蚊が出た。
黒の騎士団奮闘記
痒い。痒い痒い痒い痒い痒い。
ついにこの季節がやってきてしまった。カレンは苛々と頬を引きつらせた。痒い。本当なら盛大に掻きまくりたいところだったが、今は会議中。会議だからそんな真似は許されない、ということではない。現に玉城は音が出るほどにボリボリやっていたし、他の皆もそこまでは行かなくとも同様に掻いていた。彼女が気にしていたのは、ちゃっかり確保した左隣の総司令。ゼロの前で見っともない事は出来なかった。
何でこんなにいるのよ。心中で愚痴る。トレーラーは清潔に保たれていたが、それでも外からの侵入を完全に阻むことなどできっこない。日本の気候風土上仕方ないのだが、だからといって我慢できるものではなかった。怪我なら平気。でも痒さは無理。藤堂辺りは平気そうだったが、あれは悟りの境地に達していそうだから例外だろう。寝ている間に痒さで起きることすらあった。決定的に足りない睡眠時間を妨害され、すでに蚊への怒りは憎悪にまで達していた。ブリタニアはその無駄な技術力を使って、蚊を絶滅するくらいやってのければいい。そうしたら少しは尊敬すると思う。いや、かなり尊敬する。
「だぁぁぁぁっ! うっぜぇぇ!」
ついに耐え切れなくなったか、玉城が大声で叫んだ。幹部の集まる会議の最中、それもゼロの目の前でそんな態度が出来るのは彼だけだろう。しかも、彼の言葉を遮って。
ディートハルト辺りの殺気の篭った視線(ゼロの美声の邪魔をするなこの猿が!)にも気づかず、だらりと椅子の背もたれに寄りかかる。彼の腕は、咬まれ過ぎなのか掻き過ぎなのかは定かではないが、真っ赤になっていた。蚊に好かれる体質なのかもしれない。
「なーゼロー? どうにかなんねーの? こいつら」
そこでゼロに話を振るのか、玉城。だが彼も二十四年この日本で生きてきたのだ、一生付き合っていかなければならないことぐらい理解している。ただ、彼の口は基本的に文句を言うために存在するようなものだったから、黙っていることが出来ないだけで。
仮面の下で、ゼロが何事かを考える素振りを見せる。彼も刺されているのかもしれない。部下の前で掻くなんてことは出来ないだろうし、そもそもその全身スーツの上からは無理そうだ。本当は痒いのに我慢するゼロ……あ、少し可愛いかもしれない。だがしかしゼロの美肌(多分)を害するなんて!
グットタイミングで、目の前に蚊が飛んできた。騎士団員の視線が集まる。力ある者は、我を恐れよ! 力なき者は、我を求めよ! 蚊は! 黒の騎士団が、裁く!
訓練で身に付けた筋力を全投入して、蚊に狙いをつける。絶妙な力加減。コントロールを失うことなく、しかし蚊は確実に仕留める。よし、あとちょっと……あとちょっと………今だ!
――って、あ。
「ゼゼゼゼゼ、ゼロっ!? すみませんすみませんすみませんすみません」
「だい、大丈夫、だっ」
カレンの両手は蚊を捕らえることなく、ゼロの片手を思い切り潰していた。痛い、あれは絶対痛い。音がやばかった。バシンという音の下で、ゴキッとかなんとか聞こえた気がする。
どうやら蚊を狙っていたのは彼女だけではなかったらしい。カレンのように両手で打つのではなく、片手で捕まえて潰し殺すつもりだったらしい。ああゼロ、妙にあなたは上品ですね。でも蚊はまんまと逃げています。もしかしてゼロ、結構鈍いんですか? ぐるぐるとした思考の下で、カレンはひたすら謝罪する。どうしよう呆れられたら。だってゼロに怪我を!
「……カレン、そんなに謝らなくても良い。私は大丈夫だ」
「でもでもでも! 私、ゼロに!!」
「その調子で全力で抹殺しろ。頼りにしているぞ」
「は、はい!」
優しい言葉に感激して、瞳を潤ませさえするカレン。ディートハルト辺りの殺気の篭った視線(私のゼロになんてことするんだこの凶暴女!)にも気づかず、きらきらと乙女オーラを撒き散らす。
内容は蚊であることさえ考えなければ、とても美しい主従関係だった。内容を考えなければ。
「しかし、こうも多いとはな。集中力を欠くのは問題だ。由々しき事態だな」
「はい。アースノーマットの購入を検討してはおりますが、数が足りない上に電気代を考えますと、少し……」
トレーラーの部屋の数は多い。その上二十四時間体制で必ず誰かはいるから、スイッチは付けっぱなしとなってしまう。キョウトからの支援で資金面の不安は減ったとはいえ、それでも無駄遣いは抑えたいところ。地味な出費に懐が痛む。ゼロの私室だけでも、とカレンは声をかけたが、ゼロは首を振った。私だけ特権を受けるわけにはいかない。なんて素晴らしい指導者なのだろうかとカレンは感動した。
「なんか、もうさー」
真面目な蚊談義にいつも通り玉城が口を挟む。はいはーいと緩くあげられた手に対し、律儀にゼロが指名した。
「ブリタニアと一時休戦してさ、とりあえず蚊と戦わね?」
もう日本とかそういうのどうでもいいから、この痒さどうにかしたい。
扇と藤堂が玉城を睨み据え、ラクシャータがそりゃいいわと手を打った。幹部とはいえ、基本的に彼らは烏合の衆だ。
さすがにそれは言いすぎ、とカレンは眉を顰め、玉城の暴言を納めるだろうゼロを伺い見る。間を再び蚊が通り抜けていき、今度こそ仕留める。手のひらでつぶれた蚊は赤く、おそらく既に誰かを犠牲にしたものだと思われた。
腹立だしげに床に払い落とす一部始終を見ていたゼロは、その口を重々しく開いた。
「よし。……まずは蚊の対策を練る」
「え?」
「不安要素を残していては本気など出せない。騎士団の活動はそれから行うことにする」
(くそ、この一ヶ月の結果から推定した、今後刺される数は……考えたくもない!)
蚊取り線香置けよ。
リクエストは「ほのぼの黒の騎士団」でした。3人ほどから同じリクが届きました。大人気ですね!
こんなもので宜しいのかと、不安になりつつ。