まるで夢のようだ。シャーリーはルルーシュに突き飛ばされたままの姿で目を何度も瞬かせた。きっと今の出来事は全て夢なのだ。目を開ければきっと、シニカルに笑うルルーシュがいるはずだ。そう希望を抱いて幾度も幾度も瞬くが、現実は何も変わらない。
飛び散った脳漿。だらりと伸びた舌。見開かれた目が最後に見ていただろう彼は、冷ややかな目で死体を見下ろしていた。
手の平蹴飛ばし飛び降りろ
「……残念だったな、藤堂。奇跡は起こらなかった」
藤堂もまた唖然と彼の死体を見つめている。奇跡は起こらなかった? 何があっても手段を選ばずに日本のために奔走した彼が、急に自害することの何が奇跡ではないと?
“己の行為を悔い、自らの死を以って責任を取る、残るメンバーもまた各自己を見直せ”
彼の遺言は余りにも彼らしくなく、しかし日本人としては最も相応しいようにも思える死に様だった。
一体何が彼をここまで追い詰めたのだろうか。誇り高き日本人は、イレブンと番号を割り振られた瞬間に何かが壊れたのだ。怒り、悲しみ、そしてどこへも逃げられないという恐怖感。全てはあのブリタニア皇帝の手の平の上に。
せめてこれくらいは、と少将の目を閉じてやる。上着を被せてやればそこにはもう彼の望みも遺志も何もかもが見えなくなった。覆いきれなかった血溜りだけが徐々に徐々に広がっていき、彼の無念を主張する。
ひ、とナナリーが息を呑んだ。殺された、また、目の前で。震える彼女をルルーシュが優しく宥める。
それらの行為でやっと現実を把握できたのだろう。学生達は怯えを隠さず、また解放戦線の者たちも動揺に騒ぎ始める。
「お前、何をしやがった!」
「何もしていないさ、俺は。彼は彼の意志で死んだ。その誇りを、お前たちが認めてやらずに誰が認めるんだ?」
逆上した男の一人がルルーシュに銃を向ける。お前が誑かしたんだ。そう叫ぶ男と恐怖に声も出ない学生たちの間で、彼は悠然と辺りを見渡して言い放つ。
「お前たちは負けだよ。“早くここから去れ。俺たちの事は一切口にするなよ”」
「……分かった」
一体これは。藤堂は今度こそ驚きに声を上げた。ルルーシュと目が合った人間たちが、次々と大人しく武器を収めてこの場から出て行こうとしていたのだ。
諦めた? そんなはずがない。この程度の事で諦めるようならばそもそも学園の占拠などはしない。その上何の準備もせず外に出れば、すぐに軍の餌食となるだろう。セキュリティーシステム万全の学園において、この事態が外に伝わっていないはずがない。既に包囲されている可能性も高いのだ。
「……ルルーシュ君。君が何かしたのか?」
「同じ事を言うんだな、藤堂。俺は助言しただけだよ、古い人間は最早足手まといなだけなのだと」
そして結局、その程度の事実を突きつけられた程度で諦めるような人間だったのだ。彼の主張は腑に落ちないものの、現状がそれを証明していた。
姑息な真似を嫌い、しかし日本を諦めることもできない藤堂の居場所は、やはりここにはないのだと。
残ったメンバーは藤堂と四聖剣のみ。意図的にルルーシュが目を合わせなかった人間だった。
「裏道がある。そこを通れば外に出られるだろう」
「見逃してくれるのか」
「お前たちが軍と出会ったら、軍に被害が出るだけだろう?」
それにお前はスザクの師匠だからな。そう嘯く彼の心情は窺い知れない。
「いいからさっさと行け」
「……どこへ行けと」
早く、と四聖剣が藤堂の元へと駆け寄ってくる。ルルーシュの言うことを信用したわけではないだろうが、彼の指示に従う以外に方策はないのだ。罠であったとしても実力行使でどうにかなる。そう意気込む彼らとは対照的に、藤堂は沈鬱げに言う。
居場所などあるのだろうか。先ほどと同じ問いは、切実さを以って投げかけられた。
そんな藤堂にルルーシュは笑う。心底楽しげな表情は何を含んでいるのだろうか。
「桐原はどうだ? あの男は未だ牙を捨てていない」
「……キョウトか。ならば、君たちも?」
「ああ、それしかないからな」
ゼロに向かうにせよ、桐原に向かうにせよ、結局ルルーシュの思い通りになる。学生生活が続けられない以上、今後は彼はゼロとしての活動に絞るつもりでいた。ナナリーは桐原のツテでどこか安全な場所を用意してもらえるだろう。そして事情を知った桐原は、藤堂を間違いなくゼロの元へ送るはずだ。
走り去る藤堂たちを見つめながら、ルルーシュは笑った。思いがけなく駒が手に入った。藤堂の力は黒の騎士団にとって重要なパーツとなり得る。
――しかし、失ったものもまた、多かった。
ルルーシュは未だ夢心地のような態でいる生徒たちを見渡す。彼らの姿を見るのはこれで終わりだろう。彼は人間不信ではなかったが、かといって他人に過剰な期待は寄せる人間でもない。口止めしようとどこかで必ずルルーシュとナナリーの正体は露見するはずだと確信していた。
のこのこと出て行った解放戦線と軍が交戦する音が聞こえる。出来れば軍人と会う前に学園から脱出したいところだったが、身一つで行くわけにはいかないし、車椅子のナナリーと共に迅速な行動はできないだろう。今のダンス服は邪魔だ。とりあえずは目立たないようにして……ああ、そうだ。
「ニーナ、いるだろう。録画、消しておいてくれないか」
「……え? あ、うん、分かった……じゃなくって、」
今日のニーナは裏方。準備の遅い生徒会女性陣の代わりに指示を出していたのがルルーシュだった。目立ちたくないが故に出来るだけ自分を写さないよう言い含められるという、下心があっての采配だったが運が良かった。ニーナならば信用できるだろう。
撮影機器はパーティー会場全体を見渡せるように設置してあるため、解放戦線の突入の時点で震え上がっていたニーナは見つからずに済んだものらしい。よろよろと這い上がり、か細い声で不安げにルルーシュに声をかける。
「あの、どういう、こと?」
図らずも彼女は全てのアッシュフォード学園の生徒の声を代弁することとなった。
一体これはどういうことなのか。これからどうなるのか。彼らはどうするのか。
ルルーシュは苦笑して肩をすくめる。それは常となんら変わらぬ動作で、余りにも普通だった。しかしそんな彼の口から零れ出るのは別離を示すもので。
「もう学園にはいられないからな。桐原の元……ああ、昔世話になった人なんだ。そこを頼ろうと思ってな」
「今まで話してたの、全部本当なのか?」
「まあ、な。でもここはブリタニアなんだ、別に珍しくもないだろう」
「ああ確かに……って騙されないからな。珍しいに決まってるじゃないか」
つい口を挟んでしまったリヴァルが眉根を寄せる。その日その日を気ままに生きていたはずの悪友は、どうやら一日たりとも心休まることない日常を送ってきたらしい。
だがプライドの高い彼は同情されることなど許さないだろう。ならばどういう態度で接すれば良いのか、引き止めることは出来ないのか。困惑するリヴァルに若干怒りを含ませてルルーシュは言う。
「いいか、気を使う必要はない。俺は一般人だ。皇族なんかと一緒にされたくはない」
「こ、皇族なんか、って」
「ふん。あんな場所よりもよっぽどここの方が心地いいさ。リヴァルはくだらない貴族を見習うなよ、反吐がでる」
「……それは言い過ぎじゃ」
「でも本当に貴族は汚いです。リヴァルさんも皆さんも、きっと、変わらないでいてくださいね」
――きっと。そのきっとが訪れる未来に彼らはいない。
ぺこりと頭を下げるナナリーの旋毛が見えた。余りにも小さく儚い彼女は、一体その汚い貴族に何をされてきたのだろうか。
ルルーシュは決して言い過ぎではなかった。皇族としての生まれは権力を振りかざせる立場にあるという以上に、振りかざされるそれに虐げられる運命を背負うのだろう。斯くして一度敗北した彼らは、未だ反抗の意志を鎮めない日本人と同じく居場所はない。
結局黙ってしまったリヴァルに苦笑するルルーシュの、黒い袖をミレイが引っ張る。綺麗に整っていたはずの正装はこの騒ぎで皺になってしまっていた。
「ルルちゃん」
「すみません会長。今までありがとうございました」
「過去形にしないでよ」
「ええ、これからも感謝しますよ、ずっと忘れません。楽しかったです」
「男女逆転祭のことも?」
「それは……出来ればやめていただきたかったですね」
「私もすごく楽しかったです。猫祭りも、全部」
「うーん、ナナちゃんは良い子ねえ。ありがと」
ばいばい。さようなら。そんな会話を呆然とシャーリーは眺める。先ほどのやりとりからして、ミレイは全てを承知していたのだろう。あの掴んだ腕を放さなければよかった。あのままではナナリーが危なかっただろうことは分かったが、そう思わずにはいられなかった。
そんな彼女の様子に気づいたのだろう。ルルーシュが不安げな顔をして歩み寄る。
「ごめんシャーリー。怪我はないか?」
先ほど彼女を振り払った手。白磁のそれを掴むことに躊躇する。掴んだら、だって、もう離せなくなるではないか。さようなら、もう二度と会わないよ。その細い手に宣言されているようで、今度は思わず彼女の方から振り払ってしまいたくなった。
けれど彼は不思議そうに首をかしげるだけで、シャーリーの心中など察してもくれない。突き飛ばしたときにやはり怪我を? 的外れな心配があまりにも鈍感な彼らしくて涙が出そうになってしまった。
大丈夫、なんともない。そう告げながら、彼女は差し伸べられた手を取る前に言う。
「お別れ、なの?」
「ああ。ごめんな、もう時間も少ない」
「うん。分かった。……じゃあ」
さようなら。その手を名残惜しげに掴みながらシャーリーは無理やり微笑んだ。大丈夫、なんともない。みっともなく縋り付いたりなんてしない。一緒に行けないことなんて分かっている。いまいち彼の状況は分からなかったが、計り知れないほどの何かがあるのだろうということだけはおぼろげに悟ることが出来た。
ルルーシュとナナリーは逃げる。ブリタニアの掌の上で踊ることなどお断りだ。その舞台から飛び降りるために、その全てを蹴飛ばそう。そう決心をした今の衣装がブリタニアの正装なのは皮肉ではあるが、と彼らは笑う。
外の騒がしさが段々と静まってきた。解放戦線の残党はもう粗方始末されてしまったのかもしれない。藤堂は無事に逃げ切っただろうか。
これでチェックだ。口癖のそれを呟きながら、そっとルルーシュはシャーリーの手を外す。これで、おしまい。
藤堂に教えたのとは別の抜け道を行くべくルルーシュはナナリーを車椅子から抱き起こした。手伝おうとするリヴァルやシャーリーを押しとどめたのは、生徒会役員がこの場にいないのは不自然だからだ。
「じゃあ元気でね、ルルーシュ。ナナリーも」
「はい」
「皆もな」
誰もが無言で彼らを見送る。救出に来た軍人が乱暴に扉を開くまで、まるで黙祷するかのように彼らは押し黙っていた。
テロリストが誰一人として会場内にいなかったことを不審がる軍人に、しかし生徒は誰一人としてルルーシュたちについて言及しようとはしない。
唐突に始まった波瀾は静かに幕を閉じた。
――その数日後、カレンが黒の騎士団に現れた級友に驚いたのは、また別の話。
(あ、あれ? ルルーシュは?)(……なんでお前いなかったわけ、スザク)
リ、リクエスト小説これで終わりです。いっぱいいっぱい、でした……orz
ぶっちゃけ日本解放戦線時代の藤堂の立ち位置とか良く分かってません><
でも藤堂が自ら学園に〜とかなさそうだなあと思うとこんな形に……っ。あんまり細かい部分は気にしないでいただけると嬉しいです><
これだけ多い人数を一気に動かしたのはほとんど初めてでした。つ、辛い。色んな人が空気になりました。
20080418