それは、いつもと何一つ変わらない日常だった。 跡部の家でレギュラー陣が集まり、その練習試合中にいつものように高く跳んだ。 鮮やかに打球をリターンする。 決まった、と思った。 突然の突風に体勢を崩し、頭からコートに落下するまでは。 がツン、と頭に衝撃が走る。 「岳人っ!」 慌てて名前を呼んだパートナーの声を遠くに聞きながら、岳人の意識は薄れた。 れじぇんど・おぶ・てにす −1− 「ん……?」 鼻腔をくすぐるお香の匂いが、岳人の意識を覚醒させた。 うっすらと目を開けると、豪華な天蓋が目に入る。 一瞬なんだこれは、と思ったがすぐに思い至る。 きっと心配した跡部が自分の部屋まで運び、寝かせてくれたのだろう。 そうだ、この身体を包むふかふかの感触は、きっと跡部の家の高級な布団だろう。 意外と良いところもあるんだよな、あいつ。 よし、甘えさせてもらおう。 そう思い、再び瞼を閉じようとした岳人は、ふと胸の辺りに重みを感じた。 ぶつけたのは頭だったはずだが、何故胸が重いのか。 気づかなかっただけで怪我をしたのかもしれない。 そっと胸に手を当て―――コツン、と音がした。 何か、硬いものが手に当たった。 同時に、その硬いものは、確かに自分の一部であるという感触があった。 「え…?」 何だろう、何か嫌な予感がする。 考えてみれば、このお香が何の香りは知らないし、ふかふかの布団だって今まで跡部の家に泊まったときの布団とは何か違う。 なにより、跡部の家が金持ちでも、この天蓋は豪華すぎる。 恐る恐る毛布を除け、自分の身体をよく見てみる。 特に胸を。 平常心でいられたのはここまでだった。 「うわああああああああああっ!?」 それは、今まで練習のときでさえ出したことがないほど大きな声だった。 胸にあったのは、大きな宝石。 宝石名までは分からないが、輝きから相当高価な物であることはわかる。 その宝石は岳人の身体に埋まっている。 完全に、身体の一部なのだ。 岳人は完全にパニックだった。 いくら跡部でも、ここまで大掛かりなどっきりは仕掛けたりはしないだろう。 だとすれば、考えられることはひとつ。 「これは夢だよなそうに違いないきっとひどい悪夢だ間違いない乾の言葉を借りるなら悪夢である確立100%だ」 「どうしたの?」 頭を抱えて呟き続ける岳人に声がかかった。 聞き覚えのある声に、岳人は顔を上げる。 よく見知った顔が目の前にいた。 「滝!?」 「え?」 どう見ても、先程まで試合をしていた仲間ではないか。 しかし、名を呼ばれた滝は違和感を覚えたように首を傾げた。 その仕草で、岳人も違和感を覚える。 顔も声も確かに滝なのだが、格好が違う。 ゲームなんかでよく見かける、紫色のローブを着ている。 頭に被っている三角帽子も紫で、青いマフラーを巻いて、浮いている。 浮いている? 「……夢ってどうやったら覚めるんだっけ?ほっぺた、つねるんだっけ?」 結論、これは夢だ。 本気の表情でたずねた岳人に対し、滝らしき人物はそっと手を伸ばして岳人の頬に触れた。 そして。 「あいたたたたたたっ!いたいいたいいたいっ!」 「さめないねーなんでだろうねーこのままほっぺた千切ってみる?」 細腕からは想像もできないぐらいの力で頬を引っ張られた。 慌ててその腕を振り払う。 「なにするんだよっ!」 「寝ぼけてるみたいだから目を覚ましてやろうかと思っただけだよ。命の恩人に対してそんな態度は感心しない」 「命の…恩人……?」 その意味が理解できず、岳人は本気で首を傾げた。 コートで頭を打った自分を介抱したのは滝なのだろうか。 まさか、命に関わるほどに重症だったのだろうか。 滝があきれたように視線を向けているから、もしかしたら自覚がないだけで本当に重症だったのかもしれない。 しかし、そんな岳人の思いは、滝が言った次の言葉にかき消されてしまった。 「核以外があんなに傷ついた珠魅を見たのは、都市崩壊以来だよ。どこから来たのか知らないけれど、名前だけ名乗って倒れた君を保護させた俺は命の恩人だろ?」 滝が壊れた。 岳人の頭にはその一言しか思い浮かばなかった。 そう、壊れたのでなければやはり夢だ。 痛みを伴う夢は珍しいな、なんて考えてしまう。 重症なのは自分ではなく、よく分からないことを口走る滝の方だ。 「えっと……滝…だよな?」 もしかしたら顔が似ているだけで別人なのかもしれない。 そう思った岳人は改めて目の前の人物に尋ねた。 しかし、返ってきたのは思いもよらない答えだった。 「うん。ああ、そうだ。なんで君が俺の事知ってるの?どこかで会った?」 頭が真っ白になるとはこのことだ。 滝とは、幼稚舎からずっと一緒だった幼馴染だ。 学校のない日でもテニスの練習をしたり遊びに行ったり、ほぼ毎日顔を合わせていた。 それを、まるで知らない人に話しかけるような口ぶりで、何故。 ショックを受けたような表情の岳人に、滝は困ったように笑う。 その笑い方は記憶の中の滝とまったく同じだった。 「いつも…会ってるじゃねーか……なんでそんな…知らない奴みたいに…っ…」 知らず知らず、声が小さくなる。 忘れられたのが悲しいだけではない。 こんな滝は知らない。 何がどうなったのか分からない。 その不安がどんどん大きくなっていく。 不安が声に出る。 「うう…っく……」 「うわ…泣かれてもなぁ」 滝はそれを慰めるでもなく眺めている。 いつもなら「どうしたの?」「大丈夫?」ぐらい尋ねてくるはずだ。 それをしないということは、この滝はやはり、岳人の知っている滝ではない。 「どうしたものかな」 「何してんですか」 滝とは別の、聞き覚えがある声に、岳人は耳を疑った。 この声は、生意気な後輩の。 「子ども泣かせるなんて最低ですね、お師匠」 いや、別人だ。 きっと別人だ。 少なくとも岳人の知っている後輩は滝を「お師匠」なんて呼ばない。 しかし、顔を上げればそこにいたのは紛れも無く後輩と同じ顔。 「…日吉…?」 「はぁ?」 どこからどう見ても、浮いている以外は日吉に瓜二つな彼は、岳人の言葉に思い切り不審そうな顔をした。 「何であんたは俺の名前を知って……お師匠?アンタ教えましたか?」 「残念だけど俺は教えてないよ。この子、俺の名前も知ってたし、なんかおかしいよね」 岳人は呆然としてしまう。 日吉の格好も普段とは違い、滝とは色違いの茶色のローブに身を包んでいる。 腕や首からは包帯を巻いているのだろうか、白い布が見える。 「助けたときは名前だけ名乗って倒れちゃったけど、その時と様子が違いすぎるんだよね」 日吉が嫌な顔をすると同時に、滝は面白そうに笑った。 「これはもしかすると……もしかするよ?」 「何故お師匠はそんなに楽しそうなんだ。オレには厄介ごとにしか思えないのに」 「まだまだ修行が足りないな、日吉。太郎も言っていたけど、森羅万象において楽しくないことなんて何一つないんだよ。その辺のことをもう少し学んだほうがいいかもね」 「あんな胡散臭い賢人の言うことなんて信じるに値しません」 「あはははは、太郎はいい奴だよ。そんなことより日吉。跡部とジローと樺地呼んできて。一応挨拶させないと。あ、呼ぶだけでいいよ。呼んだらみんなのところに行っておいで」 頷いた日吉の姿が消えた。 岳人は頭がくらくらしてきた。 たった今目の前でなされた会話も目の前で日吉が消えたことも、何もかもが分からない。 断片的に得られた情報としては、跡部と樺地とジローもここにいることと、おそらく榊太郎(43)が賢人と呼ばれていることぐらいだ。 しかも、名前が出た人物達はおそらく滝達と同様、自分の事なんて知りもしないのだろう。 一体ここはどこで、自分はどうしてしまったのだろう。 |
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とりあえず ドラゴンキラー編 宝石泥棒編 に該当する話のプロットはできています。 エスカデ編はちょっと難しいので、全然別の話になります。 この日吉は下克上大好きですが、お師匠には下克上できません。 今はまだ、格が違いすぎて。 |