マルクト皇妃ルーク。
18の時に子をなし、その二人の子は二卵性の双子だったのだと言う。
一人は皇帝譲りの金髪に青い瞳の王女、リリィ。
一人は皇妃譲りの赤毛に緑の瞳の王子、マーク。
生まれてから十七年。二人はすくすくと成長し、先日リリィは有力貴族の妻として降嫁した。
マークは次代皇帝としての教育を受けつつ、宮殿でなかなか楽しい日々を送っている。
そんな日々のことだった。
彼は、驚くべきことをその、信頼出来る部下に語った。
「俺は、母上の血を受け継いでいないかもしれない。いや、その方が良い」
と――。
いかに王子に忠実な部下であろうが、皇帝に忠誠を誓った者でもあった者は、この皇子の言葉を皇帝に告げた。
現皇帝――ピオニー=ウパラ=マルクト9世。
今年54になった彼は、この言葉を聞いて、うっすらと笑みを浮かべた。
皇子の私室にて、皇帝は息子と対峙する。
「お前が母の血を引かぬと気付いたとはな、驚きだ」
皇帝は笑う。
唐突に知らされた事実に、皇子は怪訝には思っていたものの、それが真実であったことに驚きの意を示す。
「何故……」
さまざまな意味をこめてそう尋ねれば、皇帝は面白くなさそうに鼻で笑い、皇子が想像していた以上の驚愕をもたらした。
「皇妃と呼ばれるルークは、本来の性は男だ」
「え?」
「男には子を成せない。だからお前は、別の女から生まれた子だ。ルークの血も、さらには俺の血すら引いていない」
「!?」
まさか、皇帝の血すら引いていないとは……。
なのに皇子に据えられているこの事実に、皇子は眩暈に似たものを味わった。
「何故……それなのに何故、俺は皇子に?」
皇帝の血すら引かないのであれば、皇子になど立てるわけがない。もしもそれが下賎な者の血であったならば、余計に……。
「ルークの身の安定に、それが必要だったからだ」
「ならば、父上の血くらい……」
「俺は一生をルークに誓った。他の者となどと、考えられるはずがないだろう?」
「ですがっ!」
「問題はお前が皇帝一族の血も母の血も引かないことじゃない」
ピクリ、と皇子は震えた。
「どういう……それはどういう意味、ですか?」
「俺はこの年だ。もう何時退位してもおかしくない。その時、次代に立つお前が、母を守れ」
「え……」
「ルークは男だ。今までは俺が押さえてきたが、これを知り、ルーク共々お前を廃そうとする人間派少なからず存在する。そんな者達から、お前がルークを守れ」
「ですが……俺にはそんな力は……」
「確かにお前は、俺達の血は継がないが、立派に王族の血は引いている」
「え?」
「お前の父は現キムラスカ国王、アッシュ」
「え!?」
「王族の血はきっちりと継いでいる。問題はない」
逆にいえば、アッシュは己の子がマルクトにいることによって、両国の平和を維持しようとするだろう。それがルークの子として立っているなら尚のこと。問題は他国ではなく、国内にある。
だが、いかに己の子といえども、ルークを守れぬようなら遠慮なく攻めてくるだろう。そして己の手にルークを取り戻そうとする。
容易に想像出来ることだ。
勿論その際には、未だ皇妃の護衛として存在する将軍が全力でさらうであろうが……。
「お前がルークを守れ。でなければ、お前もこのマルクトも、終わりだと思え」
本当なら――。
と皇帝は思う。
マルクトの皇帝は、生存中に譲位することはない。その死でもって次に継がれる。
だから生きて、ピオニーが皇帝の座から降りることはない。
だから……一緒に連れて行きたいと、思っていた。
だがそれは、将軍も隣国の王も許さないだろう。
「ルークを守れ」
ならば、何者からも害されないよう、ルークを守る者が必要だ。このマルクトにも。最も位高き存在が。
皇子はひたすらその言葉をかみ締めた。
自分は父の血も、母の血も引いていない。しかも母と思っていたその人は、実際には男なのだと言う。
「父上……」
「なんだ?」
「それは俺にも、チャンスがあるってことですよね?」
皇子は笑った。
皇帝はそれに、苦笑して返す。
「……好きにするが良い。ルークが望むなら、俺は受け入れよう」
「母上が――いえ、ルークが望まなければ?」
「許さん。ルークの身の安全と、幸福だけをその使命としろ。マルクトのそのついででかまわん」
「了解しました。皇帝陛下」
優雅に一礼して、皇子は席を立つ。
部屋を出る寸前、ドアの前で振り向いて、皇子はその表情に憂いを浮かべた。
「俺は……母上の血を自分が引いていない可能性を、ずっと、悲しいことだと思っていました」
「そうか……」
「俺は母上に似ていた」
当然だ。
皇子はアッシュの子。アッシュはルークと完全同位体の関係で、その二人からして同一人物と言っても過言ではないのだから。
「なら何故、俺が、母上との血の繋がりに疑いを持ったと思いますか?」
皇帝はそこで、皇子を振り向く。
ルークに良く似た相貌。アッシュは、良くもこれほどルークに似た子供を作れたものだ、と感心する。
「何故だ?」
「それは俺が……母上を、一人の女性として愛したから、です」
実際には男だったわけだが……。
「疑いなのではなく、希望、だったのかもしれない。そうすれば、俺は母上を手に入れることが出来るから……」
30を超えてもその容色衰えず、未だ少女のような母。少し男勝りなところがあり、語調も荒いが、良い
母だった。
その母に、突き上げるような欲望を覚えた時、皇子の中に疑念が芽生えた。
普通なら、母に感じるのは親愛の情などの暖かい気持ちではないだろうか? だが実際に皇子が感じたのは暗い欲望だったのだ。
「守ります父上。そして俺も、父上と同じ道を選ぶ……」
皇子が出て行って、扉がぱたりと音を立てて閉まった後、皇帝はその表情に苦いものを浮かべた。
「全く……揃いも揃って狂いたり――か」
ルークと同じ年でいながら、未だ妃を娶らないアッシュにしろ、自分の代でフリングス家を途絶えさせようとしているアスランも、マルクトという国を巻き込んで尚、ルークを選び取る自分も。
そして今、その次代を担う皇子ですらが、ルークという一人の人間に狂わされていく。
だがそれが判っていても、選んだ道なのだから――。