正しいペットのしつけ方 −2−



「あっ、やあッ!ああっ」
「ふふ、気持ちイイですか?」
妖しく笑いながら見下ろしてくる男の怜悧な瞳が美幸をいっそう快感に溺れさせる。
そんな美幸に気付いているのか、男はゆっくりと腰を揺らす。
そうされると、快感に溺れきることも出来ず、だが体内で暴れる男のものを意識してしまい、美幸は羞恥ともどかしさに身を捩じらせる。
「お願いだからっ」
耐え切れず自分から腰を振ろうとすると男に腰を押さえつけられる。
「ダメですよ、西さん。ほら、僕をもっと感じて」
ゆっくりと、だが確実に弱い所を攻められて美幸は涙を浮かべた。
激しい波ではなく、だが確実に追い詰められいく。
じわりじわりと増していく快感に耐え切れないのに最後の一押しが足りないのだ。
「お願いッ!んっ、蜂谷ぁ!いかせてッ」
言いながらキスをしてきた美幸に気を良くしたのか、男が腰を激しく使い始める。
「ああッ!やあっ…ん、もう、もうッ」
―――かわいくイってみせて。
耳元で低く囁かれて美幸は精を放った。




「かわいかったですよ、西さん」
情事のあと、美幸を抱きしめながらこうやって睦言を囁くのがこの男、蜂谷のくせだった。
蜂谷は同じ会社の2つ下の後輩だ。
とはいっても部署が違うので仕事ではほとんど関わりがない。
その蜂谷が相談に乗って欲しいと言って来た時は美幸も困惑した。
ほとんど会話をしたこともない自分でいいのかと戸惑う美幸に蜂谷は「西さんじゃないとダメなんですよ」と微笑んだ。
この蜂谷と言う男はとても有名だ。
冷たく見えるほど整った顔をしていて、新井がワイルドな男前なのに対してこの男は女性たちから王子様と影でよばれている。
美幸はよく知らないが、仕事もよくできる期待の社員らしい。
だから相談があると言われたことに戸惑ったが、その相談が美幸への愛の告白だった時は驚きを通り越して唖然としてしまった。

最初は何の冗談かと思ったが、新井と別れて一月誰とも関係を持っていなかった美幸はまあいいかと蜂谷と付き合うことにした。
蜂谷の気まぐれだったとしてもちょっと人恋しくもあったからと。

だが、蜂谷は本気だったようで毎日一緒に過ごしている。
怜悧な顔からは想像できないほど美幸を甘やかし、愛してくれる。
「西さん、喉がかわいたでしょう?」
言いながらさっとベッドから降りてミネラルウォーターを持ってくる。
「ありがと」
「どういたしまして」
幸せそうに微笑む蜂谷に美幸は複雑だった。

なんで俺なんだろ?

「理由なんてあげればきりがないですけど」
蜂谷に湯船で抱きかかえられながら気付けば口に出していたらしい。
「でも、理由なんてないのかもしれませんね」
情事のあとに風呂に入れてくれるのもいつものことだ。

――でも俺、まだお前のこと好きかわからないよ。
ぼそりと呟いた言葉が浴室に響いた。
「いいんですよ。今はそれでもね。そのうち好きになってくれれば」
どちらにしろ絶対離しませんけど。
そういって抱きしめる腕に身を委ねて美幸は目を閉じた。






風呂上りにうとうとしながら美幸はソファに腰掛けていた。
その足元には床に座り美幸の足を丹念にマッサージしている蜂谷がいる。
こうしてマッサージしてもらうのもいつものことで、美幸は睡魔に勝つことができないでいる。
だが今日に限ってはガチャガチャという音が玄関から響きハッと目を覚ます。
ガチャリという音の後に「ユキいるんだろ?」とよく知った声が入ってくるのが聞こえる。

「なんでそいつがいるんだよ」
突然の侵入者に美幸は驚いたまま固まっている。
「お前、蜂谷だろ。何でお前がここにいるんだ」
侵入者―新井が声を荒げ、蜂谷を睨み付ける。
蜂谷は突然の新井の出現にも驚く様子もなくソファに座る美幸の足をマッサージし続けている。
「おい、ユキ!」
叫ぶように名を呼ばれてようやく脳が動き出す。
「なんでこいつがいるんだよ!」
「いや、新井さんこそなんで入ってきてるんですか。っていうか何で鍵もってるんですか。」
そうだ。
別れた時に部屋の合鍵は返してもらったはずだ。
あの合鍵以外にもまだ合鍵を持っていたのだろうか?
訝しむ美幸に新井が気まずそうに目をそらす。
「いや、それはその。家に置いてる用と持ち歩く用を作ってて…。」
家主に無断でだ。
こんなに非常識な人だったのだろうか。
「それで?鍵返しに来てくれたんですか?会社で渡してくれればいいのに」
迷惑そうに眉を顰めると、新井は逆に眉を吊り上げる。
「返しに来たんじゃない。そんなことより、なんで蜂谷がここにいるんだよ!しかもそんな…」
怒りを込めて睨み付ける新井の視線の先を辿って美幸はまだ蜂谷がマッサージしてくれていることにやっと気付いた。
「蜂谷、もういいよ。」
「ダメですよ。今日は会議の用意で動き回ったんでしょう?今日のうちに疲れを取っておかないと」
さあ、今度は右足を出してと言われ、思わず差し出してしまう。
冷静な男だとは思っていたけれど、こんな場面でも動じないなんて流石だなと関心してしまう。
だが新井は関心しなかったようでまた声を荒げた。
「何触らせてんだよ!」
言いながら美幸をひっぱり自分の腕に抱きこむ。
「お前、こんな格好で他の奴に何触らせてんだ!」
こんな格好と言われてもTシャツにトランクスだ。まあ下着姿と言えるかもしれないが男同士で恥ずかしいも何もない。
もっと恥ずかしいところだって見られてるんだし、と色気のないことを考えているとそれまで冷静だった蜂谷がすっと立ち上がった。
「西さんに触らないでもらえますか。返して下さい。」
ぐいっと引っ張られて今度は蜂谷に抱きこまれる。

「お前!離せよ!ユキこっちにこい!」
「西さんは行きません。新井さんはお帰りください。」
「お前が帰れよ!オレはユキに話があるんだ」
「話ならこのままどうぞ。」
美幸の頭の上で美幸を無視したまま会話が続く。
「なんでお前の前でしないといけないんだよ!お前ユキの何なんだよっ」
「恋人です」
「はっ!?」
「恋人です。新井さんこそ何なんですか、こんな時間に。」
「何が恋人だ。オレはユキの男だ」
「そうなんですか?」
そこではじめて蜂谷が美幸を見る。
「元、な」
「なるほど。僕は今、恋人ですのでやはり新井さんはお帰りください。」
「ユキ!オレはまだ別れるなんて言ってないぞ!」
なんでこんな修羅場のような状況になっているのか。
だがはっきりさせておかないといけないことが一つある。

「新井さんがどう思ってようが俺はもう別れたんですよ」
はっきり告げると新井がはっきりと顔色を変えた。
「オレは別れない。お前まだ怒ってるんだよな?そうなんだろ、ユキ。だからこんな男に…。オレも悪かった。この男の事だって許すから機嫌直してくれよ」
やっぱりこいつはバカ犬だ。自分が主人だと思ってる。
「前も言いましたけど怒ってないです。どうでもいいんです。もう新井さんのこと好きじゃないんです。いらないんです。だからこうやって来られても迷惑なんです。仕事以外で関わらないで欲しいんです。その勘違いした性格がもう嫌なんです。言ってる意味わかります?」
一気にまくし立てると新井は黙り込んだ。
蜂谷も成り行きを見守って黙っている。
だが美幸は言ってるうちに気持ちが高ぶってきてしまった。
「何回浮気繰り返せば気が済むんですか。何回もうしないって誓えばその誓いは本当になるんですか。オレが傷つかないとでも思ってたんですか。ねえ?エサをぶらさげられたらホイホイ付いてって、自分の相手が誰かわからなくなるようなバカ犬はいらないんですよ!」

肩で息をしながら言い切ると蜂谷が笑い始めた。
「あっはっは!バカ犬ですか!言いますね、西さん。」
美幸を抱きしめながら笑いつづける蜂谷を射殺しそうな目で新井が睨み付けた。
その視線を軽く受け流し「僕は忠犬ですよね」と蜂谷が美幸の頬にキスを落とす。

忠犬。
蜂谷だからハチ公か。

「あははっ!ハチ公ですか。うん、僕は西さんのハチ公です。」
満足そうに笑う蜂谷とは対照的に新井は捨て犬のような目で美幸を見る。

「そいつが好きならそれでいいから。それでもオレはお前を失いたくない。二度と馬鹿なことはしないから頼むよ…。好きなんだ…。」
大の男が目を潤ませながら頭を下げるその姿に美幸は何も言えなくなる。
「ユキが会ってくれなくなってこの一月、つらかった。会社で会うだけじゃ満足できない。ユキがいないとダメなんだ…。今度こそ絶対に悲しませないから、もう一回だけチャンスをくれないか。ユキ、頼む…。」

いつだって新井は自信たっぷりに笑うだけで、謝る時だって言葉だけで頭を下げる所なんて見たことがない。
かける言葉はみつからなかったけれど、美幸は新井の方に踏み出そうとした。
だが絆されようとしている美幸に気付いたのだろう。
「ダメですよ。僕は離れない。」
蜂谷が抱きしめる腕を強くした。


困った。
蜂谷のことだって別に嫌いじゃない。
惹かれはじめてる。
だけど目の前でみっともなく泣いている男も切り捨てることができない。
これはただの情だ。そう思うのに。


美幸は蜂谷の腕をそっとはずした。
「西さん…!」
蜂谷の顔が強張った。

「今日は二人とも帰って。ちょっと考えさせて。」
















そして数日後。
美幸が出した答えは結局「選べない」だった。
だからどちらとも付き合わない、と。

なのに。
どうしてこうなるんだろう。



「おい、蜂谷。ユキに触るな!」
「うるさいですよ、新井さん。西さんが起きてしまう。」
「マッサージくらい俺だって出来る」
言いながら力いっぱい美幸の足を押してくる。

「痛いっ」
美幸が悲鳴をあげると蜂谷が新井の腕を払いのける。
「西さんに触らないでください。ほら、西さん今度は右足ですよ。」
蜂谷のマッサージはとてもうまくて、その誘惑から逃れることなんてできないのだ。

大人しく蜂谷に足を差し出す美幸に新井がユキ!と叫んだが、美幸は夢の中に旅立った。



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