振り払うべき手を掴み
「少将、制圧は完了しました」
「ご苦労」
思ったよりも呆気なく生徒たちがおとなしくなったことに少し拍子抜けした。制圧、などという仰々しいものではない。相手はただの子供だ。
ち、と少将と呼ばれた男は舌打ちをする。ブリキの学生どもめ、我々の日本で浮かれおって。土と血に塗れた薄汚い軍靴が彼らの華々しいドレスを踏みつける。親たちが行った蹂躙の上に立ちながらさも当然という顔をして笑う子供たちは、激しい戦闘を生き残った日本解放戦線の者たちが失った青春を余すことなく享受していた。
彼らの親たちの貴族や権力者などは、この何の役にも立たない子供たちのためなら何でもするだろう。ブリタニア軍の介入もスムーズにはいかないはずだ。我が子に何かがあったらどうしてくれる――いつの時代もどこの場所でも、親というのは子供のためにならなんでもする馬鹿ばかりなのだ。
拡声器を手に声明文を読み上げる。捕らえられた我々の仲間の返還を、お前たちにはそのための人質となってもらう。没個性ではあったが、それくらいが丁度いい。
それよりも彼には眉間の皺を深くして横に立つ人間の心中の方が気になっていた。日本解放戦線に客分として迎え入れた彼が、このやり方に納得はしていないことは見て取れた。無力な学生を人質にするなど彼の信念が許すところではないのだろう。しかし日本に後はないのだ。最早手段など選んでいる余裕はないことくらい彼も理解している。ほとんど強引につれてきてしまったが、この判断に間違いなどないはずだ。なぜなら、彼は奇跡を呼ぶ男なのだから。
そう確信を持って刀を手にその眉間の皺で周囲を圧倒する空気を放っているだろう彼を見遣る、が。
「……ん? どうした、藤堂」
常に眼光を湛えるその瞳が唖然と見開かれていた。彼が口を間抜けに開けているさまなど初めて見ただろう。
藤堂、ともう一度呼びかける。しかし彼は気づかない。そのおかしな様子に気づいた四聖剣もまた訝しげに表情を曇らせていた。この重要な局面で、何を。
「何か気になることでも?」
「え? いえ、なんでも……」
藤堂らしからぬ、妙に歯切れの悪い回答。男に返事をするものの、彼の視線は先ほどから動いていない。ますますおかしいと視線を辿るが、学生が身を寄せ合って座るそこに特別目を惹くような何かがあるようには見えない。強いて言えば車椅子の少女の存在だろうか。会場に直接座る生徒たちの中にあって、車椅子に座る彼女は浮いていた。
「まあ、最初に殺すならアレだな」
姑息といわれようが構わない。出来る限り抵抗の少ない者を選ぶのが楽でいいだろう。KMFを導入して日本を征服したブリタニアの、その卑劣な行為に比べれば我らなど。
何気なく呟いただけのその一言に、藤堂は妙な反応を見せた。動揺しているらしい様子は変わらないままに、男へと呆然と囁く。
「ではやはり、あの少女は――」
はて、と男は首をかしげた。つまり藤堂の見つめていた対象は彼女であり、その少女の事を男自身が知っている可能性があるということか。
車椅子に乗る色素の薄い髪を持つ少女。よく見ると目は閉じられているが、まさか盲目? 頭の隅に何かの引っ掛かりを覚えた。車椅子で盲目の少女など一度見たら忘れようもないだろう。そしてそんな子供が多くいるとも思えないから、人違いということもありえない。
そんな少女を見た覚えは一切なかった。しかし、聞いたことならある。あれはブリタニアとの開戦直前、人質同然として送られてきた――。
「……ナナリー皇女?」
その一言は静まり返ったパーティー会場に思いのほか響いた。怯えて身を寄せ合う生徒たちが一斉に少女へと視線を向ける。解放戦線の人間には知る由もなかったが、ナナリーはその容姿にプラスして生徒会副会長の愛を一身に受ける妹として、学内での知名度の高い少女だった。
ああ、そうだ。一つ思い出すことにより様々な記憶が蘇る。あの時代、突如送られてきた皇族。ブリタニアと枢木首相の真意を探るべく話し合いを何度も重ねた。そのときに何度も聞いた名前は二つ。
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアと、その妹ナナリー……」
疾うに死んだと聞かされていた彼ら。今まで思い出すこともしなかったが、確かに聞き覚えた様子とその少女は類似していた。
その情報をもたらした者の一人が、まさに枢木家に出入りしていた若き日の藤堂であったのだ。
く、とルルーシュは歯噛みした。一瞬にして制圧されたパーティーは散々足る有様だった。怪我の痛みに必死に耐え、怯える生徒たち。自分もシャーリーに庇われなかったら怪我は免れなかっただろう(少々情けなかったが)。
ナナリーの元へとすぐにでも駆けつけたい気持ちを抑え、不安げに身を寄せるシャーリーを宥めているうちに展開した状況に、彼は瞠目することしかできなかった。
バレた――。これまで必死に隠れ続けた出自。日本解放戦線は旧日本軍のメンバーで構成される。知っているものがいたとしても不思議はなかった。特に、リーダーらしき人物の横にいる藤堂。騎士団に取り込もうと調査しているうちに分かったことだったが、自分たちと面識のある可能性は高かった。
どうすればいい? ギアスを使うことは真っ先に考えたが、人が多すぎる。解放戦線だけであったならばともかく、生徒たちの中には既にギアスをかけてしまった人間も多くいた。空回る頭で様々なことを考える。このままではブリタニア本国に露見して連れ戻される――いやそれ以前にこの状況を抜け出さなければ生き残れない。
「ル、ルル? ねえ、何のこと?」
不安げに囁くシャーリーの言葉もルルーシュの耳には届かない。
どうすべきかと逡巡している間に動いたのはミレイだった。
「この学園にそのような名前の人間はおりません。どなたかと勘違いしておられませんか?」
「ちょ、かいちょ……」
「黙って、リヴァル」
ピシャリと言ってのけ、ミレイはナナリーを庇うように立ち上がった。私に任せて。そう強気に宣言した彼女の声は、おそらくルルーシュに向けたものだ。
「お前は?」
「この学園の生徒会長をしているものです」
「なるほど、ミレイ・アッシュフォードか」
「……よくご存知で」
「情報の重要性を説く客分がいてな。アッシュフォード家はマリアンヌ妃暗殺事件により、急速に力を失った家。その娘がお前だな」
「……そうだったかしら」
「マリアンヌ妃は、ルルーシュとナナリー兄妹の母親だったか」
終わりだ。喜色を抑えきれない笑みを浮かべるリーダーに、ルルーシュは唇を噛んだ。誤魔化すことが出来ない以上は、もうミレイを危険に晒すわけにはいかない。
立ち上がろうとしたルルーシュは、しかし強引な力によって引き戻された。泣きそうに顔をゆがめたシャーリーがルルーシュの腕をしっかりと掴んで離さない。やめて、何がなんだか分からないけれど、行かないで、怖い。見ると、周囲の生徒たちもまた似たような表情で状況の推移を見守っていた。いきなりテロリストに襲われ、しかも生徒会副会長とその妹が皇族だとかいう会話が繰り広げられる中、混乱せずにはいられないだろう。
つかつかとミレイの方へ歩み寄りながら、男は続ける。
「お前が庇う理由はあるな? ミレイ・アッシュフォード」
「ええ、そうでしょうね。ですが殿下は既に」
「戦争のどさくさに紛れ、逃げたということか」
なあ、皇女様?
男がナナリーの髪を鷲掴みにした瞬間、ルルーシュは弾けた。シャーリーを突き飛ばすように立ち上がり、毅然として背筋を伸ばし、彼らの方へと歩む。
「ありがとうございます会長。後は俺が」
「ル……ランペルージ、黙って。これは私の問題よ」
「いいえ、俺の問題です」
「ランペルージ!」
「……いいえ、俺の名前は」
日本に来てからの年月。アッシュフォードに入学してからの五年間。出自がバレたならもうここにはいられない。苦しかった記憶も多いが、楽しかった思い出もまた多い。
全てがすり抜けていく感覚を覚えながら、ルルーシュは薄く笑ってみせた。
「――ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだ」
会場に波紋が広がった。こんな状況下であるから、生徒たちも無闇に騒ぐようなことはしない。しかしその表情に浮かぶのは一様に驚きであり、畏怖であった。そんな遠い存在は知らない。
うそ、と尻餅をついたまま呟いたシャーリーの声は誰も届かないまま虚空へと消えていく。
悔しげに俯くミレイの肩に、ルルーシュがやんわりと手を置いた。今までありがとうございました。過去形でのそれに、彼女は両手で顔を覆って崩れ落ちる。唖然とするリヴァルに無理やり微笑んで、ルルーシュは彼女を任せた。目で告げた謝罪に彼は気づいただろうか。騙していてごめん、もう悪友ではいられなくて、ごめん。
そんな彼らのやり取りを歯牙にもかけず、少将は笑った。何たる奇遇、なんたる僥倖!
ナナリーの髪を乱暴に振り払い、ルルーシュの顎に手をかける。
「なるほど、大人しく我らにその身を差し出すということか?」
「まさか。……それに、お前たちの期待するようなことは起こらない」
「なんだと?」
鬱陶しげに男の手を振り払い、ルルーシュは心底から冷たく言い放った。乱されたナナリーの髪をやわらかく撫でつけると、小さな手が彼の腕に縋り付いた。
日本人は愚直にすぎる傾向にある。過去武士道と呼ばれたそれが当てはまるのだろうか。だがブリタニアと対等にやりあいたいならば彼らの思考を理解せねばならない。そしてブリタニア皇帝は、彼自身の思想そのものに筋は通っているものの、世間的には捻じ曲がっているとしか言いようがなかった。
だからアッシュフォードの学生を人質にする以上の価値をルルーシュとナナリーに求めるのは、間違っている。彼らは人質としての役割を果たさないどころか、そのような真似を大々的にすればブリタニアの強制的な統治の建前を作り、世論を動かす結果になる。
「ふん、愚かだな。だから日本は負けるんだ」
「何だと?」
ぎろりとリーダーたる男がルルーシュを睨み据える。
いわば決死の覚悟で以って挑んだこの作戦だ。単なる学生の一人に愚かなどと一蹴されていいものではない。
しかしルルーシュは彼を無視して、その横で眉間に皺を寄せる男へと向き直る。
「だが、お前は理解しているようだな。奇跡の藤堂?」
無言を貫いていた藤堂が、ぴくりと眉を動かす。敢えて揶揄するようにつけた形容詞に、彼が不服を覚えているのはよく分かっていた。
厳島の奇跡は情報の勝利だ。無骨さで以ってただ散るだけが日本の道ではないと気づいたのが彼だった。しかし、過半数の人間は情報を重視しない。それが日本の負けを導き、今のこの状況を作り出した。
「……生きていたのか」
「見ての通り、無事に生き恥を晒している」
直接面識はなかったが、やはり彼は自分のことを知っていたらしい。枢木家に出入りしていた上にスザクの師匠だった人間だ。記憶にはないが会話をしたこともあったかもしれないし、少なくとも姿を見られたことはあるに違いない。
「変わっていないようだな。君も、妹君も。姿を見たことは一度か二度だったが、スザク君から色々と話を聞いた」
「俺は姿を見たことはなかったが、スザクから話を聞いていたよ。お前は変わったようだな? 藤堂」
「……何がだ?」
「藤堂先生は格好よくて、強い。不正を許さない誰よりもすばらしい人だ。スザクはそう褒めていたが――見る影もない」
ぐっと藤堂は言葉を詰まらせる。引き締められた唇は図星を指されたことを示しているのだろう。嘗て日本のために振るっていた刀を、無力な学生への威嚇に使う。その行為にはプライドの欠片もない。
「お前に何が分かる!」
四聖の一人が感情的に叫ぶ。紅一点である彼女の名前は千葉という名だったように記憶している。
尊敬する藤堂が虚仮にされているのに我慢できなかったのだろう。しかし藤堂は彼女を含む反論したがる気配を見せる四聖剣を手で制し、ルルーシュに先を促す。
「分かるさ、奇跡の藤堂? 奇跡なんて、起こらないことをな」
「…………そうだな」
同意した彼に、日本解放戦線のメンバーが動揺した。
日本の反ブリタニア勢力は実質藤堂を象徴として息づいているようなものだ。それを本人に否定されてしまえば、何を拠り所にすればよいのか分からなくなってしまう。特に藤堂を妄信していたリーダーはぎゃんぎゃんと反論する。
彼の行動の真意全てを承知している四聖剣は、寧ろ藤堂を蔑ろにする発言に反発しているだけだということにルルーシュは安心した。こいつらならば、使える。
「何を分かったような口を! いいか、お前たちにはコーネリアどもを引きずり出す駒になってもらう! いいか、反抗など許されると思うなよ!」
「……無駄ですよ、少将」
ルルーシュの腕を強く掴み口角泡を飛ばして叫ぶ彼を、落ち着いた声音で諭したのは藤堂だった。
思いがけず仲間のはずの藤堂の反論を受け、男は唖然と口を閉ざす。
「よくお考えください、少将。彼らの立場と、経歴を」
七年越しに見つかった皇族が人質に。それは悲劇でしかないだろう。おそらくブリタニアのシナリオでは、ルルーシュとナナリーはこれまでずっと日本解放戦線に幽閉されていたとされる。
ブリタニア人は涙するだろう。かわいそうなルルーシュ様とナナリー様。そしてイレブンを憎むだろう。お二人を酷い目に合わせるなんて、なんという残忍な人種。
安易な彼らの考えは、逆効果でしかないのだ。
その上更に彼らが殺されたとしたら。解放戦線が殺さなくとも、その効果を期待するブリタニア側は確実に命を狙ってくる。二人が死ねば余計なことを言われないだけ都合がよく、ブリタニア人の同情も増すのだ。
「だ、だが、あの皇帝はお前たちの親だろう!」
「そこが甘いというんだ。切り捨てられた俺たちが、あの男に省みられることなど起こり得ない」
親ならば子供のために奔走する? そんなもの、夢物語だ。
背後で学生たちが息を飲む気配が分かった。諦念の感強く笑うルルーシュと、俯くナナリー。彼らは遠い雲の上の存在ではなく、むしろ地に叩き落された人間だった。
皇位継承争いと弱肉強食たる皇族の有様は誰もが知っている。ではあそこから蹴落とされた人間は一体どうなるのか。
「なあ藤堂。ここはお前の居場所か?」
「居場所など関係がない。日本のために戦うだけだ」
「本当に? 愚鈍な人間に囲まれ、卑怯な真似をすることがか?」
「……ならば」
どこに行けば良いのか。行く場所などあるというのか
レジスタンス活動者は多くあれど、全てはばらばらに動いている。確かにどのエリアよりもエリア11の反抗勢力は大きかったが、着実に一つ一つ潰されていっているのが現状だ。奇跡と称される藤堂といえど一人では何もなせない。ならば、自分を歓迎し、ある程度の戦力を持つ日本解放戦線に身を寄せる以外の場所がどこに、と。
「今レジスタンスはまとまりつつあるな」
「ゼロか。だがあの男は信用なるのか分からない」
ルルーシュに説得されつつある藤堂に慌てるのは日本解放戦線だ。
「おい藤堂、我々を裏切る気か!」
そして、アッシュフォードの生徒たちは目を白黒とさせる。まるでルルーシュは藤堂の味方であるかのように発言していた。
しかしそれを問いただす隙はなく、事態は藤堂の離反の意志によって妙な方向へと動いていく。四聖剣は藤堂の決定に否やはなく、また解放戦線のメンバーでも藤堂に心酔しているものは多くいたために、ほとんどリーダーが孤立する結果となっていた。
その状況を理解したのだろう少将は自暴自棄になってルルーシュに向かい発砲しようとするが、その前に動きを察知した藤堂に遮られる。つい今しがたルルーシュたちを殺すことによる難点を挙げたばかりだというのにも関わらずだ。
もう駄目だな。彼は嘆息した。少将には最早なんの活用方法も見出せない上、背後の学生たちをも危険に晒すことになる。
そして藤堂をこちら側に付くことを逡巡する理由がこれならば――。
激昂する少将に腕をつかまれたまま、左目にギアスを発動し、小声でルルーシュは彼にしか聞こえないように囁いた。
(役に立たないならば退場しろ、この戦場は俺が支配する)
今気づいたんですが、リクエストだと「四聖剣を説得」……これは藤堂を説得……「ギアスなし……」
……ゆ、許してください>< ギアスなしは説得だけですよね? もう少将がかいてるうちに取り返しが付かない人間になりました>< 最早オリジナルキャラクターですこいつ。
しかもまだ続きます。学生パートですー。
20080412
20080414 加筆修正