兄妹
話が、あるのだと。
そうナナリーはルルーシュに呼び出された。話ならいつだって出来る。彼女らは兄妹で、家族で。クラブハウスにさえいればいつだって会話は交わせるはずだった。最近は兄が出かけてばかりではあったが、それでも敢えて機会を作らなければならないような行為ではなかった。
ナナリーは強く強く、車椅子の上で手を握り締めた。ルルーシュの隠し事は多い。彼女は兄を困らせたくはなかったから何も聞かなかったが、それでもずっと共にいたのだ。分からないはずがない。ナナリーは彼が何をしているのかは知らない。兄が妹に隠しているのだ。知られたくないことを詮索しようとは思わなかったし、知らないままで守られ続けていることが義務だとさえ思っていた。だって、それをルルーシュが望んでいるのだから。
「ナナリー」
ルルーシュが心地よい音を奏でる。それが自分の名前であることに、いつもは幸福を覚えていた。ルルーシュの一番はナナリーで、もちろんナナリーの一番もルルーシュだった。彼は誰にでも優しかったけれど、ナナリーに一番優しかったし、またナナリーも同様であった。
だがその声を聞いても、彼女はいつものように幸せにはなれなかった。何だろう。ルルーシュは、とても悪い事をナナリーに告げようとしている。それはきっと怖いことで、聞いた瞬間に彼女は悲しくなるのだろうと、どこかで確信していた。それでも、ナナリーは静かに宣告を待ち受ける。だって、それをルルーシュが望んでいるのだから。
「……ごめん。もう、一緒にはいられないんだ。ごめん」
嗚呼。ついに、来てしまった。ナナリーは目を伏せた。実のところ彼女は、この時を覚悟していたのだ。ルルーシュが頻繁に外出するということは、つまり学園では出来ないことをやっているという証。最近はその頻度は更に上がっていたのだ。
あやまるくらいなら、そんなこと言わないで欲しかったのに。そう思ったが、ナナリーは別の事を言う。兄を困らせてはいけない。彼女は歩けない。目も見えない。励ますことはできても、力にはなれない。足手まといにはなりたくないのだ。
「それは、ずっとですか? いつか戻っては来て下さいますか?」
「大丈夫。絶対、戻ってくるよ。ナナリーと平和に暮らせるようになったら、絶対に」
嗚呼、嗚呼。ナナリーは理解してしまった。ルルーシュは、妹のために出て行くのだ。平和に二人で暮らせるように、その平和を作るため。兄の声に交じる決心に、ナナリーは気付いてしまった。
だがそれでも彼女は知らない振りで、弱々しげな表情を作ってみせた。
「では、私は待ってます。お兄様を信じて、ずっとずっと待っています」
ルルーシュの手を握り、何度も何度も繰り返す。弱い妹がお願いすれば、なんだって兄は叶えようとしてくれることをナナリーは知っていた。こんな私は卑怯でしょうか。それでもやはり、ナナリーが願うのは兄との幸福な生活なのだ。
彼女は何度もルルーシュに言った。危ないことはしないで下さいね。ルルーシュは答える。心配要らないよ。結局彼は、約束をしてくれてはいない。ナナリーのために、きっと危険に飛び込んでいる。
ナナリーとルルーシュの願いは、同じなようでいて少しだけ違う。ナナリーはただただ一緒にいられればそれでいいのに、ルルーシュは安全性と永続性をも望む。確かに彼らの立場は不安定ではあったが、絶対的な平穏などどこにも存在しないというのに(だって、お母様は)。
お兄様、お兄様。兄の男にしては細すぎる手を、ナナリーは必死で包み込む。前よりも更に細くなったのではないだろうか。彼は痩せた。辛いのだろうか。大変なのだろうか。怖い思いもしたのだろうか。他でもない、ナナリーのために。
やめて、私のためになんて、やめて。言葉を飲み込んで、ナナリーは続ける。
「私はお兄様がいなければ何も出来ません」
「ごめん。でも、咲世子さんに、あとは頼むから」
「私はお兄様に守ってもらわなければ駄目なんです」
「……うん。ごめん、ナナリー」
何度も謝罪をするルルーシュに罪悪感が募る。それでも、ナナリーは言わなければならなかった。
ナナリーはとても弱い、弱い子。あなたの妹。ルルーシュはそんな妹を守らなければならない。
やつれるほどに辛い思いをしている原因がナナリーならば、彼女はその苦痛を和らげてあげなければならない。ルルーシュの行う全てはナナリーのため。だから、ルルーシュの行う全てはナナリーの所為だ。
どんなことがあっても、ルルーシュが縋れる何かがあってくれたらいいと思う。酷い目にあっても全てナナリーを言い訳にして、少しでも自分の存在を救いとしてくれればいいと思う。悪いのは全部ナナリーで、ルルーシュは何も悪くないのだと。
一度思い至ったら退きはしない兄だ。ナナリーと決別しなければならないほどに状況が進行しているというのなら、すでに逃げ場などないのだろう。引き止める術がないのなら、ナナリーは背中を支えたい。心を支えたい。
本当は一緒に行きたい。力になりたい。なれるはずもないのに、ナナリーは強く願う。この足が動ければ。この目が見えれば。しかし、嗚呼、もしナナリーが健常であったなら、ルルーシュは危険に身を投じはしなかった。
「お兄様、大好きです」
「俺も、ナナリーが大好きだよ」
見えない両目で、立ち去る兄を凝視する。ナナリーは何も知らない。知られたくないことを詮索しようとは思わないし、知らないままで守られ続けていることが義務なのだ。
だって、それをルルーシュが望んでいるのだから。
(どうかご無事で)