何これ。
崩壊が足音立てて
シュナイゼル・エル・ブリタニア。神聖ブリタニア帝国第二皇子であり、宰相である。年齢は……忘れた。シャーリーは基本的に面食いであったからシュナイゼルのことも気にはしていたが、如何せん年齢が離れていたし、そもそも想い人は別にいたから一般常識以上の知識はなかった。
必要などなかったのだ。ブリタニアを将来統べるかもしれない皇帝に一番近い男性とはいえ、所詮は無関係の人間。遠く離れた人でしかなかったのだ。
なのに。
その一般常識以上の出来事が、今起きていた。
「久しぶり。大きくなったな、ルルーシュ」
「………シュナ、イゼル」
「おやおや、昔のように兄上とは呼んでくれないのかい? ああ、ナナリーもここにいたのか。中等部の方にも迎えにやったのに、無駄になってしまったな。元気かい?」
想い人たるルルーシュは雲上人のシュナイゼルと向かい合っていた。有り得ない。ついさっきまでいつものように締め切り間近の書類と格闘しつつ、和気藹々と団欒していたのだ。スザクは軍務で忙しく、カレンは病欠だった。なんとなく外が騒がしかったのも、特に気に留めるほどの出来事ではなかったはずだった。例外はといえば、居眠りをしていたルルーシュが、誰かに怒られる前に目を覚ましたことくらいだっただろう。そうだ、ルルーシュが青ざめて席を立った、次の瞬間のことだった。
シュナイゼルが、突然開いた扉の向こうに現れたのは。
なんで、どうして。久しぶり? 兄ってなに? その短い会話の指し示す事実に、シャーリーの座った椅子ががたんと音を立てた。あ、そうだ。皇族の前で、こんな座ったままとか失礼じゃないだろうか。しかし、体は硬直したまま随意にならない。
そんな彼女以上にルルーシュは動揺している様子だった。いつも皮肉気に細められている瞳が大きく見開かれている。そういえばルルーシュは何でも完璧なようでいて、実は結構イレギュラーに弱い面があった。恋は盲目フィルターでそんな所も素敵、と脳内変換されていたのだが、今はその様子が痛ましい。
「なん、で……」
「詰めが甘いんだよ、ルルーシュ。甘すぎる。エリア11でお前が身を隠す場所なんて、数えるほどしかない」
本気で探そうと思えば、簡単に見つかる。アッシュフォードはマリアンヌの後ろ盾だったから、生存していた場合に潜伏する場所として、一番高い可能性を有していた。そこで姓こそ違えど、ルルーシュとナナリーの名を見つければ自ずと答えは出るというもの。この程度のことで隠れたつもりになっていたとは。
ミレイが悔しそうに唇を噛んだ。彼女は、知っていたのだろうか。アッシュフォードの娘であるミレイ。仲の良い二人は、本当はどんな関係だった?
優しい笑みを浮かべたシュナイゼルの、その後ろにある何か恐ろしいものを本能的に感じ、シャーリーは身震いした。これが皇族。これが第二皇子。威圧感が桁外れだった。
「別に、このまま放っておいてもよかったんだがね。クロヴィスが死んだだろう? コーネリアは有能だがエリア11は広い。ユフィは、優しい子だし」
だからね。細く長い指を、ルルーシュの顎にかける。頭脳が欲しいんだ。
その言葉は、とっくに兄妹二人の所在は露見していたということを指し示す。知っていながら、野放しにしていたのだ。必要になったらすぐに手に入る自信があったのだろう。
まるで蛇に睨まれた蛙。びくりと肩を揺らして、ルルーシュはナナリーを背にかばったそのままの姿勢で半歩退いた。
「お兄、様?」
「……なんでもないよ、ナナリー。大丈夫」
「でも……シュナイゼル、お兄様、が」
「はは。ルルーシュに嫌われちゃったみたいだよ、ナナリー。どうしたらこの子の機嫌を取れるかな?」
おどけて肩をすくめるシュナイゼルに、ナナリーは戸惑ったようにルルーシュの腕をつかんだ。盲目の彼女は、どれだけ状況を把握しているのだろう。唐突にシュナイゼルが現れて、帰ろう、と手を差し伸べて。
どうしたらいいのだろう。シャーリーは完全に第三者で、どうすることもできない。どうすることもできないのは分かっていたが、立ち会ってしまった以上自分のポジションを定めなければならない。
助け舟を出す? 無理。そもそも何が起こっているのか、全然わからない。
割り込んでみる? 無理。シュナイゼル皇子は怖いし、それは多分不敬とかそんな感じ。
じゃあ逃げる? 無理。そんな隙はないし、そもそもこんなルルーシュを置いて、だなんて。
わたわたと視線を彷徨わせると、頼りなげな表情をしたリヴァルと目があった。多分自分もそんな顔をしているのだと思う。けれど、目が合ったところで打開策が見つかるはずもなく。せめてパソコンの前の椅子にしがみ付くように萎縮したニーナに駆け寄りたかった。気弱な彼女は、肌を突くようなピリピリした空気に耐えられないだろう。シャーリーには誰かを気遣うだけの余裕はあったが、しかし無闇に動くだけの勇気はなかった。結局、部外者は部外者なりに息を潜めているしか出来ない。何の力もない自分に、涙が出そうだった。
「ああ、ごめんね、怖がらせちゃって。すぐに帰るから、大丈夫」
そんな彼女達の様子に気づいたのだろう、シュナイゼルが人好きのする笑顔を浮かべた。完璧な笑顔だった。シャーリーたちを安心させるために作成された、一分の隙もない、何の欠点も存在しないそれに、背筋が粟立つ。余りにも人間味がなくて、逆に恐ろしかった。
「だからね、ルルーシュ。来なさい」
「断ります。既に継承権など捨てました」
「なら拾えばいいんじゃないかな?」
「なっ……そんな簡単な問題では……!」
「簡単だよ。私が、いるからね?」
憎憎しげにシュナイゼルを睨み据えた、ルルーシュの細い腕が引かれた。踏みとどまれずによろけた彼から、車椅子のナナリーが引き離される。お兄様。心細げな、悲鳴に近い声が小さく発せられる。ルルーシュの白皙の美貌が歪んだ、その瞬間。シャーリーの何かが弾けた。
「い、嫌がってるじゃないですか!」
周囲の視線が一斉に彼女に集まった。その中に含まれた、シュナイゼル愉しげに細められた目に怯みそうになったが、一度言った言葉は消せない。
シュナイゼルは皇子で、偉い人で、本来なら直に顔をあわせること自体起こりえないはずだった人。けれどそれはつまり、所詮は無関係の人間だということ。大好きなルルーシュが脅えている。嫌がっている。シャーリーを動かす理由などそれだけでよかった。理屈などいらない。基本的に彼女は感情のままに行動する人間だった。
リヴァルが彼女の暴走を止めようと腕を伸ばしたが、気づかない振りをしてシュナイゼルを睨みつける。
「いきなり来て、いきなり連れてくとか帰るとか! よく分かりませんけど、でもルルは嫌だって言って……!」
「……ほう、それで?」
「うっ………」
連れて行かないで。そのまま帰って。ルルーシュを取らないで。
言いたいことは沢山あったのに、意地悪げなシュナイゼルを前にして、気が萎えそうになる。なんでこの人は愉しそうなのだろう。シャーリーはこんなにも必死なのに、蜘蛛の巣でもがく蝶の悪あがき以下にしか見られていない。
今度こそ本当に泣きそうになってしまった彼女を庇うようにして、ミレイが前に進んだ。元とはいえ爵位を持っていた家の娘として、完璧な礼を取ってみせる。
「私からもお願い申し上げます、殿下。ルルーシュ様とていきなりこのように連れ戻されては、納得なされないことでしょう。皇族に復帰なさるにしても、こちらには私物も多くあります」
だから、少し時間を。それは正しく時間稼ぎでしかなかったが、それでもあるのとないのとでは大差ある。
シュナイゼルは品定めをするかのようにミレイを見下ろし、またシャーリーを見据えた。考え込むようなポーズを取ったが、おそらく単なるパフォーマンスであろう。ジリジリと遅く流れる時間にシャーリーが耐え切れなくなりかけた、その時にふと彼はルルーシュの腕を放し、例の完璧な笑みを浮かべた。
「そうだね、さすがに急すぎたようだ。また出直すよ」
「え?」
予想だにしなかったあっけなさに、思わず間抜けな声が漏れる。え、うそ、いいの?
ルルーシュでさえ驚きに目を見開いている。じゃあお前何しに来たんだ。
その反応を見て満足したのか、シュナイゼルは呆気に取られるシャーリーたちに、くすりと笑みを漏らした。
「ルルーシュには、強い騎士が守ってくれているようだから、ね?」
今度のそれは悪戯っぽくて、どこか意地の悪さが垣間見える人間らしい笑顔。意図的に作られたものではなく、彼の本当の顔だろう。
もしかして。シャーリーの顔が歪む。からかわれていたのだろうか。彼の表情からは、単にシャーリーの反応を楽しんでいる感じしか伝わらない。そこには悪意も何もなく、怖気の走るような不快感も存在しなかった。
そんなはずは、と頬を引きつらせていると、彼は決定的な言葉を落とした。ねえお嬢さん、皇族になる気はないかな?
シュナイゼルの背を見送り扉が閉まってからその意味に気づき、シャーリーの力が抜けた。皇族になるためには、皇族から生まれるか皇族に嫁ぐかの二つの道しかない。シャーリーの恋心は、この短時間でバレてしまったということか。
(一体なんなの、あの人は!?)
リクは「シュナ様お迎えでルルの皇族バレネタ。リヴァルやニーナ、シャーリー等の第三者視点」
私が書くと何かが違う気がします。あれ……あれー?orz
シュナ様は必死なシャーリーを見て「可愛いなー苛めたれ☆」とか思ってます。外道。
20070610