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逢瀬のためのT.P.O.




遠慮という言葉を、母親の胎内に置いてきてしまった、二人の男。
誇れるものが何ひとつなかったとしても、プライドだけを唯一の財産にして生きていける、そんなタイプの人間だ。
二人を隔てるのは夜を薄ぼんやり照らす街灯、ただそれだけ。
荒い息が冴えた空気に吸いこまれる。春だというのにこの夜はやたらと寒かった。
京は頼りない金属に背中を預けながら、街灯ひとつ隔てて背中合わせの男の気配を探った。
やはりまだ息は上がっていて、京と同じく寒さを感じていないだろう。
「庵」
呼ばれて、背中の男は面倒そうに返事を返した。
「…なんだ」
「もう十分熱くなったし、今夜はこれでお開きにしようぜ?」
「………」
「この分じゃ夜が明けちゃうし」
「朝帰りもたまにはいいだろう」
「徹マンならぬ徹ファイトかよ、オイ…」
実際、徹夜のひとつやふたつやれないことはない。どちらも基礎体力がバケモノクラスというせいもあるだろうが、闘い続けて共に果てたその先になにがあるのかをみつけるには、まだ早い年頃であった。
焦げついた臭いのする上着を脱ぎ落とし、地面に放った。それ以上汚れたくないだろうに、服は空き缶並みの扱いを受け、重い音でアスファルトに沈んだ。
空気が細かく震えたのは、どうやら庵が笑った声のようだ。
「フ、今夜はいい夜になりそうだな」
「ああ、ギネスに載るくらいアツイ夜にしてやるさ」
ふたりが振り返ったのも、獰猛に唇をつり上げて笑ったのも、まったく同じタイミング。
輪郭をぼやけさせる寂しい街灯が、至近距離の二人を浮き上がらせていた。



立ち上る闘気に反応して、肌が粟立つ。
庵との闘いはいつも快い緊張に満ちていて、敗北の恐怖を凌駕する興奮に、やみつきになる快感を覚えた。
脳を侵す圧倒的な快楽ではない。ようやく行き着いた先のかすかな味は、漂流者がやっと口にできた清水のごとく。
アドレナリンの過剰分泌によるランナーズハイ状態だと言われれば否定はしない。原理がわかったからといって、現代に相応しくない命のやりとりをやめる気になりはしないのだ。
男が導いた青い炎も、京を求めるように舌先を伸ばす。
ゲームスタートだ。
大技の直撃を喰らっては京とてただではいられないので、1・2・3とバックステップで退き、庵の間合いと街灯の支配下から逃れる。
京を狙うには3秒も必要なく、京が闇に消える寸前に炎を放つ。追いついた蒼炎は、京の炎を纏った拳によって破砕され、そのとき一際明るく京を照らし出した。
「かくれんぼには向かない体質だな、こりゃ」
「子供の遊びにつきあうつもりはない」
郊外の青空駐車場は広大だ。
光源となる寂しい街灯の数は少なく、女性が近道のために夜中に駐車場を横断すれば、十中八九レイピストの的になるだろう。夜間は閉鎖という建前と経営者の資金不足のため改善の徴候もない。
このひととき、二人だけに用意されたステージ。
ぼんやりとした闇に、ゆらめく赤い炎が掲げられる。
中心部が常より白く見えるのは、遣い手である京の昂揚に敏感に反応し、温度を高めているからだろうか。
「じゃあ…大人の火遊びしようじゃねェの」
低く掠れた京の、飢えた声。
唯一人だけを視界に入れる黒い瞳。
前触れもなく一気に彼我(ひが)の距離をつめ、一層大きな炎を庵の真正面に打つ。気味悪いほど唇をつりあげて笑った庵が、青い炎で爆砕した。
「焦るな。技が甘くてはつまらん。もっと本気になれ。
そうすれば……じっくり殺してやる」
言い終える前に、今度は庵が急速に間合いをつめる。流れる舞の動作で出される拳は青炎をまとい、空気ごと肉まで切り裂く危険な技。ヒットすれば紅の血潮をまき散らす。
京は無意識に身を伏せ、正面から食らうのを避けた。
ビリビリと伝わる鋭い波動を頭皮に受けて、胃がひんやりと冷える。
それでいながら、笑い出しそうにおもしろい。
裏腹に京の熱が上がる。
「たあッ」
鋭い気合いの声と同時に京の拳が腹を連打。
次には庵の膝が京の内臓を潰さんとばかりに。
二人が走り、位置を入れ替えていくごとに、駐車場のアスファルトに黒い焼け焦げが残される。
二人で踊った円舞曲の、おそらく唯一の証しとなるはずの。
街灯の支配下にぽつぽつと黒点が刻まれているのは、二名分の汗。
広く、遮蔽物が極端に少ない駐車場内を駆けながら技を放つ。休む暇もない応酬に、肺が過剰労働の悲鳴をあげていた。
京は炎を庵の両脇に、あるいは足の間を狙い打った。
動けば攻撃を受けることになる。ガード姿勢のまま庵の動きがピタリと止まる。
庵の動きを牽制する目的ということはすぐにわかる。
問題は次の、あるいは次の次の一手、だ。
ゲームなら長考できるが、格闘は瞬間的な読みが雌雄を決する。
人間の反射速度に限界がある以上、相手より速く動くためには『読み』が正確なほどいい。
左足が動くと庵は読んだ。
その通りに京の左足が、ガードの緩い足を払えと勢い良く繰り出される。
フェイントかもしれないという危惧は大いにあったが、構いはしないとばかり誘いこむ。
京はそのまま足払いをかける。
庵はバランスを崩したがよろける時にしっかり京のシャツを握り、引き倒す。しかも庵から京に足払いをかける丁寧さ。
「うわっ!?」
わずかだが先に京がアスファルトにぶつかる。
とっさに前転で庵との間合いを開けようとしたのだが、庵が強くシャツを掴んでいたために回転は奇妙な姿勢で止められてしまったのだった。おまけにしたたかに背中も打った。
「…ってー」
できそこないのカタツムリのような妙な恰好で、京がぐたりと動かなくなった。
京が立ちあがらないので、庵も努力を放棄する。京と闘わないとき異常に疲労する身体に苛立った。
身体中に蔓延する重苦しい疲労も傷も草薙京と闘うほど増すというのに、彼と闘う間は心地よさが勝って我を忘れる。これでは重度の中毒者だと庵は自分を嘲笑う。
眼前にぶらさげられれば飛びつく類だ。
ハアハアハアハアハアハア……。
酸素を貪る音だけが、しばらくこの場を支配していた。
冷めた空気の旨さを、二人はいつまでも味わう。
緊張に乾ききった唇を何度も舐める仕種は、捉えられない獲物に焦れた肉食獣を思わせた。
「庵」
突然京が上体を起こし、呼んだ男の目を覗きこむ。雫が地面にぽたりと落ちた。
「火遊び、満足した?」
汗に濡れて張りつく赤い髪をかきあげ、庵はフンと鼻で笑った。
「あれしきでか。期待外れだな、草薙京」
「もっとやる?」
「まだ朝には早すぎる」
自覚せず、蠱惑的に唇がつりあがる。
リスクを承知で挑みたくさせる魔を孕んだ微笑。
楽しそうに笑った京の顔が、街灯に照らされる。
それは京が庵を真上から見下ろしたのですぐに逆光になった。
額がこつんとぶつかって。
庵は京の頭を所有物のように強く抱え込んでいた。
合わされた唇の継ぎ目から、互いの舌が行き来しては艶かしい音をたてていく。
急ぐことはない。
朝はまだ遠い。
駐車場にできたいくつもの黒い焦げ跡だけが、二人の時間に取り残されてしまった。



...fin.




WRITTEN BY 姉崎桂馬
嗚呼ハードアクション…
私が書くと必ずといっていいほど闘いあいますね。
共闘する話だと、流血沙汰になりそうなので書きません…

モドル






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