偽者の懊悩
助かった――。
ほ、と息を吐いた自分にヴィレッタは眉をひそめた。
割り切った、はずだった。処刑されると聞いて揺らいだ心も、死を目前に控えた彼の姿を見たときも、ヴィレッタは己の立場を優先させた。
だって、彼女はブリタニア軍人だ。イレブンなどに関わって足を引っ張られるわけには行かない。だからあの時彼女は扇を刺し貫いたのだ。
ジェレミアに巻き込まれ記憶を失い栄達の道を失ったと思ったあの一年前の絶望を彼女は忘れない。(ブリタニアでの敗北は人生を失うと同義)
結果的に皇帝直属の部下となった彼女は、嘗て寝食を共にした男を部下として――駒として?――扱った男をただひたすらに眺める日々を過ごす。
あの人間が扇が支持し賛同した人間。きっと扇にとっての希望だった。けれど、ルルーシュは彼を妹のために裏切り見捨てた。
「充実している、な」
ゼロは復活した。だが、かの対象者には何の変化も見られない。結局CCが現れるのを待つという受け身な体制を崩せない。(ああ、本当に充実している)
呟いた言葉には誰も気づかない。崩れ落ちた大地に目を奪われ、判断に困っているのだ。あれはゼロの手段を模倣したのか、それとも彼自身なのか?
しかしヴィレッタのかけた電話にはルルーシュもロロも何事もなく反応したのだから、間違いなくあのゼロは偽者なのだろう。
自分は一体何をやっているのか。ヴィレッタは一人胸に問いかける。(ゼロは、扇を助けたというのに、この私は)
ぽっかりと空いた空洞は、何が嵌っていたのだろうか。
戦うこともなく、命の危険に晒される事もなく、仕事といえばロロと他の監視員との仲を取り持つことのみ。しかも両者は互いの主張を引くつもりはない。
ああ、本当に、充実している。(無力な学生を眺める日々が)
任務を任された当初には皇帝からの指示ということで興奮した。しかしもう一年だ。飽きる、などと言ってはいけないことは分かっていたが、それでも疑問に思いはじめる。
CCは最早現れないのではないだろうか。記憶を失ったルルーシュを見捨てたのではないだろうか。
その思いは、ヴィレッタ自身の心も抉る。(だって記憶の戻った私は、彼を捨てた)
「ブリタニア軍が撤退しますね」
「仕方ないだろう、ここはゼロの勝利だな」
ブリタニア軍、撤退。そんなニュースが画面に現れる。黒の騎士団はまた一つの勝利を手にしたのだ。
鮮やかな手並みに観察員たちの顔が曇る。あれは偽者。偽者ではあるが黒の騎士団にとっては十分な人材だろう。ルルーシュの居場所が偽者に奪われたということは、彼がゼロに戻る機会がますます減ったことを意味しないだろうか。
――哀れ、だな。
手に持ったままの携帯から届いた、彼の声が頭に響く。弟に人殺しの世界は似合わない――一歩間違えれば、彼自身が殺されるのに。
ブリタニアから追い出され、妹を弟に摩り替えられ、今度は彼の作り出したゼロという存在まで乗っ取られ。CCが捕獲されればその命さえ失うのだ。
「本当にあのゼロは偽者なのでしょうか。それでもあの手際はまるで本物です」
「ロロが付いている。疑うのか?」
ロロは任務に忠実だ。それはもう他の監視員との軋轢を生むほどに。その彼が嘘をつく理由がどこにあるというのだろうか。
ルルーシュとロロの兄弟愛など本当はどこにもない。記憶を失った彼と、偽りの弟を演じるロロ。(扇の優しさは演技だった?)
もしも彼の記憶が戻ったならば、ルルーシュはロロの事を許しはしまい。最愛の妹の居場所を奪った彼を憎悪するだろうことは火を見るよりも明らかだ。
記憶のない人間に本当の関係など築けるはずもない。(だから、私と扇の関係も)
「でも例えばルルーシュの指示に従っている、とか」
「いつ? どうやって?」
腑に落ちないといった様子だった監視員も、ヴィレッタの端的な言葉で黙り込む。処刑が宣告されてまだ間もなく、その間監視を続けていた対象者が何らかの動きを為した様子は皆無だ。
もしもあのゼロがルルーシュだとすれば見事に彼女らは出し抜かれているということになるわけだから、プライドにかけてその考えは排除する。それが視野を狭めていることにヴィレッタは気づかない。
ルルーシュがゼロとして活動するならばロロを取り込まなければならないのだ。(私は扇に絆されなどしなかった!)
「黒の騎士団の復活だ。CCが便乗して現れる可能性もある、これまで以上に注意して監視を続けろ」
「イエス・マイ・ロード」
今後黒の騎士団がどのような動きを見せるのかは分からない。だが、扇は再び幹部として働くのだろうことは間違いない。
しかしゼロがルルーシュでない限り、ヴィレッタには何の関係もない。(対峙する機会はない。そして、敵対することも)
ただ、再びゼロが扇を利用して捨てたらと考えると、少しだけ心が疼くだけで。
ゼロは波瀾を呼ぶだろう。あの知略は本物に見劣りしないほどの力を持っている。だからこそ、ギルバートは彼を相手にしたのだ。
ルルーシュとロロの入った映画館の入り口を見据えながら、ヴィレッタは願う。
どうかこの退屈で充実した日々を終わらせて、あの恋人と呼んだ男を忘れられる時が来ることを。
(何をやっているのだろうな、私は)
扇とヴィレッタの関係と、ルルーシュとロロの関係は似てるなあ、とか。
……扇はヴィレッタと寝てた! つまり!
ごめんなさいなんでもありません。
20080428