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12月の雨




…雨。
天の高みから飛来する水滴達は、固体だった当時と大差ない温度でアスファルトにはじけていった。
夜半には雪に変わることを、あてにならない天気予報士が言っていた。この時期の首都圏には珍しい大雪になるだろう、と。学校でやかましく会話されていた本日の噂だ。
傘を持って登校する生徒はたしかに多かったのを京は思い出し、午後の授業をエスケープして軽いソロメニューを終えてから、帰路につく。
その途中で、運悪く降られたのだった。
次第に勢いを増す雨に京は舌打ちし、傘と備蓄を買い込む名目で、近くのコンビニへ立ち寄った。
タバコ、カップラーメン、ポテチなど食料というより酒肴類を中心に、身体を温めるにはやはりビールが必要だなと多めに買っていく。
店を出て、5分も歩かない場所にアパートがあるというのに、彼の宿敵と出会ってしまったのはどうしてか。
京だけをみつめる鋭利な目と、視線が合ってしまえば、離すことは不可能。
傘のビニールと水滴を通して見る姿はぼやけていても、彼がそこに存在するだけで産毛を逆立たせる。おそらくは、庵も同様に感じている。
もたらされる戦慄が、いつも爽快感をもたらし、神経を束ねる脊髄から淡い快感をともなって肌を伝わっていくのだ。
何度味わっても飽くことのない酩酊。
よりかかっていたガードレールから離れた八神庵がゆっくり近づいてくる姿へ、声をかけずにいられない。行動の選択肢に、互いを無視する項など最初から存在しないのである。
京が草薙であり、庵が八神である所以は、そこにあろう。
「おまえ…なにしてんの?」
「貴様の頭は飾り物か。ケリをつけにきたに決まっている」
「他に用がないのはわかってるけど、ずっとそこでそうやって待ってたのかってきいてんの」
いらえはない。
冷たい雨がつとつと降るなかに、八神庵は立っていた。髪から雫をたらし、コートを湿らせて。
濡れた様子からして、雨が降る前からそこにいたのは間違いない。
寒さへの震えはこらえられても、庵の唇は紫をとおりこして、青い口紅でも塗ったかのようだ。
吐く息が白くなければ、不動の彫像としか見えず、誰も人とは思うまい。
「悪いけど、勝負は後でな。いいから来いよ」
生きた人間の人肌らしさをわずかにとどめた手を、京は無理に掴んで引っ張った。
「逃げる気か」
「ばか、おまえも八神流の宗主ならコンディションを整えろっつってんだよ。
身体あっためてアップするまで待ってやるんだから、寛大な俺に感謝しろ」
「…ぐっ……」
返答に詰まる。京の言った通りであることは、庵にも認められた。
寒い日であるうえに雨に濡れた身体は、すぐ滑らかに動くというわけにはいかない。
最上のコンディションを優先するなら、こんな雨天に仕掛けるべきではないし、30分ほどウォームアップしておいたほうがいい。だが格闘家なら、バッドコンディションでも満足に闘えるのもまた当然だ。否、プライドにかけてそうあるべきだ。
断る、と庵が口を開いたのを制して、素早く京が言い直した。
「じゃあ、俺がアップするまで風呂入ってろよ。
それなら公平だろ?」
「……いいだろう」
公平、というのが効いて、ようやく首が縦に振られた。
会話する間にも雨が浸透していったので、その拍子に雫が散る。
「走るぜ」
京は短く言って、あとは後ろも振り返らずに部屋へと駆け出していった。
前をゆく京の吐く息が、後方へ白い蒸気となって流れ消える。



部屋の鍵を開けると、全身を冷たく濡らした庵を引きずりこんで、床に水たまりができるのも構わずにバスルームへ直行させる。
有無を言わせない京の腕力に顔を顰めた庵だったが、なにも言わずに従い、脱衣カゴがわりのバケツに服をつっこんでいく。湿った服は重く、脱ぎづらく、持ち主に乱暴に扱われた。
「タオル、ここな」
京は場所を指示して、すぐに戸を引いて出ていく。
シャワーを熱くして頭からかぶると、温度の感覚が戻り、軽く身震いして庵はしばらく湯に身体を打たせた。手足の指先が急な温度変化に耐えられず、じんと痺れる。
シャンプーを探ると、ナチュラルなと女性向けの広告が描かれていて、女のものだろうかと戸惑う。
手に出してみると、いつもの京の髪と同じ匂いがした。
「フン…」
そのまま髪を泡立てていく。洗うそばから湯に流されていき、洗髪はすぐに終わった。
ボディソープも同様にして手早く、だが丁寧に指先まで洗い終える。
出しっ放しのシャワーが泡をすべて流すころには、庵の身体は寒さどころか熱さに茫となるほどであった。
脱衣所でバスタオルに水気をすべて吸い取らせ、着替える段階になって気づく。ここに着替えがないことに。
自分の服は全部濡れてしまっているから(おまけに服を入れたバケツを京がどこかへ移動してしまった)、京に借りるしかない。
ドライヤーはあったので、とりあえず髪だけを乾かすと、居間へのドアを開けた。温度が高く設定されているのか、服を着ずに出歩いても寒くないほどだ。
缶ビール1本あけてソファによりかかった京が、笑顔で出迎える。
「もう出たのか。早かったな」
「京。…服を、貸してくれないか」
本当は「貸せ」と命令してやりたいところだったが、風呂を借りた手前、庵も自分に譲歩したとみえる。
意味ありげな微笑を目元に刻んで、京が重ねて問うてきた。
「あ? いいけど、おまえもうあったまったのか」
「十分だ」
「飲むか」
示された缶ビールは、風呂上がりに乾いた喉に魅力的だ。
にこりともせず頷いただけで、手の中に飛び込んでくる。
喉を鳴らして飲む庵を、京はおかしそうな笑みで見ていた。乾いた喉を潤しおえて、テーブルの端に高い、空になった音で缶が置かれるまで。
「クロゼットあっちの部屋だから、好きなの選んでいいぜ」
ソファから立ち上がり、京がその部屋のドアを開ける。
庵が先に入るように背を押されたが、そこは暗く、京が電灯のつまみを引くまで少しかかる。
だが、室内に明るさがもたらされる前に、ドアは静かに閉じられた。
暖房の届かない密室が、寒い。
せっかくあたためた身体から熱を奪われるのを厭い、庵は両手で自分を抱いた。
「京、明かりのスイッチはどこだ」
「…寒くないか、庵」
声は背後からした。
いや、背後にいることは庵も承知していたが、気配を殺して真後ろにいる。
気配断ちするのは敵対する意思があるからだ、という庵の…八神の考えに素直に身体が反応し、飛び退って間合いをおこうとした。
その反応は京にも簡単に予測できた。
庵の腰のあたりに手をのばし、彼が唯一身に纏う布を剥ぐ。
厚地のタオルは、京に恭順の意思を示し、はらりと落ちる。すかさず冷気が手をのばす。
「!」
さすがに一瞬動揺を見せた庵の足腰を、掴むというよりタックルに近い勢いで倒れこんだ。
庵の視界が急転する。
衝撃のための受け身をとる前に、スプリングが二人の体重にきしんだ。
ここは京の部屋だ。どこになにがあるか、見えなくてもわかっているらしい男は、ベッドの天地まで考えて庵を押し倒した、ように見えるのは、それは庵の買い被りだろうか。
京の指が、湯上がりの肌をつうと滑っていく。
「まだあたため足りないな」
「貴様がこんな寒い部屋に連れてくるからだろうが」
指の腹だけでは満足せず、手の平が、ラインのあらわな腰骨に添っていく。
「一緒にアップしようぜ。なあ」
「そのつもりで風呂など奢ったのか」
それには苦笑だけを返し、京はさっさと自分の服を脱ぎにかかる。
庵の意見などききそうにない、性急な脱ぎ方。
「そのかわり明かりをつけろ」
「了解」
小さなオレンジ灯がともされ、なんとか輪郭だけは見えるようになる。
光度に乏しくても、あの、獲物に飢えた獣の瞳は判別できる。
獣の目をのぞくと、そこには獣がいた。
目蓋を閉じると再び深闇が訪れ、手始めに唇から貪り、味をしめて深く舌を絡めあう。
ハア、と接いだ息さえ惜しんで。
水気を含む庵の肌を、今度は明確な意図をもった指が、猥雑にダンスしだした。




よく鞣した獣皮よりも滑らかな幅広の胸の一点を爪で押され、鋭い感覚に庵の声が上がる。
「う……ッ」
京ははずれた唇に執着せず、今度は耳に軽く歯を立てた。アペリティフからオードブルへ。
くすぐったさと腰までつきぬける戦慄に、肩を縮めて拒絶を示しながら、開いた唇から舌を覗かせて誘う、矛盾した庵。
一刻も早くその内部まで賞味したくて、京の息はますます荒くなった。
さっきから気になっている庵の匂いも、彼を煽っている。
言葉よりも精確に知らせるために、形をもちはじめた分身を、庵の内股深くにこすりつけた。
内側に灯がついたばかりの庵は、緊張に身を堅くする。
その股座にはさんでおいて、侵入するための場所までは届かせず、アノ時の動きで腰を振った。
「庵…」
低く囁く京の声は、欲で彩られている。
この先に約束された感覚を甦らせた庵が、言葉未満の吐息を吐いて、京の素肌に手を滑らせた。
京は自分を刺激しながら、庵へと手をのばし、上へ下へと扱きだす。
最初は緩く、ついで急激に吐き出したい衝動にかられる快感が庵を支配していく。
開かれる内股。浮き上がる膝。
京が危険な場所にいることを判っていながらそうしてしまうのは、庵も望んでいるからにほかならない。自分からは言い出さないが、京が水を向ければいくらでも呑んでしまう、狡い性分だと自分を嘲笑った。
京にしてみれば、期待以上にノッてきてくれる庵が魅力的なのだが。
いまも、庵自身を刺激するのは京に任せ、のばされた長い指は彼を受け入れる場所へと差し入れられた。そうして自分で抜き差ししては、苦しさに首を振り、より大きく足を開いて本数を増やす。前後から刺激されて、時折こらえきれなかった喘ぎが、屋内にもかかわらず白く大きく吐かれる。
なまじなブルーフィルムを見るより、遥かに淫微な光景だ。
いれるぜ、と先走りの滲む堅いものがあてがわれる。
内側から引き抜いた指先が、去り際に誘うように先端をくすぐっていき、京の理性は泥船より脆く崩れ去ってしまった。
いちどきに突き入れて、腰をつかんで奥を求める。
「う…ッ」
こじあけられて、庵の息がつまる。
だがそれも最初だけで、すぐに呼吸のタイミングをつかみ、庵はせわしない息の狭間に無意味に「京」と呼んでは、下肢を揺さぶる衝撃に思考能力を奪われ、足を京に絡めていた。
愛しあう者同士のように。
京の目に映るものといえば、厚い胸板でも、濡れたヘアでも、欲望を吐き出したがっている分身でもない。快楽に忘我していてもはずされない、庵の目線。瞳の中の獣は、まだ飢えていると訴えている。
飢えた獣は、庵にも見えていた。これだけでは全然足りないのだと、言葉にせずとも京の欲深さが感じられる。欲を向けられることが、快い欲を引きずり出す。
荒々しい行為にも庵は一切「やめろ」とは言わず、嬌声を噛み殺しながらも京の名だけを呼び続け。
二人に空白の時間が訪れ、開放の余韻にひたる間もなくまた手を足をクロスさせて、貪欲な夜をつくりあげていく。部屋の寒さも忘れて汗でシーツに水分を与え、感覚に没頭する。
京が果ててベッドにのさばったのを合図に容赦なく蹴り落として、庵はゆっくり夢のない睡眠に浸った。




自分のくしゃみで目が覚めるのは間抜けだなと思いながら、京は寒さに身震いする。
ベッドの脇で裸で寝ていれば、寒いのは道理だ。室温が低すぎなかったのと脱ぎ落とされた服とシーツの端にすがっていたのとで、凍死せずにすんだらしい。
重くだるい身体をはげまして電気ストーブをつけてから、そんなに寝相悪かったかと考えてから、庵に蹴られたのを思い出した。
「んのヤロー。覚えてろよ…」
見事に鼻声だった。京はかなり鍛えているが、冬に裸で寝て風邪をひかずにいる自信はさすがにない。
庵も寒そうに頭まで毛布にくるまっている。
当分起きる気配がないと見て、先に風呂と朝食をすませることにした。
リビングは一晩暖房がつけっぱなしになっていたせいで、あたたかい。
はりついた情事の跡を流しおえて、シェーバーを使っているときに、いいものをみつけてしまう。
キスマークというには生々しすぎる、噛み跡を。
赤く浮き出る痕跡は、京を手に入れようと全身で挑んでくる庵の「言葉」だ。
ニヤけた顔のまま鼻歌でも口ずさみそうな上機嫌で、キッチンに立ち、二人分の朝食の支度にかかった。といっても、メニューは冷凍ピラフとカップラーメンだが。
ドアが開いて、庵の気配が近づいてくる。
いつもの大股でなく、難儀そうにゆっくりした動きで。
冷え込んでいるというのに、服も着ず、京のクロゼットから勝手に引っ張り出したセーターとトラウザーズで前を隠すだけ。
「…風呂、借りるからな」
まだ眠気を残す声で京に言う。
だが、露な肌を横目で観察しておきながら、京は許可しなかった。
「服は貸すけど、風呂はダメ」
「貴様…!」
「メシが先。今日のお前の予定はもう決まってンの。
メシの後はセックス、その後メシ…出前、なにが良い?
で、ひと休みしてセックスで、その後なら風呂いいぜ」
「誰がつきあうか!
俺は貴様と勝負しに来たんだ。どうあっても貴様を倒す」
体調も戻らないのに、啖呵をきる見栄だけはふんだんにある。
「ああ、それ。悪いけど延期ね。
外見てみろよ」
うなって、京をねめつけてから、庵は窓へと近づく。閉められたカーテンを引き開けると、銀世界があった。舞い降りる、白い天使の砂糖菓子。
「………」
「京ちゃん風邪ひいちゃったみたいだからー、おそと出たくないなあー?」
「馬鹿は風邪ひかんはずだが」
「昨夜誰かが京ちゃんのベッドから京ちゃんを蹴ってくれたしなー?」
「……わかったから、その変な喋り方はやめろ」
諦めの意思表示に、持っていたセーターを被る。
ピラフをテーブルに運び終えた京が、庵と鼻がつきそうなほど顔を寄せる。
同じシャンプーの匂いがすることに、二人は気づいていた。
「グッドモーニン、庵」
言って触れてきた唇はモーニングキスなどという可愛らしい類ではなく、音も聞こえそうなフレンチキス。
唇が離れるころには、ピラフの湯気は霞より薄くなっていた。
カーテンは再び閉じられ、もう明日まで開かれない。



...fin.


WRITTEN BY 姉崎桂馬
『12月の雨』成年推奨版です。
やおいって書かない人種なので、肝腎の部分をどう書けばいいのやら…あああ。
期待するほどのものでないのは重々承知ですが、やたらリアルなのもやたらドリーマーなのも無理っぽいのでごめんなさい。






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