員として来るらしいですよ?」
「……なんだって?」
「俺、男に戻れるかもしれないんです」
嬉しそうに言う啓太に、人生の危機を感じた中嶋。
暫くは平和ボケしていたのかもしれない。おとなしくしすぎた自分を反省し、翌日から腹黒い自分に戻ろうと決意した。
とりあえず――。
「子造りするか?」
「……はい……」
率直のお誘いに、啓太は恥ずかしそうに頷いた。
2007.04.24
46音で恋のお題