距離
零〜zero〜 / 沖田 鎬 様

わ た しの兄さんは今日、昔からの夢をかなえた。
「凄いね、兄さん!とうとう兄さんの書いたものが、記事になったんだ!」
自分のことのようにはしゃぐ妹に、真冬は少し顔を赤らめながら答える。
「ありがとう。深紅」 私の兄さんはトクベツ。
トクベツなの。

「深紅〜こらっ」
「わっ!」
急に廊下で後ろから抱きつかれて、深紅は驚愕の悲鳴を上げる。
振り向くと、いつもの友達だった。
「な…何?」
「なに、じゃなーい!今日、一緒に買い物行くって約束したでしょ! まさか…」
深紅の脳裏を昨日の放課後がよぎる。
そういえば、そんな約束をしたよーな。 友人の顔がずずいっと迫ってきた。
「…まさか… わすれたんじゃ、ないでしょおね?!」
「や、やだー忘れてなんか、いないよぉ」
勿論、嘘である。すっかり、さっきまでキレイサッパリ忘れていた。
「二日前にトウキョウジャーナルに載った記事って、真冬さんが書いたやつでしょ」
「ん…そうだよ。」
「念願叶って――あ!もしや、真冬さんと二人で夕食にでも行く気だな?!」
人差し指をびしいっ!とさされて、深紅はたじろいだ。
「あ〜う〜、…そ、そうなの」
「なによぅ!!親友のあたしよりもっ真冬さんをとるのね!!
ああひどい!あの夜の情熱的な言葉はう〜そ〜だったの〜ね――!!」
大声で叫ぶものだから、深紅は慌てて
「ちょっと!!ヘンな云い方しないでよー!女同士でしょお!」
ふと腕時計を見ると、真冬との約束の時間にもうほどなかった。
「ごめん、今度埋め合わせするから!今日は勘弁してー!」
「あー!逃げるの深紅ーっ!!ちょっとー!あたしひとりで買い物にいけっていうのー!」
慌てて校舎を出ていく深紅を見送りながら、彼女は呟く。
「いつまでも、兄さん兄さん、いってられない、わよ。深紅…」
少し悲しそうな目で。

街灯の下で、寒そうに襟を掻き合わせている姿がある。
寒風にゆれる髪は、深紅と同じ柔らかそうな漆黒。
「にいさーん!」
「深紅!」
その、瞬間のぱっと輝く真冬の笑顔。
深紅は知らず駆け出して、昔のように真冬の腕の中に飛び込んだ。
あったかい。
「…ごめんね、遅れて」
「僕も今、来た所だから。思ったより打ち合わせ、長引いちゃって」
二人は腕を組んで歩き出す。
これから何処へ行こうか、どのお店に行こうか。
それは前には考えられなかった光景だった。
確かに、あの事件の前、二人の間には溝があった。
見えるものを直視しようとしない真冬と、それに怯える深紅との。
だけど、お互いを大切に思う心は、同じだった。
だから、深紅は氷室邸に乗り込んだし、真冬も帰ってきたのだ。
今、この東京で、ふたりは生きている。
「ねえ兄さん、この間雑誌で見たんだけど」
「ああ、あの店か。いいね、行こうか」
みなまでいわずとも繋がる言葉。
誰にも邪魔できない、フタリだけのセカイ。
深紅にとって、 (真冬にとって) 真冬は、 (深紅は、) トクベツな存在なのだ。
それは、兄も、妹も、そんなものを超えて、 平気で何処へでもいけるくらいの。
恋人のように歩く二人は、雑踏の皆にどう、映っただろうか。

 母の自殺から何年経ったろう――
自分がしっかりしなきゃいけない、そう思って頑張ってきた。
だけどその一方で、夢も持っていた。
僕は欲張りだから、どっちもかなえたかった。
だけど、 そこには思ったよりも難関の壁があった。
自分たちだけにみえるモノの存在。
認めるか、 認めないか。
ジャーナリストは真実を掴まなければならない。
この手と、足と、目で掴んだそれが、真実なのだ。
そうしていつしか、僕はソレを否定するようになった。
同時に、深紅との距離もどんどんひらいていった。
しかし、氷室の呪いに囚われた僕を、助けに来てくれた深紅。
距離はひらいてなんかいなかった!
そして今――
「兄さん?」 見つめる瞳の黒さ。
シャンデリアの輝きを翻す双眸に、魅入る。
「…ちょっと、考え事。」
「だめだよ、休まなきゃ。こんな時くらい。兄さんの夢が叶ったお祝いだけど、働きすぎはよくないよ」
僕はワインを、深紅にはシャンメリー。
夜景の綺麗な、13階のレストランで、二人は東京のネオンを見ながらディナーをとっていた。
…そして、今。深紅を、「特別」な存在として捉えている自分がいることに気付く。

 小さい頃から、ふたりでいきてきた。
ふたりだけが、わかりあえる。
そう思っていた。 今だって……。
甘いシャンメリーを呑みながら、兄の双眸がネオンに見とれているように 見えて、
深紅は少し胸の奥にもやもやとしたものがわきあがるのを感じていた。
いつでも、私だけを見ていて。 私以外のものを見ないで。 ――!
何、考えてるの私…?!
そこまで考えて、深紅は自分が兄を兄としてではなく、
「真冬」というひとりの男として考えていることに気付く。
――それって… 「いつまでも、兄さん、兄さん、いってられない、わよ。深紅」

「深紅」 呼ばれて、はっと気付く。
「これから階段だぞ。気をつけろよ」
「あ…うん」 転びそうになった足。抱きとめている腕。
見上げた瞳がかちあった。
深紅は―― 真冬は―― お互いの瞳に吸いこまれるようにそのまま口付けをかわした。
閉じてしまうのがもったいなくて、ただ瞳を見ていた。
私にとって―― 僕にとって―― 「トクベツ」な存在なの。
きっと何処かで道は別れても、この日の口付けは忘れない。
これは距離、兄さんと私の距離。

ど こ か で 別れても――。

 

後日談

「あーもしもし?あたしー。紺碧。今ヒマでしょー。
買い物付き合って。
え? 何処って?原宿よ原宿!
え?いや?なんでよ!
…うようよしてるから?
そんなのどうでもいいのよ、つきあいなさいったらつきあいなさいよ!!
…え?ちょっと?きーてんの!
…なに?春と夕食作る?
まさかあんた春に包丁もたせ……ちょっと?!何今の音は!!
凄い音したわよ「ぐさ」って!
「ぐさ」って!何?
……さした?
どこに? だれが?
…馬鹿――ッ!!
救急車呼びなさいよ早く!!
え?
何?早く電話切れ?なんでよ!
電話がケイタイしかないから?
アンタ、家電引きなさいよ!!」

以上、友人こと紺碧ちゃんの憂鬱な放課後でした。

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