インデックス イメージマップ

火影変




日没を前にして、庵は長屋から少し離れた、遠目にも歪んでいる四阿の戸を開けた。
四阿で京を待つ時間はやけに長く感じられた。
解脱した僧のように心は落ち着いているのに、心臓だけが大きく早く鼓動を刻むのが不思議ではあった。
待つ間に表の井戸で水を汲み上げ、わらじを脱ぎ捨てると、もうすることもない。いつもは裏稼業のときにしか着ない黒の打掛を、うっすら埃をはいた床に投げ出し、そこに座った。
時がせまり、隙間風が冷たくなりだす。
滑りの悪い戸口から、京が入ってくる。
打掛の上に座る庵を見て、にやけながら近寄り、隣に腰を下ろした。
「やっぱ、こーいうオンボロで人気のないとこが好みなのかね」
煽ってくる京に、さしたる反応も見せず、庵は戸が閉められるのを待って話を切り出した。
いつにも増して、鋭い視線で京を注視する。
「裏の口入れをしにきた」
「前回の報酬、まだ貰ってないんだけど…」
「報酬の話は後だ…。やるのか」
庵が殺気さえ匂わせたことで、京も表情をあらためた。
「誰を殺すか、先にきいてもいいか」
「貴様だ。京」
眉を顰めて怪訝な様子の京に、庵はもう一度、はっきりと言う。
「自分で自分を殺せ」
庵は京から目を逸らさなかった。逸らせば負けだとでもいうように。
真剣より鋭い切れ味の庵の視線に魅入られて、京もしばし不動だった。
それで納得したのか、ゆっくり瞬きして、微笑みまでたたえて京は頷いた。
「いいぜ。その話、受けた。
でも今回は理由くらいは聞かせてくれてもいいだろ?」
「貴様の素性を、八神の一族がつきとめた………」
山形藩留守居役殺しの下手人として、「炎の使い手」が注目された。
無論、八神としても宿敵に通じる手がかりだが、直参旗本草薙家のことは最初目付方が躊躇って資料の公開を断っていたので、山形藩の後を追う形でしか情報が手に入らなかった。
やっと直参旗本草薙家と特定できたものの、満足に炎を使えるのは現当主草薙京のみ。
その経緯が八神庵の妹に報告され、草薙家の日輪紋を記憶していた彼女が、兄にそれを告げたのだ。庵に殺せないなら自分達で手を下す、と。
ここで会う前に文だけよこした庵の本心が、京にも垣間見えた。
しかし、今ここで言うべきことではない。京が胸に刻んでおけばいいことだ。
「俺が断ったら……おまえが俺を殺すつもりだったわけだ」
「受けたくなくなったか」
「おまえになら殺されてもいいかもな。でも、やめとく。
俺の死がおまえの願いってんなら、せめてそのくらい叶えてやりたい男心…なんつって」
軽い口調にも、庵はあいかわらず眉をよせている。笑える内容でもない。
京だけが楽しそうに、庵の打掛へにじり寄り、彼の帯に爪を走らせる。
「成功報酬じゃあちょっと受け取れそうにないからさ、前金でお願いできるといいなー…」
「…………留守居役殺しの報酬も合わせて、好きなだけ受け取れ………」
そう言うと、自分で帯を解き、着物の合わせを開いた。
庵は顔をうつむけたが、耳までが恥じ入った色に染まっていた。
意外というより、驚きに近い凝視で、そんな庵の姿に京は釘付けになった。
「す、好きなだけって…」
「今日は浅草で泊まると言ってあるし、明日のことは妹にまかせてあるから………」
襦袢ごと肩からすとんと落とすと、足を崩して、着物を脱ぎ去った。
月夜に蹂躙したはずの肌に吸い寄せられて、京は庵を抱きとめ、可能な限り優しく打掛に横たえた。
庵の手がその背にまわり、京の帯を解いていく。節食していたせいか、京の筋肉は庵の記憶にあるものより薄く削られていたが、固い筋肉の溝はよりくっきりと鋭角なラインが浮き出ている。
場所が変わっただけで、あの月夜と同じように京が覆いかぶさる。
京の手の中で、次第に肌が熱をもちだす。
腕が指が、庵の姿をすべて記憶しようと這い回り、中心点で止まった。
雁下のツボの、さらに下。
先を想像して庵の喉が鳴ったが、京の指は動こうとしない。
欲も露な掠れ声で、黒い瞳の主を促した。
「京…針にかかった魚を逃がしも釣り上げもしないような真似は、よしてくれ」
「釣り上げたら、尻尾の先まで食べさせてくれるなんて、釣り人想いの魚だな。
針にもわざとかかってくれたのかもしれないな」
「それは…ッ、……ア」
京が、庵の望む場所をなぞると、艶を含んだ声が漏れた。
無意識にこわばる四肢から次第に不要な力を失う。
力が入っていないのに、京の指先が軽く触れただけで、庵の身体が、勝手にうねる。
翻弄されるたびに吐息が喉を滑り出、男の息もすぐに荒いものへと変化していく。
しげみに埋もれる鋭敏な器官を舌で舐めあげられ、追いつめられ。
もたらされる感覚に庵の意識は霞を深め、我に帰ったのは京を受け入れる痛みによってだった。
小刻みに腰を揺らしてくる京にすがると、汗で滑る。
そのつもりもないのに、京の着物の下から手を滑りこませ、骨の形をなぞってしまえば、くす、と京の忍び笑う気配がある。
きつすぎる内側の熱がもたらす快楽と苦痛とがないまぜの表情で、庵の姿を見ている。
目が、俺を楽しませろと言っているのがわかる。
庵の脚をつかみ、一層の開脚を促してきた。
無言の指示に従うと、下腹にのみこんだ男が勢いよく臓腑に達してきて、庵は呻いた。
京が動きだし、二人を繋ぐ場所が熱をもちはじめると、庵の思考はしびれ、刻まれる振動にも酔いを覚えだした。
熱気を宿す気配に支配されるなかで、それが唯一の繋がりに思えてしまい、もっと奥へ誘いこむべく庵は腰を動かしていた。
理性が霞みだしたなかで「京」と呼んだその声は、欲情を隠していないことを、庵は自覚していた。




庵が汲んでおいた水で身体を拭いても、双方とも情痕がまざまざと残る。
なにも食べずに貪っていながら、足りなさそうに京が唇を寄せるたびにまた行為は再開され、疲れて眠ることを繰り返した。
夜が来て、朝が明けて、もう一度夜になって、名残惜しそうに庵に着物を着せていく。
うっすら開いて誘う唇が、掠れた声で京の手を止めさせた。
「もう、いらない、か?
帰るのは明日でも明後日でも、俺は構わん…」
京が顔を覗き込むと、乱れた髪の隙間から、こぼれるものがあった。
「庵。泣くなよ」
「俺は泣いてない。貴様の目が悪いんだ…」
「はいはい。俺は一寸先も見えません」
呆れながら手早く帯を巻く京の方は着物を羽織っただけの姿だ。
布団代わりに下に敷いていた打掛をつまみあげたが、横から京に攫われる。
「あのときの着物は貰えなかったけど、この打掛はいいだろ?」
「…………………。好きにしろ」
用をなさなくなった布を大儀そうに抱える男に、庵は溜息で応じた。
庵の髪は原形を残さないほど崩れていたので、京が手櫛で軽く梳いて、結ってくれた。
無骨な指が繊細な動きを見せるのは、庵にとっても驚きだった。
京は苦笑で、いいわけっぽく説明する。
「武人なら髪くらい自分で結うもんだ、て散々言われたんだ」
「差す気もない刀なんか差してないで、髪結でもやっていれば良かったんだ…」
「卑怯なこと言いやがって。髪結の亭主になる気もねえくせに」
脂もないので形は整ってはいなかったが、人前に出られる風情にはなったようだ。
もうこれで、京との係わりはなくなる。
否、京という人間はいなくなる。
庵が伝えれば八神の者も、かたきの子孫が死んだことで、これ以上の犠牲は必要ないと考えてくれるだろう。
立つだけでもやっとの身体だったが、京の手を借りてわらじを履くと、あとは後ろを振り返ることもなく戸を閉めた。
逃げる。
たった数メートルでも、離れなければという妄執にとらわれて、庵は重い足腰をひきずった。憑かれたように、ただ、足を交互に動かす。
焦げる臭いに、四阿を見返る。
かすかに煙が立ち上っていた。壁の一隅にまだ幼い炎の舌が見え隠れする。
「あ………」
四阿は町から離れた場所にあり、周囲に民家は少なかったが、江戸は火事に神経質ですぐにも半鐘がうちならされるに違いない。
京の炎と似た色のそれは、見る間に大きくなっていく。
茅葺き屋根に燃え移ったからだった。
火事だと叫ぶ声で人々が家財道具をまとめだし、半鐘が打ち鳴らされ、纏持ち(まといもち)が駆けつけてくる。
鳶たちは、四阿に接する家がないとみて消火を諦め、破壊消防へと切り替える。
鳶口がかけられ、近所の打ち壊しがすみやかに始まろうとしている。
「京…!」
火消し人足を突き飛ばす勢いで、庵は四阿へと駆け出していた。身体の不調に鞭打って。
荒くれ鳶の怒号も、彼には蟻の鳴き声以下。
炎の舌が庵を呑もうと、勢いを増す。
火消しの目の前で、手に蒼焔を喚んだ。できる限りの炎を集め、四阿にたたきこむ。
一層の高熱で火宅の壁が燃え落ち、二色の火の粉が気流に乗って舞い上がる。
片方の火が、もう一方を食いちぎろうと牙をむく。
覇を競って、両者は絡まりあい、天をめざして火勢を強めていった。
木材の爆ぜる独特の音がひっきりなしに聞こえている。
炎同士の争いの隙をついて、庵は中に転がりこんだ。
柱に火がまわろうとしている。まもなく四阿は崩壊の憂き目を見るのだ。
求めた男が、黒い打掛と一緒に、煙たそうに目を眇めている。
ゆらぐ焔が黒瞳に映りこむ。
京は目を軽く見開く。
結ったはずの庵の髪が上昇気流になびき、赤い光に透けていた。
「俺を殺しに来たのか?」
「……俺になら殺されてもいいのだろう」
「もう報酬受け取っちゃったぜ」
「じゃあ返せ」
「えっ………」
がらり。
蝕まれた壁が崩れる。
酸化して脆くなった柱が一本折れ、それを合図に四阿は火の粉を飛ばして傾き落ちていった……



この火事以来、二人の姿を見た者は、少なくとも江戸にはいない。





髪結の亭主…女髪結が稼いで亭主は楽に暮らせる、つまりヒモ。
纏持ち…町火消しの目印(纏)を持って、火事場を仕切る火消しの花形。
鳶口…家屋破壊用に火消しが持っていた道具。いまでも使われている。


....the end.



WRITTEN BY 姉崎桂馬

長々しい小説を読破してくれてありがとうございます!






PCpዾyǗlgĂ܂}WŔ܂z 萔O~ył񂫁z Yahoo yV NTT-X Store

z[y[W ̃NWbgJ[h COiq ӂ邳Ɣ[ COsیI COze