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ほつり。ほつり。
樋から間延びしたリズムを刻んで、滴が落ちる。
もう暖かい季節とはいえ、雨によって肌寒くなっていく。
ふり始めの埃臭い空気を厭って、その二人は雨宿りのために、手近な喫茶店に入った。
背の高いポプラ並木が青葉をなす道路に面したビルの、3階。
エレベーターはいまどき手動開閉で、二重扉の外ケージなど洋画に登場しそうな鉄の格子が、掌に冷気をもたらす。定員3名で、ショートタイムの薄暗い密室が、ちょっぴり居心地悪い。
向き合ったら、酸性の雫の匂いも嗅げてしまいそうな近距離は、10秒と続かない。
このまま扉が開かなければいいのに……
そんな誰かの願望虚しく、ガラガラと音を立てて違う世界へと押し出される。
京も庵も普段なら絶対に近寄らないような、目立たない小さな喫茶店。
ニスで鈍く光る重たそうな木製扉に、箔のはがれた真鍮の把手はよく似合った。
戸を開けると、明るすぎない照明に、象牙色の壁、ブラウンで統一されたインテリアが意外だった。ヤニで煤けているものの、シックで趣味がいい。
客はほとんどおらず、カウンターには老いたマスターが絵画のようにぴったりおさまっている。
有線は、キンキン声のねーちゃんでもカマっぽいにーちゃんでもなく、かといって眠くなるクラシックでもなく、ムーディーな外国の曲だ。
「庵、この曲、なんていうの?」
「さあ…?」
優しく耳に残る、2拍子を刻むその曲の名を、オーダーをとりにきたマスターが
「『小さな喫茶店』ですよ」
と教えてくれた。

主旋律をバイオリンがなぞる曲はそこまでで、次は流行りの曲が、同じくムーディーにアレンジされて流れ出す。かなり聴かないとなんの歌かわからない。
もとはシンセのきいた可愛い歌だというのに、ストリングの高い悲鳴はセクシーに喘ぎ、ピアノが快楽の指先に聴こえてくるから、不思議だ。
注文したコーヒーと、マスターのサービスらしいビスケットが運ばれてきた。
コーヒーカップを持ち上げるタイミングが見事に一致して、つい目を上げると、相手も自分を見ている。口元にカップを寄せたまま、見つめあう。
湯気に遮られても、そこに宿る強い光は衰えない、京の黒瞳。
ライトに同調して、薄い色の虹彩が獣じみた黄色さを帯びる、庵の双眼。
傾けたコーヒーは渋めのはずなのに、味を感じない。
嚥下した後の灼熱感だけが、残る。
庵に視線を合わせたまま、京はビスケットを齧ってみたが、紙でも噛んでるようだった。
そのくせ、唾液だけは滔々としみでてくる。
嚥下する音が、耳障りなほど大きくて、唇を歪めた。
今度はインストではない、溜息をこぼす歌い方の女声が、場の空気を包みこむ。
スロウテンポで流れる、片思いのバラード。
カップを置いた庵が、長い足を組みかえると、当然のように京にあたる。
仕返しのつもりでつつきかえそうとしたが、京はそのまま足を押しつけて、挟みこんでみた。
あいかわらず視線をからめたまま、けれど彼は嫌がることもなく、頬杖をつく。
上目づかいの庵を間近で見たい下心にかられて、京も背を丸めて頬杖をついた。
食べさしのビスケットを庵の唇に運ぶと、最初は閉ざされていたままのそこが開かれ、ぬめる赤い舌を覗かせた。軽い音で噛み砕かれる。
自分の指に残った滓をなめとると、今度はちゃんと甘かった。

二人きりの午後。
かわす言葉のないまじわり。
ほつり。ほつり。
雨の音と、有線から流れる優しい流行唄。
こぽこぽとコーヒーが沸き、食器が触れあう。
それだけが、喫茶店を支配する音。
窓からは、葉を濡らしたポプラが見えるというのに、一度も外を見ることなく、ゆるやかな時間が旋律に乗って流れていく。飽きることなく。
彼らが二度とその店に出会うことはなかった。


小さな喫茶店に入ったときの二人は
お茶とお菓子を前にして一言も喋らぬ
傍でラジオが甘い唄を優しく歌ってたね
二人はただ黙って向き合っていたっけね




小さな喫茶店



...fin.




WRITTEN BY 姉崎桂馬
古織様の『MASCOT GAME』様に贈らせてもらいました。
大好きな曲そのままの小説。静かに流れる時間。

モドル






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