通り過ぎた後の宴




 あー………。
 完全に気が抜けてしまって、シャーリーは床にへたり込んだ。疲れた。非常に疲れた。一生分の気力とか体力とか勇気とか色々な何かを使い果たした気がする。
 気遣うように、ミレイが彼女の隣に膝をついた。安堵から変に緩んだ顔で見上げると、苦笑された。無茶しちゃったわねぇ、大丈夫? 啖呵を切ったはいいけれど、結局途中で尻込みしてしまったシャーリーは何も出来ていない。シュナイゼルを撤退させたミレイ本人こそ、きっとものすごく疲れただろうに。そんな様子を見せることなく笑える彼女に、尊敬の念すら沸く。

「で、どーいうことなの、ルルーシュ?」

 そうだ。とりあえず、なんでもいいから説明が欲しい。口を尖らせて詰め寄るリヴァルに同調してルルーシュを見つめると、気まずげに目を逸らされた。……逸らすな!
 推測だけならできている。シュナイゼル本人が突然現れて、兄とか弟とか何とか言って。そこから答えを導き出せない馬鹿はここにはいなかったけれど、それを素直に受け入れられるほどの人間もまたいなかった。ルルーシュの口から、真実を知りたい。
 おそらくは事情を知っているのだろうミレイが、呆れたようにため息を一つ。

「ルルちゃーん」
「……」
「ルールちゃーん?」
「…………」
「こら、無視しないの。皆困ってるでしょ?」
「………………」
「なぁに? もしかして、ルルーシュ殿下、とか呼んで欲しかったかしら?」

 嗚呼。弾かれたように顔を上げた彼を見て、シャーリーは色々な感情を含んだ息を吐いた。
 そうか。そっか。本当に、そうなのか。殿下という敬称は、彼の出自を指し示す。では、やっぱり、本当に、ルルーシュは。
 シャーリーとリヴァル、ニーナの視線を受けて、ルルーシュは諦めたように頭に手を当てた。何気ない仕草だったけれど、改めて見ると何か普通の人とは一線を画した気品を感じるのは、彼の正体を知ってしまったからだろうか。
 促されて座った椅子が、いつもとは違うように感じられた。机も、見慣れた生徒会室も、その向こうに見える風景も。唐突に耳に入った水音に驚いて飛び上がる。見ると、一人席についていなかったミレイが紅茶を淹れていた。
 漂う香りを背景に、ルルーシュが机の上で手を組んでいた。その横にナナリーが静かに身を寄せる。兄妹の睦まじさはいつも目にしていたけれど、その過去にある何事もシャーリーたちは知らなかったのだ。
 リヴァルとニーナと目を合わせる。逃げるなら、今。これから始まるだろう話は、ブリタニアの頂点に関わる内容。今日は何も見なかった、何も聞かなかった。そうして何も起こらなかったのだと知らない振りをして明日を迎えれば、きっと平穏だ。
 けれど、シャーリーは既に知ってしまった。中途半端にぶら下がっている状態ではすっきりしないし、何よりも情報が増えればルルーシュのために何かが出来るかもしれない。単なる一般市民に何が出来るのかはわからない。でも、何も出来ないと最初から決め付けるのは嫌だった。
 明るい声と共に、紅茶が目の前に置かれた。重い空気を払拭するための彼女の優しさと、紅茶の温かさが口に広がる。美味しい。
 一息付いてから、ルルーシュがやっと口を開いた。

「俺は、神聖ブリタニア帝国第十一皇子……ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、だ」

 妹は、ナナリー・ヴィ・ブリタニア。
 そうして始まった話は、酷く恐ろしかった。皇位継承争いの苛烈さ。テロ。ルルーシュの母親とナナリーの足と目。日本に来た理由と、そして戦争。名を変えた理由。
 思い出に身を強張らせるナナリーに、ルルーシュが優しく微笑む。この過剰なほどのシスコンの経緯を聞くと、なんだか悲しい姿に見えてしまう。シャーリーの位置からは分からなかったけれど、多分二人は手を繋いでいる。母親を亡くしてから、ずっとそうやって生きてきたのだろう。二人だけで、二人きりの世界で。
 マリアンヌの名をニーナは知っているようだった。なんでも祖父がアッシュフォード、つまりKMFの技術者だった関係らしい。シャーリーはといえば、知っているような知らないような、といったところ。何せ当時十歳なのだ、記憶もあやふやだ。と、そこまで考えてから気づいた。同い年であるルルーシュは、そんな年頃に母親を亡くしてしまったのか。ルルーシュも、そして彼より更に幼いナナリーも、その出来事を今も尚引き摺っている。それほどまでに、深い傷。

「ま、騙していたのは悪かったよ。でも、こっちも事情があったんだ、ってことで許してもらえないかな?」
「許すも何も……」

 怒れるはずがないじゃないか。そんな風に言うのはずるいと思う。ルルーシュの口調からは、もうおしまいだとかそういう諦めた雰囲気に満ち溢れていて、それがとても悲しかった。道具として扱われ、利用され、そして殺される。彼の想像する未来は、もはやそれ以外には有り得ないのだろうか?
 あまりの悲しさに腹立たしくなって睨むと、困ったように眉根を寄せた彼に謝られた。え、あ、違。勘違いされてしまった。怒ったのは彼にではなくて、優しくない世界に対してだったのに。
 弁解しようと口を開きかけるが、それよりも前にルルーシュがはき捨てる。

「大丈夫。迷惑はかけないし、すぐに消えるさ。シュナイゼルが何を考えているのかは分からないけれど、大人しく飼い殺されれば文句は言わないだろう。ああ、どうせいつかはこうなることだったんだし、会長もあんまり気に病まなくて……」
「馬鹿っ!」
「……へ?」
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!」
「あの、シャーリー? だから、ごめんって。そりゃあ謝って済むとは思っていないけど」
「そうじゃないの! 馬鹿! 間抜け! 頭でっかち! 天邪鬼! 捻くれもの!」

 なんでこの人は勝手に決め付けてしまうんだろう。シャーリーは彼を心配してて、助けてあげたいと思っているのに、きっと全く伝わっていないに違いない。
 悔しくて涙まで出そうになっていたら、リヴァルがいつものように軽い調子でルルーシュの肩を叩いた。泥沼にずぶずぶ落ち込みそうになっていた彼女への助け舟だ。
 感謝しながら紅茶を一気に喉に流し込む。少し温くなってはいたが、興奮した後には丁度いい。

「で、ルルーシュはどうするの?」
「どうする、って。戻るしかないだろう……あの人が来たんだし」
「逃げたかったりはしない?」
「逃げる、って……。相手はあのシュナイゼルだぞ?」
「お前はルルーシュで、ついでに俺はリヴァルだけど?」

 で、ここにいるのは生徒会メンバー。向かうところ敵なしってね。
 つまりそれは、みんなルルーシュの仲間だってこと。色んなことをやってきたけれど、そのどれもを切り抜けてきた。
 リヴァルはごく一般的な感性を持つ少年で、面倒なことに突っ込むのは大嫌いだ。やろうと考えたことすらない。けれど、それも親友のためとあらば別だ。
 驚きに目を瞠るルルーシュを置いて、リヴァルはにやりと笑う。

「シャーリーはどう思う?」
「皇族に生まれたからって、そんな風に諦めちゃうのはおかしいよ」
「ニーナは?」
「シュナイゼル殿下、怖かった……。あの人のところに行くのは、駄目だと思う」
「じゃ、会長は?」
「んー。お母様が悲しむわねえ。アッシュフォード家の復興を目指してたのに、肝心の娘が皇族に逆らう、か」
「なら抜けます?」
「まさか!」

 仲間が辛い目にあうと分かっていて手放すなんてことが出来るものか。一人一人の力は微々たるものだけれど、合わせれば不可能なんてきっとない。生徒会企画の祭りで、逃げることだけは得意になっている。ついでに変装も完璧だ(仮装に近くはあったが)。

「……お前達は、馬鹿だ」
「そうかな? ルルーシュの方が馬鹿でしょ、簡単に諦めちゃってさ。かっこつけてるつもりー?」
「とっくに手は回されている。シュナイゼルは何の策もなしに来るような人間じゃない。わざわざ自分で来たのは、俺達が慌てる様子を楽しむために決まってるしな」
「わー怖ーい。だったら尚更逃げないとやばくない?」
「………あのな、リヴァル。お前自分が何を言ってるか分かっているのか?」
「俺って馬鹿だから分っかんなーい!」

 何を言っても寄せた眉根を戻さないルルーシュに焦れて、シャーリーが会話に口を挟んだ。私たちが信用ならない? その悲痛なほどの熱意に押され一瞬黙るが、それでもルルーシュは表情を変えない。馬鹿だ、お前達は。有り得ない。無理だ。絶対に。
 シャーリーには皇族の恐ろしさなんて想像しかできないけれど、でもシュナイゼルだって人間だ。確かに怖かったけれど、多分ミスだってするに違いない。彼は自信たっぷりに見えたから、そこを突けばきっと勝機もある。多分やらきっとやら、希望的観測が多分に含まれた見解だったが、シャーリーはもう怖気づきはしなかった。やる前から諦めることの方が恐ろしい。さきほど直ぐにでも連れ攫われてしまいそうだったルルーシュを留まらせた原因は、彼女の考え無しに口走った言葉だったのだ。
 彼は頭がいいから、きっと嫌な可能性をいくつもいくつも考えているのだろう。逃げ切れる可能性の低さに絶望しているのだろう。ずっとナナリー独りでを守って生きていたルルーシュは、そこに他人の力を含ませることを、おそらくしていない。どうすれば分かってくれるのだろう。シャーリーが何をやったとしても、ルルーシュ本人が望んでくれなければどうにもならないのに。

「お兄様」

 黙って事の成り行きを見守っていたナナリーが、ルルーシュの袖を引いた。私は、嫌です。小さいけれどはっきりした声に彼は瞠目する。

「私は、嫌です。ユフィ姉様たちには会いたいって思います。あの頃は楽しかったし、仲良くして下さっていた方々は懐かしいです。でも、あんな事のあった場所は、嫌です。私はお兄様と一緒に、ずっといられる場所で生きていたいです」

 それは少なくとも皇室ではなく、シュナイゼルに乗り込まれたこの瞬間から、アッシュフォード学園でさえもなくなった。誰にも脅かされず、ただ平穏に生きていける安息の地。そんな場所があるのだろうか。ただシャーリーにも分かるのは、座して待つだけでは絶対に手に入らないということ。整備された租界に死角はないから、ゲットーが適当だろう。いっそのこと亡命してしまってもいいかもしれないとさえ、シャーリーは思った。皆と一緒ならどんな場所でも怖くない。
 ルルーシュは例え皇室に復帰したとしても、ナナリーだけは守りきるつもりでいるのだろう。しかし彼らには権力も地位もない。逃げ隠れていたという過去が足枷となり、自由に生きられはしないだろう。
 気丈なナナリーに胸を打たれたのか、呆然とした様子の彼に笑いがこみ上げた。結局ルルーシュはナナリーが一番なのか。でも、それでもいい。それこそがルルーシュの性格で、生き方なのだ。

「んじゃ、もう一度聞くぜ?」

 リヴァルが再びにやりと笑う。逃げたかったりはしない? 鬱陶しいもの全て捨て去って、ただ平穏に生きるために。それは、逃げるために逃げるのではなかった。手に入れるために逃げるのだ。幸せな生活を、幸せな人生を。
 ルルーシュが額を覆った。馬鹿だ、お前達は、馬鹿だ。何度も呟かれるそれには疲れが滲んでいたが、諦観はもはや含まれていなかった。

「諦めなさいな、ルルちゃん。首に縄引っ掛けてでも連れてくわよ?」
「……俺の意思は無視ですか」
「あら、嫌なの?」

 ミレイの悪戯っぽい声に、盛大なため息を吐く。嫌なわけがあるか。本当は、ルルーシュだって皇室に戻りたくなんてない。優しい友達を巻き込みたくなどなかったが、言っても聞き入れるような連中ではないだろう。
 じゃあ、決定! リヴァルの掛け声と共に、全員が席から立ち上がる。計画性は皆無。どこへ行くかも決めていない。けれどきっとどうにかなる。根拠も何もないけれど、シャーリーは確信していた。基本的に彼女は感情のままに行動する人間なのだ。
 思いついたら即行動が生徒会だ。そもそも生徒会活動の大半は思いつきで行われていたのだから、その延長だと思えばいい。ちなみに書類整理だけはその限りではなかったが、今回はもちろんそれには当てはまらない。さすがにシュナイゼルでも、こんなに早く逃げ出されるとは思わないだろう。ルルーシュの性格を知っていたのなら尚更だ。
 とりあえず手ぶらで出て行くわけにもいかないと、一人づつ寮に戻っていく。何を持っていけばいいのだろう。あまり多くても駄目だけれど、持っていきたいものも沢山だ。頭の中で考えながら扉に手をかけると、ルルーシュに声をかけられた。

「シャーリー、気をつけろよ?」
「え? うん。大丈夫だって。ルルこそ、体力あんまりないんだから」
「俺は平均なんだよ。……じゃなくて、お前、シュナイゼルに気に入られただろう」

 そうだっただろうか。むしろ遊ばれていたというか、馬鹿にされたというか。少なくとも気に入られたような感じはしなかった。首を傾げると、焦れたようにルルーシュは眉を顰めた。

「皇族にならないかって言われたじゃないか」

 皇族になるためには、皇族から生まれるか皇族に嫁ぐかの二つの道しかない。あの場にいた皇族は三人。ナナリーと結婚なんて、もちろん出来るはずがないから……。
 じゃあ、と出て行ったルルーシュの背を見送り、扉が閉まってから彼の勘違いに気づき、シャーリーの力が抜けた。彼女の恋心が伝わる日は遠い。



(鈍いよルル……。もしかして見つかっちゃったのも、その所為なんじゃないのっ?)







皇族バレってこういうものじゃない気がしつつ。でも楽しかったです……!
後先考えないで突っ走る話が大好きです。ゼロ活動はどうするのかしらねルル^^
多分この後スザク(軍務)とカレン(皇族死ね!)が追いかけてきますねきっと。色々あって和解して結局皆で幸せになれればいいよ。
え?シュナイゼル?豆腐の角に頭ぶつけて死んだんじゃないでしょうか?^^

20070612








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